第29話 誰だって後悔したくないから

 空き教室に現れた桃華は、手を震わせながら綾音を指さしていた。

 こちらを睨む目は鋭く、感情が今にも爆発しそうだ。


「ソイツ、雪ぽよじゃないっすよね?」


 指摘されて、心がザワついた。


 桃華は雪奈のことが大好きだ。

 どちらかの性別が違えば、告白したくらいに。


 雪奈がいなくなったことを知れば悲しむはず。

 まして、雪奈の中に別人格の人間が入っていると知ったらどうなるか……。


 逡巡していると、綾音が膝の上から立ち上がった。

 教室の入り口に立つ桃華へ向かって歩きだす。


 ゆっくりとした所作。

 だが、桃華は猛獣に迫られたように怯え、身を引いた。


「うん、雪奈ちゃんじゃないよ」


 綾音はあっさりと認めてしまった。


「でも、どうしてバレちゃったのかな? 雪奈ちゃんって友達がいなさそうだから、教室でジッとしていればバレないと思ったのに」

「……雪ぽよの友達はウチだけっすよ。けど、毎朝ウチにだけは絶対に挨拶をするんす」

「なるほどね。これは私のミスだ」

「そんな話はどうでもいいんすよ! アンタは誰なんすか! ウチの雪ぽよを返してくださいっす!」

「雪奈ちゃんのこと、好きなんだ?」


 綾音は笑い、桃華の頬を撫でた。


「っ! やめてくださいっす!」


 桃華は怯えながら、その手を弾いた。


「雪ぽよはこんなことしないっす……いつも落ち着いてて、クールで、カッコよくて……ウチはそんな雪ぽよのことが好きだったんすよ……! だから、今すぐ雪ぽよを返して!」

