第27話 最高で最低な愛情表現

 綾音を病院へ残したまま、俺は一時的に帰宅していた。

 入院すると、洗濯物や身の回りに必要なものを揃えたりしないといけない。

 今日は綾音の選択を持って帰っていた。


 家に帰宅すると、閑散とした空間が俺を待っていた。


 両親が全く帰ってこず、実質、雪奈と二人暮らしをしていた家

 その雪奈さえも返ってこなくなってしまった。


「……くそっ」


 低く呻いて、土間へ上がる。


 服を浴室へ持っていくと、洗濯機に放り込んで洗剤を入れる。

 スイッチを押して洗濯を開始すると、今度は病院へ持っていく着替えを取りに雪奈の部屋へ向かった。


 飛び降りたあの日から、俺は一度も彼女の部屋に入ったことはない。


 緊張しながら扉を開くと、数日前と変わらない状態の部屋が俺を出迎えた。


 本棚が倒され、窓は開きっぱなし。

 外から吹いた風で、カーテンが揺らいでいた。


 部屋の中へ入ると、パラパラと紙が擦れるような音に気づいた。

 机の上にノートが置かれており、窓から吹いた風がページをめくっていた。


 飛び降りた時には気づかなかったけど、ずっとあったのだろうか。


 ノートへ手を伸ばし、最初のページを開く。


「っ……」


 そこには、文字と呼ぶには荒々しすぎる文字が乱雑に書かれていた。


 雪奈は字が綺麗だったはずだ。

 精神の安定を欠いて、こんな風に豹変するなんて……。


 心臓が締め付けられるような痛みを感じながら、次々とページをめくっていく。

 どのページにも、何と書いてあるか分からない文字が連ねられている。

 ただ、そこに書いてあるのが俺への恨み言なのだろうということは予想できた。


 もしくは、自分を責める言葉か。

 いずれにせよ、雪奈をこうしてしまったのは俺の責任だった。


「でも……だったら、どうすればよかったんだよ……!」


 机に握りしめた拳を振り下ろした。

 ドンッ、と鈍い音と共に手が痺れる。


「あの時、雪奈が話してくれなかっただろ……! ちゃんと話してくれたら、結果は変わらなかったかもしれないのに……」


 言葉を吐き出しながら、ページをめくっていく。

 すると、真ん中の辺りである文字を見つけた。


 それは、乱雑に書かれた文字の中で唯一読み取れる字だった。

 台風の目のように、はっきりとそこに記された字はこう書かれていた。


『私が骨になっても、好きでいてくれる?』


「――ッ」


 ノートを閉じた。


 答えは決まっている。

 なのに、伝える相手が居なくて。


「ぐっ……うぁあああ……ッ!」


 膝から崩れ落ち、涙を溢した。



***



 翌日は学校が休みだった。


 着替えを入れた鞄を手に、俺は朝から綾音の病室へと向かっていた。

 病室の扉を開くと、そこには見知った顔が二つあった。


 片方は綾音。

 そして、もう片方は……。


「……沙織?」

「あーっ! 翔ちゃんだぁ~」


 車イスに乗ったまま、沙織はぽわぽわした笑顔を向けてきた。


「いつの間に仲良くなってたんだ……」

「うーん……私も何だかよく分からない内に友達認定されちゃっててさ」


 綾音が苦笑しながら話す。


 沙織は見かけた人全員を友達だと思うカルガモみたいな子だ。

 綾音もそれに巻き込まれてしまったのだろう。


「じゃあ、この子が翔ちゃんの妹ちゃんだったんだね~」

「あ、ああ、そうだよ」


 沙織には、昨日、雪奈のことを話している。

 頷いて答えると、彼女の向こうで綾音がむすっと頬を膨らませていた。


「ちょっと~? そういう二人こそいつの間に仲良くなっちゃったの~?」

「えっと……雪奈がまだ目覚めてないときに会ったんだよ」


 中身は綾音だが、外見では雪奈なのでその名前を使う。

 しかし、『雪奈』と呼ぶたびに心がギュッと締め付けられるような痛みを感じた。


 そんな俺の様子に気づかず、沙織は綾音を見てにやにやしている。


「あれぇ~? もしかして、嫉妬してるのぉ? だいじょうぶだよ~。あたし、別に翔ちゃんのこと取ったりしないから~」

「ホント、ダメだからね! 翔馬は私の彼氏なんだから!」

「お、おい!」


 話がややこしくなる!

