第28話 やりたいことをやるだけ

 数日後、綾音は無事に退院した。

 今日から学校にも行けることになったのだが……。


「……周りからめっちゃ視線集めてるから離れてくれない?」

「やーだっ」


 学校への登校中、綾音は俺の腕に頬を擦りつけてきた。

 自分の匂いを飼い主に与えようとする犬みたいだ。


 綾音は病院で、雪奈の代わりに生きると言った。

 けれど、これじゃあ綾音そのものだ。


「中学の頃から、本当はこうして歩きたかったんだよ?」


 綾音は俺を見上げながら言った。


「やり残したことを今のうちにやるため、か……」

「うん。そういうこと」


 似たようなことを沙織も言っていたのを思い出す。


 誰しもが無限に生きられるわけじゃない。

 いつかは死ぬのなら、生きているうちにやりたいことを全てやるべきなんだと。


 雪奈の代わりに生きると決めたから、綾音はやりたいことをやろうとしている。

 そう聞かされると、引き留めるわけにもいかなくってしまう。


 それに、俺だって同じ気持ちだ。


 俺は二度、大切な人を失っている。

 綾音は事故で死んでしまい、雪奈も戻らなくなってしまった。

 だから、後悔しないためにも大切な人がいるうちにやりたいことをやるべきなんだ。


 綾音の頭を撫でた。

 昔とは違って、白い髪を伸ばした彼女は柔らかく笑っていた。


 そのまま、学校へ到着する。

 昇降口までやってくると、他の生徒も俺たちを見ては驚いていることに気づく。


「あの雪奈ちゃんがこんな人前で……」

「羨ましい……」

「くっ……やっぱりおかしい。あんな奴が雪奈ちゃんの彼氏だなんて!」


 散々な言われようだな……。


 呆れていると、隣で腕を抱きしめていた綾音はにやぁと笑った。

 俺の腕に胸を押し付けるように強く抱きしめてくると、耳元で囁いてくる。


「兄さぁん、昨日は激しかったね……♡」

「「「ぎゃあああああっ⁉」」」


 何を想像したのか、生徒たちの方から悲鳴が上がった。


「やめろ! 俺は何もしてないぞ⁉」


 声を荒らげた。

 だが、周りの生徒らはその場で膝を落として怨嗟の声を上げるばかりで俺の声は一切届いていない様子だった。


「ふふっ。愉快だね~」

「この地獄絵図を作ったのお前だけどな⁉」

「いいじゃん。これで、私がより翔馬の彼女だってことがみんなにも分かったでしょ?」

「まさか、そのために……」

「雪奈ちゃんが学校で翔馬とどうやり取りしてたのかは知らないけどさ、私は私なりの方法でやってくから。覚悟しててよね?」


 俺の鼻を人差し指でつついて、綾音はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


 手を振ると俺から離れ、下駄箱から上履きを取り出して履き替える。

 そして、ゾンビみたいに床へ這いつくばった生徒らの合間を縫って、自身の教室へと向かうのだった。


 その姿が見えなくなるまで、ほんのわずかな時間しかなかった。


「……お前も恥ずかしがってるじゃん」


 足早に去っていった綾音の心情をそう推測して、嘆息を溢した。


***


 学校にいる間、綾音は頻繁に俺の教室を訊ねてきた。


 昨日の内に雪奈の教室の場所と俺の教室の場所を教えていた。

 だから、迷うことなく来られたらしい。


 教室までやって来た綾音は、俺のクラスメイトがいるにもかかわらず膝の上に載って来た。移動教室の最中でも、廊下で見かけると腕に抱きついてきたりもした。


 俺が雪奈の彼氏だという話は、もう学校中で知れ渡っていることだ。


 だから、恋人としては正しい形なのかもしれないが、今まで雪奈がそんな風に甘えてくることはなかったため、周りの生徒らも困惑気味だった。


 そのうち、雪奈じゃないことがバレてしまいそうだ。


 危惧しながらも、何とか昼休みまで過ごした。

 俺たちは今、昼には使われることのない旧校舎の空き教室にいる。


 掃除の行き届いていない荒れた教室の中で、机を向かい合わせにして座った。

 正面で弁当箱を開いた綾音は、箸でトマトをつまむと俺に差し出してくる。

 落ちてしまう前に口で受け取り、咀嚼しながら訊ねた。


「それで、綾音のほうは大丈夫だったのか? 雪奈だってバレたりしなかったよな?」

「……さあね。私も、雪奈ちゃんがまさかあんな風だとは思わなかったから」

「あんな風?」


 言葉を反芻すると、綾音は小さく頷いた。


「翔馬は雪奈ちゃんがいつも教室でどう過ごしてたのか知らない?」

「そういえば、聞いたことないな……」


 ただ、友達は少なそうだ。

 家に遊びに来たのも、桃華だけだったはず。


「雪奈ちゃんね、誰にも話しかけられないんだよ」

「え……」

「ずっと独りぼっち。みんな、私のことを触れちゃいけないモノだって考えてるみたいにね。だから、机の中にも読みかけの本があったよ。何度も読んでるみたいで、けっこう擦り切れちゃってたけど」


