第26話 一度きりしかない人生だから
二階から飛び降りた雪奈は、病院へ運ばれた。
幸いにも大した怪我はなかったが、意識だけは戻っていない。
病室のベッドへ横たわる雪奈。
その脇の椅子に腰を下ろした俺は、布団の中に潜った彼女の手を握りしめていた。
「俺のせいで、雪奈が……」
飛び降りる直前に雪奈が発した一言を思い出して、低く呻いた。
雪奈は知っていたんだ。
俺が綾音の骨を身に着けていたことを。
雪奈がおかしくなったのは綾音とのデートをした日だ。
おそらく、あの日の朝に小瓶を開けてしまったのだろう。
雪奈も綾音の火葬に参加していたので、間近で綾音が骨になったのを見ている。
幼なじみの彼女が真っ白な骨になってしまうのは、トラウマを植え付けられそうなほどのショックな光景だった。
あの時の様子は、俺自身も忘れられそうにない。
そんな綾音の骨を身に着けていたんだ。
綾音のことがどれだけ大事に想っているのか、雪奈に伝わってしまった。
だが、そんな骨は綾音とのデートで置いてきてしまった。
その上、雪奈とのデートで『プレゼントする』と言われたネックレスは着けなかったのに、綾音からもらったネックレスは着けてしまった。
雪奈よりも綾音の方が大事なんだと思われても仕方がない。
「……雪奈、ごめん……ちゃんと謝らせてくれ……」
俺は彼女の白い手を握りしめ続けた。
雪奈は目を開かない。
***
数日が経っても、雪奈は眠ったままだ。
病院に許可をもらい、学校終わりに毎日病室で寝泊まりしていた。
だが、一向に様子は変わらない。
不安を覚える。
もし、このまま目を覚まさなかったらどうしよう……。
悩みながら、俺は飲み物を買うために一度病室を出た。
薬品の匂いが漂う廊下を歩き、休憩所へと向かう。
自動販売機でコーラを買い、近くのベンチへ腰を下ろした。
「はぁぁ~……」
「おにーさん、ため息ついてると幸せが逃げちゃうよ?」
その時、声が聞こえてきた。
ふと顔を上げれば、一人の少女がにこっと笑っていることに気が付いた。
生前の綾音と同じ、亜麻色の髪をした少女。
歳は俺たちとあまり変わらないくらい。
身長は低く、身体も細い。
そんな彼女は、車いすに乗っていた。
「ええと……」
「あたし、
「お、俺は真白翔馬だけど……」
「じゃあ翔ちゃんだね!」
「距離の詰め方がおかしくない?」
訊ねると、彼女は笑った。
「人間ってさ、生きてる時間が平均でたった80年しかないんだよぉ? その時間の中で出会える人の数にも限りがあるしぃ、出会ったら即特攻! って勢いで距離詰めなきゃ勿体ないのおもうのぉ~」
出会ったらみんな友達!と言いたいのか?
よく分からないけど、人のよさそうな少女ではある。友達も多そう。
「それで、篠原さんは――」
「沙織でいいよー!」
「じゃあ、沙織さ――」
「敬称とか邪魔だと思わない?」
「…………沙織は、何で俺に話しかけてきたの?」
「落ち込んでる人を見ちゃうとねぇ、放っておけないんだよぉ」
沙織は背後へ振り返り、病室のある廊下へ向いた。
「病院ってさぁ、落ち込んでる人が多いんだよぉ。私、ここ長いからたくさん知ってるんだぁ」
「長いって……?」
「あっ、私ねぇ結構重い病気なの」
あっさりと言った。
「ご、ごめん……」
「ううん。謝らなくていいよぉ」
沙織は苦笑した。
「みんな、あたしの病気のことを話すとそういう反応してくるんだぁ。でもね、なっちゃったものは仕方ないしぃ、前を向けばいいんだって思うのぉ」
「そ、そういうものなのか……」
「うんっ。それでさぁ、翔ちゃんはどうして落ち込んでたのぉ?」
「……」
俺は言葉を詰まらせてしまう。
自分のせいで妹が飛び降りたことを話せば、流石にこの少女でも引くんじゃないか?
そう、思ったのだが……。
「私たちぃ、友達だよね? 何でも話していいんだよぉ」
「だから、距離の縮め方がおかしいって!」
ツッコミを入れるが、沙織は無視して俺の手を握って来た。
「何でも話していいんだよぉ? おねーさんが聞いてあげるから」
「お姉さんって……そんなに歳、変わらないように見えるけど……」
「あたし、大学生」
「え⁉」
「ウソ」
「だったら、何歳なんだよ……」
「女の子に歳を聞いちゃダメなんだゾ」
「うっ……ごめん」
「まあ、男の子なんだけどね」
「え……?」
「ウソだよー」
「…………」
「あはーっ」
笑われた。
ほぼ初対面なのにめっちゃ弄んでくるんだけど、この子……。
「……分かったよ。事情を話すから」
沙織との会話に頭痛を感じた俺は、素直に雪奈のことを話した。
「……ふぅん。今もその雪ちゃんは眠ってるってわけねぇ」
そして、俺の妹との距離も途端に縮めてくる沙織。
「あだ名で呼べばみんな友達だって思ってない?」
「思ってるー。だから、翔ちゃんともともだちー」
にこっ、と沙織は笑った。
その笑顔を見ると、反論することができなくなってしまう。
「ちゃんと雪ちゃんに謝ったら許してくれると思うよぉ?」
「……そうかな? 雪奈が飛び降りる前、話すら聞いてもらえなかったのに……」
「ううん。大丈夫だよぉ」
沙織はこちらに身体を寄せてくると、俺の頬を両手で挟んできた。
至近距離で見つめられる。
「ちょっ……」
「翔ちゃんは誠実な人だって目、してるから。きっと大丈夫!」
「っ……」
「あっ! 沙織ちゃん、こんなところにいた!」
その時、看護師が沙織の方へ駆け寄ってきた。
「見つかっちゃったぁ~」
「今日は検査だから部屋で待っててって言ったのに」
「えへっ。ごめんなさぁい。それじゃあね、翔ちゃん!」
頑張ってね~と、沙織は手を振りながら看護師に車イスを押されて病室へ戻っていった。
彼女が居なくなった後、ベンチに座りながら俺は雪奈のことを考えた。
「……悩んでても、仕方ないよな」
ここで後悔し続けていても仕方がない。
沙織の言ったように、生きている時間は有限なんだ。
後悔しないように、やろうと思ったことはその場ですぐにやるべきだ。
次に雪奈が目覚めた時に、ちゃんと謝ろう。
許してくれるかは分からないが、許してもらえるように罪を償いたい。
俺は自らの両頬を叩いて立ち上がった。
コーラを飲み干すとゴミ箱に捨てて、病室に向かって歩き出した。
***
病室に戻ったが、雪奈は相変わらず眠ったままだ。
ベッドの脇の椅子に座り、彼女の手を握る。
すると、その瞼が静かに持ち上がった。
「雪奈ッ⁉」
ついに目を覚ましたんだ!