 だが、沙織は冗談だと思ったみたいで笑っていた。


「あはは。雪ちゃん、ブラコンなんだねぇ~」

「そうだよ。だから、不用意に仲良くしないで」

「ふぅん? それじゃあ……」


 と、沙織は俺の方へと車イスで移動してきた。

 隣までやってくると、手を握りしめて頬を擦りつけてくる。


「なっ⁉」

「お、おい沙織⁉」

「こういうのとかもダメなのかな~?」


 沙織はにやにやと笑っていた。


 この子、実はSなのかな……。

 昨日も俺のこと、散々イジってきたし……。


「だ、ダメったらダメ! 翔馬も離れてよ!」

「わ、分かってるよ」


 ただ、相手が車イスの少女なので無理に引きはがしたくはない。

 困っていると、沙織が笑いながら上目で見つめてきた。


「こんな状況でも突き放したりしないんだねぇ」

「で、出来るわけないだろ……」

「ふふっ。やっぱり、あなたは優しいね」

「普通だと思うけど?」

「でも、安心したよ」

「え?」

「仲直り、出来たんでしょ?」


 沙織はにこっと笑って言った。

 俺は一瞬だけ言葉を詰まらせた。


「……ああ、仲直りしたよ」

「そっか~。それが分かったら、あたしも思い残すことないなぁ~」


 のんびりとした口調で話すと、沙織は俺の手を放した。

 車いすを反転し、出口へと向かう。


「それじゃあ、また来るね~。あっ、今度は翔ちゃんが私の病室までお見舞いに来てくれてもいいんだけどぉ……」

「だ、ダメ! その時には私も行くから!」


 慌てたような綾音の反応に、沙織は面白がっていた。

 そして、彼女は病室を出ていった。


「……嵐みたいな子だな」

「おかげで、私の心が大荒れなんだけど……」


 むすっと頬を膨らませる綾音。


「ちょっと。こっち来て」

「え?」

「いいから早くっ」


 呼ばれて近づくと、綾音はおもむろに胸倉をつかんできた。


「うわっ!」


 体勢を崩した俺は、そのまま綾音にキスをされた。

 柔らかな唇を押し付けられ、湿った舌をねじ込まれる。

 舌を絡ませながら、熱い吐息を交換するように深いキスを繰り返す。


 五分ほど続いたキスの後、身体を離す。

 お互いの口の端から、涎が糸を引いていた。


「お、おい……ここ病室だぞ……」

「他に誰もいないじゃん。だからいいの」

「まあ、確かに個室だけど……」

「ふふっ。ここならその先もできそうだよね。やってみる?」

「やらないってば……」


 呆れながらため息を溢すと、綾音はくすりと笑った。

 さっきまでの不機嫌さは消えたようだ。


 綾音から解放されて身体を離すと、手に持っていた鞄から着替えを取り出した。

 ベッド脇のクローゼットへ入れていく。


「……ねえ、何かあった?」


 服を片付けていた手が止まった。

 綾音へ振り返ると、心配そうに見つめている彼女に気づく。


「病室に来た時から、ちょっと落ち込んでるみたいだよ」

「……ああ、えっと……」


 綾音にノートのことを話すべきか?