 可愛すぎるって罪だね~、と綾音は笑いながら話す。


「私も告白されること何度か会ったけど、あんな風に避けられることはなかった。雪奈ちゃんって、ずっとあんな寂しいところに一人でいたんだね」


 教室には常に人がいる。

 うるさいほどに、賑わっているはずだ。

 その中で雪奈だけが孤立している姿をイメージして、少しだけ悲しくなった。


 そういえば、前に教室を覗いたときもそうだったな。


「……でも、桃華はどうしたんだ?」

「桃華ちゃん?」

「雪奈の友達だよ。あの子だけはいつも雪奈のことを心配してたんだ。ほら、学校で俺と綾音が入れ替わった時にいた子だよ」

「……ああ、思い出した。そういえばいたね」


 綾音は小さく頷く。


「でも、何も話しかけられなかったよ?」

「どういうことなんだ……?」


 桃華は雪奈のことが大好きなはず。

 綾音がいうように、雪奈がずっと寂しい思いをしているなら真っ先に声をかけるはずだ。


 そうしなかったのはどうしてか。

 疑問に思っていると。


「あーん」


 綾音が、今度は卵焼きを差し出してきた。


「悩んでる時間がもったいないよ。昼休みは短いんだから」


 どうやら、ほんの少しの時間でもイチャついていたいらしい。

 苦笑しつつ、差し出された卵焼きを口に含んだ。


 桃華の動向も気になるが、今は綾音との時間を満喫していたい。


 綾音が巻き込まれた事故で、失ってしまった俺たちの時間は二年もある。

 その時間を取り戻したい。


「おいし?」

「うん。まあ、俺が作ったんだけどな……」

「じゃあ、明日は私が作って上げる。私の卵焼き、好きでしょ?」

「いいのか? 綾音の料理たのしみにしてるよ」


 綾音は嬉しそうに笑った。

 その表情をいつまでも見ていたいと思いながら、俺たちの昼休みの時間は過ぎていった。


「はぁ~……翔馬の料理、美味しかったよ」


 弁当を片付けると、綾音は俺の膝の上に載って来た。

 腰に手を回して、落ちないように支える。

 綾音は肩越しに振り返って笑った。


「抱きしめられてるみたい」

「好きだろ、こういうの」

「うん。翔馬に包まれて幸せ……」


 緩んだ笑みを浮かべると、今度は顔を寄せてきた。


「んっ……ちゅ」


 そして、軽いキス。

 顔を離すが、彼女が雪奈になることはもうない。


「これからは、いっぱいチューできるね」

「ほどほどにしないと、ここは学校だからな?」

「今は人がいないよ。お昼休みもまだたくさんあるし……しよ?」


 返事をする代わりに、綾音の身体を抱きしめて唇にキスを落とした。


「んっ……ちゅっ……はむっ……」


 お互いの愛情をむさぼりあうような、深いキスを交わらせる。

 やがて、唾液を含んだ舌を綾音の口へとねじ込んだ。

 一瞬だけ驚いたように身体を震わせるが、彼女も舌を絡めてくる。


「んちゅ……れろっ……あんっ……んっ、んんっ……んはっ……」


 舌を出したまま口を離し、息を整える。

 それぞれの唇から唾液が糸を引く。

 それを見て、またキスしたいという欲望が身体を突き動かした。


「しょう、ま……んちゅっ……あんっ、ちゅ、ちゅ……」


 甘く切ない声を漏らし、綾音はさらに唇を押し付けてくる。

 彼女の愛情が、後悔が、愛しさが、唇を通して全身へとめぐっていく。


「あんっ……ぷはっ……えへ、えへへ……いっぱい、きしゅしちゃった……」


 顔を離せば、綾音は舌足らずな声で言った。

 愛しさが胸の中で爆発した。

 彼女の頬に手を添えて、またキスしようと顔を寄せる。


 その時。


「――何してるんすか?」


 教室の扉が開いた。

 そこに立ったギャルの少女は、腕に『風紀委員』の腕章を着けたまま俺を睨みつけている。


「今朝からおかしいと思ってたんすけど、やっぱりそう言うことなんすね……」


 ジト目で俺を睨む彼女は。


「ソイツ、誰なんすか?」


 桃華は、綾音を指さしながらそう訊ねてきた。


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