俺は彼女の顔を覗き込みながら、溢れそうになる涙を堪えて言った。
「雪奈……本当にごめん! 俺、お前を傷付けるつもりはなかったんだ! 雪奈の気持ちが晴れるように罪は償う! だから、その……」
「……ごめんね」
雪奈は手を伸ばし、俺の頬を撫でた。
柔らかな笑みを浮かべると、彼女は言った。
「私、綾音だよ」
「ッ……」
どうやら、眠っている間に入れ替わってしまったらしい。
あれ?
でも、キスはしてないはずだよな……?
疑問に思う俺の前で、綾音は病室を見回した。
「どうして病院なの?」
「……実は、雪奈が飛び降りたんだ」
「ッ……」
目を見開く綾音へ、事情を話す。
雪奈が飛び降りた原因を教えると、綾音は悲しそうな表情を浮かべた。
「……そっか。私のせいでもあるんだね」
「いや、綾音のせいじゃ……」
「ううん。私のせい。雪奈ちゃんの気持ちを考えずに、あのネックレスをあげたせいで……」
綾音は眦から一筋の涙を溢した。
「上手くいかないね、私たち……みんな幸せになりたいだけなのに、どうしてこんなに幸せになるのが遠いのかな……」
「……俺だって、二人を幸せにしてやりたいよ」
できれば、平等に。
どちらかを選ぶのではなく、二人ともを幸せにしたい。
「俺、ちゃんと雪奈に謝るよ。謝って、雪奈のことも綾音と同じくらいに大事なんだって話すから」
「しょうまぁ……?」
綾音は少し不満げに眉を寄せた。
そんな彼女の頭を撫でて、続ける。
「ごめん……俺はやっぱり、二人のことが大事なんだよ。どちらかを選べば、どちらかが傷つく。そんなこと、出来ないから」
「むぅ……優柔不断。浮気野郎の最低男ぉ~……」
「反論の余地もないな……」
二人の少女を好きになっても、両方と結婚できるわけじゃない。
それが、今の社会だ。
「……でも、私だってほんとは分かってるよ」
かすれた声で、綾音は言った。
「私たちのやってたことは、どちらかが傷ついて不幸になるって。雪奈ちゃんのことも大好きだけど、翔馬に選ばれずに幸せになれなかったら……多分、憎む」
「だったら、俺が何とか説得するよ。雪奈に、二人ともを選んでもいいって言ってもらえるように」
「私だって、翔馬のこと独り占めしたいんだけど?」
「お前だって、俺と雪奈の両方を選べないくせに」
綾音は肩を震わせ、目を逸らした。
「図星なんだな」
「う、うるさいっ!」
慌てたように叫び、綾音は布団を頭まで被った。
「……分かったよ。私、もう雪奈ちゃんと競ったりしない。翔馬に二人とも幸せにしてもらう」
「それじゃあ……」
「ただし、ちゃんと幸せにしてくれなきゃ怒るからね?」
布団から目元だけ出して、こちらを見つめる綾音。
「私たちのこと、二人とも幸せにしてくれる?」
「……もちろん」
頷くと、綾音はにっと笑った。
布団から顔を出すと、そっと唇を突き出す。
顔を寄せると、綾音は小さく囁いた。
「雪奈ちゃんとちゃんと仲直りしてね?」
「うん。絶対に約束する」
そして、俺たちはキスを交わした。
唇が離れ、彼女の身体は雪奈に戻る。
瞬きしてこちらを見つめる彼女へ、俺は話しかけた。
「雪奈、その……色々とごめん! 俺、本当にダメな兄貴で――」
「どうして……」
彼女は身体を起こした。
俺の顔を掴み、正面から見つめてくる。
桜色の唇を戦慄かせながら、彼女は言った。
「私……綾音だよ」
「え……?
彼女の言葉に、呆然とした声が漏れた。
「も、もう一度キスして!」
綾音に言われ、俺はキスをする。
何度も、何度も何度も――。
だが、彼女は綾音のままだった。
「ウソでしょ……」
十数回目のキスの後、顔を離した綾音が唇に震える手を添えながら言った。
「入れ替われない……?」
頭が真っ白になった。
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