 悩んでいると、綾音が袖を引っ張って来た。


「今回のことは、私にも責任があるでしょ。だから、何か抱えてるなら一緒に悩みたいの」

「綾音……」

「将来は結婚したいって思った幼馴染み同士でしょ? 悩んだ時に支え合うのが夫婦だよ。だから……ね?」


 綾音の優しい言葉に、胸が締め付けられそうになる。

 ぐっと奥歯を噛みしめて、綾音のベッドに腰を下ろす。

 呼吸を落ち着かせてから、ゆっくりとノートのことを話し始めた。


「……そっか。雪奈ちゃんも、私みたいになりたかったんだね」

「綾音みたいにって……?」

「死んで、骨になりたかったんだよ」

「っ……」

「私は骨になっても、翔馬にずっと身に着けてもらえてた。そのくらい好きだって思ってくれた証拠だよ。雪奈ちゃんも同じ……火葬されて骨になっても、翔馬に持っててもらいたかった。翔馬の一部になりたかったんだと思う」


 だから、飛び降りた。

 死んで骨になるために。


「二階から飛び降りても、死ねるはずがないのにね」

「……いや、雪奈は本気で死のうとしてたよ」


 雪奈は背中から倒れるようにして飛び降りていた。

 あれは、落ちた際に後頭部を打とうとしたからじゃないのか?

 後頭部を打てば、流石に死ねるかもしれない。


「それでも、結局は大した怪我もなかったでしょ」


 綾音の身体を見てみる。

 彼女の身体は、どういうわけか傷一つなかったのだ。


 数日間、意識がなかっただけ。

 なので、綾音はもうすぐ退院できる。


「本気で死ぬなら、もっと別の行動だってとれたはず。そうしなかったのは、最後に勇気が持てなかったからなのかもしれないね」

「それか、綾音を越えようとしたかのどちらかだ」

「え……?」


 二年前、俺は綾音が死んだ場面を見ていない。

 デートから帰った後で、事故に巻き込まれたのを聞いただけだ。


「……雪奈は、自分が死ぬ場面を俺に見せようとした。だから、部屋にも鍵をかけずに、俺が来るのを待って飛び降りた」


 死ぬ場面を見れば、その光景は強く記憶に焼き付いてしまう。

 綾音を越えるには、そうやって強烈に記憶を残すしかなかったんだ。


「そっか……最高の愛情表現だね」


 綾音は自虐気味に言った。


「死んだことないから、そんな風に考えられるんだよ……」


 そして、恨み言のように言った。

 俯き、怒りで手を震わせながら彼女は続けた。


「突然、幸せを奪われる辛さを知らないんだよ。だって、考えられる? さっきまで一緒にデートして笑いあってたのに、明日には会えなくなっちゃうんだよ……? それがどれだけ辛いことか分からなかったのかな……!」


 雪奈だって、綾音を失った悲しみを忘れたわけじゃないはずだ。

 なのに、雪奈は行動に移してしまった。


「ふざけないでよ……! 私だって、死にたくて死んだわけじゃない! 翔馬の記憶に残りたくて死んだわけじゃない! なのに自殺しようとするなんて、ただの甘えでしょ!」

「っ……」

「私はもっと生きたかった! 生きて、翔馬と手を繋いだり、デートしたり、キスしたり抱きしめ合ったり……いろんなことしたかったの! なのに、翔馬の記憶に残るためだけに死ぬなんて、絶対に許せない……!」


 バンッ、と。

 綾音は布団の上へ握りしめた拳を振り下ろした。


「……やっぱり、私と生きよ?」

「え……」


 綾音がベッドの上で膝立ちになった。

 両腕を伸ばし、俺を抱きしめてくる。

 首の後ろに手を回しながら、耳元へ優しい声で囁いてきた。


「簡単に命を投げ出しちゃう子なんて、もういい。大好きだったけど、やっぱり、大嫌いになっちゃった。だから、私と生きよ。この身体は私のものだから……」

「綾音……」


 身体を離す。

 綾音は、正面で精いっぱいの笑顔になった。


「私、今日から雪奈ちゃんになるよ。雪奈ちゃんの代わりじゃなくて、私が雪奈ちゃんになって翔馬と幸せになる。いいでしょ……ね?」


 綾音の目には迷いがなかった。

 

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