「無理だよ。もう、ここにはいないから」


 綾音は胸に手を当てながら言った。

 その言葉の意味に気づいたのか、桃華は顔を青ざめさせていった。


「ま、まさか……先輩が前に言ったこと、本当だったんすか……?」

「……ああ。雪奈の身体には、俺の元カノ……綾音が転生したんだ。でも、もうその身体に雪奈はいない」

「う、嘘……そんなの、そんなの絶対に……」

「……ごめんね。私だって、自分から進んでこうなったわけじゃないから」


 綾音が手を伸ばす。

 慈しむような笑みを浮かべた綾音を見て。


「そんな顔しないでくださいっす!」


 桃華は踵を返すと、教室から出て行ってしまった。

 小さな背中が廊下の彼方へ見えなくなるまで、そう時間はかからなかった。


「……やっぱり、本当のことは伝えるべきじゃなかったかもしれないな」

「悲しませちゃったかな。でも、許せなかったの」


 綾音は胸の前で両手を握りしめ、唇を噛んだ。


「あんなに自分を大切にしてくれる友達がいる。なのに、雪奈ちゃんは翔馬に見てもらうためだけに死のうとした。それが許せない」


 ある日、突然死んでしまえば友達にも会えなくなってしまう。

 それなのに、自分から死を選ぶのは周りの人を悲しませてしまうと考えていない証拠だ。


「私だって、転生したくてしたわけじゃないよ。また翔馬に会えたのは嬉しい。だけど、会うなら自分の身体が良かった。こんな身体に転生しても、翔馬と結婚できないじゃん」


 綾音は涙をポロポロと溢れさせながら言った。


「そんなに羨ましいなら私の代わりに死ねばよかったのに、なんて思ったらいけないのかな……」


 俺は答えられなかった。

 綾音の後悔も悲しみも、全て俺自身も受けてきたことだったから。


「……綾音のこと、ちゃんと幸せにするから」


 綾音へと近づき、その身体を抱きしめた。


「どんな姿になっても、綾音のことが好きなことに変わりはないんだ」

「……うん。ごめんね、愚痴ばかり言っちゃって」

「それで綾音の気持ちが楽になるならいくらでも言っていい。弱いところをたくさん見せていいんだ。ちゃんと隣で支えてあげるから」


 頭を撫でてから、身体を離す。

 涙を拭い、俺は彼女に笑いかけた。


「……それじゃ、桃華のフォローをしてくるよ」

「ありがと。私じゃ無理だとおもうから、よろしくね」


 俺は綾音へ手を振り、廊下へ出た。

 桃華の行きそうな場所に心当たりはない。

 しらみ潰しに探すしかなさそうだ。



***



 桃華を見つけたのは校舎裏だった。

 数年前まで存在した園芸部の畑のある場所。

 ただ、畑は整備されてないのでジャングルみたいに草が生え散らかっている。


 その脇に設置された古びたベンチに腰を下ろして、桃華は一人で泣いていた。


 近づけば、砂利が擦れる音で気づかれてしまった。

 彼女が顔を上げると同時に、校舎からチャイムの音が響いた。


 午後の授業が始まる。


「教室、戻らなくていいんすか?」

「泣いてる後輩を置いて逝けるわけないだろ」


 桃華の隣へ腰を下ろす。


「……どうして、何もせずに受け入れちゃってるんすか。あんなの、絶対におかしいっすよ」

「受け入れてるわけじゃない。雪奈がいなくなったことは、俺でも色々と思うところはある」


 雪奈を追い詰めてしまったのは自分だ。

 罪悪感という言葉では済まない感情が、今も胸中にグルグルと渦巻いている。


「ただ、人は無限に生きられるわけじゃない。いつかは死ぬ。後悔だとか悩んだりとかしてる暇はないから、今のあいつを幸せにしてあげたいんだよ」

「まだ学生なのに、そんな生き急がなくていいと思うんすけど……」

「俺や綾音は、そうはいかないんだ。綾音は二年前……俺と付き合ってたった二週間で死んだからな」

「え…………」


 桃華が目を見開く。


「二年前って……まだ、中学生なのに……?」

「……ああ。デートの帰りに、車の事故に巻き込まれたんだ。それで、雪奈の身体に転生した」

「どうして雪ぽよの身体に転生しちゃったんすか……」

「それはアイツにも選べなかったみたいだな。選べたら、絶対に雪奈の身体には転生しなかっただろうし」


 ただ、雪奈は俺の一番近い存在だ。

 俺が綾音の遺骨を持っていたことで、一番近くにいた雪奈に影響を与えたのだとすれば……やはり、俺のせいで綾音は雪奈に転生したことになる。


 現実離れした現象だから、何とも言えないけど。


「まあ、そういうわけで俺も綾音も二度と後悔したくないんだ。死んだら何もできない。生きてるうちに、やりたいことはやっておかなくちゃいけない。俺らだって、まさか付き合って二週間で綾音が死ぬとは思わなかったからな……」

「……だったら、先輩はこのままでいいと思ってるんすか?」


 膝の上で手を握りしめながら、桃華は声を震わせた。


「それだと、雪ぽよの気持ちはどうなっちゃうんすか……。雪ぽよだって、自分の身体を取られてきっと後悔してるっすよ。なのに、先輩が今の状況を受け入れちゃったら、誰が雪ぽよのことを助けてあげられるんすか」

「それは……」

「後悔したくないなら、雪ぽよはどうでもいいって言うんすか。雪ぽよは、先輩のことが大好きだったんじゃないんすか……!」


 反論できない。

 雪奈は俺のことが好きだったのは確かだ。

 だからこそ、自ら命を絶とうとした。


 その行為自体、褒められるものじゃない。

 自殺は、不慮の事故で死んでしまった人たちを侮るような行為だ。


 でも、雪奈は目的を持って飛び降りた。

 綾音ではなく、俺に振り向いてもらうために。


 その気持ちを無視して、綾音と付き合うことは本当に正しいことなのか?


「先輩も雪ぽよのことが大事なら、もっと大事にしてほしいっす……。このまま、あの子の気持ちが晴れないのは、悔しいっすよ……!」

「……俺にも、分からないんだ」


 俺はベンチから立ち上がった。


「ちょっと、先輩!」

「……ごめん。やっぱり、俺も心の整理がつかないんだ」

「っ……」


 引き留めようと声を上げる桃華を背に歩きだした。


 桃華のフォローをするつもりだったのに、まさかこんな感情に駆り立てられるなんて……。


「くそっ……」


 心のどこかでは、今の関係が正しいとは思ってなかった。

 ただ、綾音にこれ以上後悔してほしくなかったんだ!


 俺は間違ったことはしてないはずだ。

 正しいこともしてなかったけど、それでも……。


「雪奈は、もういないんだ……どうすることもできないじゃないか……」


 小さく呟きながら、俺は校舎へ戻っていった。



***



 放課後。

 俺は考えを整理するために綾音とは一緒に帰らずに一人で帰路に就いていた。

 綾音は訝しんでいたが、「帰ったら事情を教えて」というのを条件に納得してくれた。


 なので、一人で帰宅している。


 軽く俯きながら歩いていると、数日前に立ち寄ったアクセサリーショップが見えてきた。


 その前を通り過ぎようとした、その時。


「ひゃっ!」


 店から出てきた誰かとぶつかりそうになり、慌てて後ろへ引いた。


「す、すみませんっ! ボーっとしてて……」

「ううん、大丈夫~……って」


 目の前にいる少女を見て、俺は目を見開いた。


「沙織……?」

「翔ちゃんだ~!」


 車いすに乗った沙織が、ふわふわした笑顔で俺を見つめていた。

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