第25話 私の方が似合うんじゃない?


 綾音の家から帰宅したころには、外はすっかり暗くなっていた。


 手を繋いで帰宅した俺たちは、玄関をくぐると手を放した。靴を脱いで土間に上がると、リビングへ向かう。


「はぁ~。今日はいっぱい歩いた気分~」

「ていっても、お前の家からそんなに離れてないけど」

「何だろうね。心がいっぱいなのかな」


 久しぶりに母親と会ったのもあるのだろうか。

 綾音はソファーに腰を下ろして、隣を叩いた。

 彼女の隣に座ると、腕を抱きしめられる。


「翔馬が隣にいてくれると、もっと幸せだけどね」

「綾音……」


 綾音と雪奈は、俺とのデートでどちらが相応しいかを決めると言っていた。

 この二日間のデートだけで決めるのかは分からないが、いずれどちらかが消えるという約束だ。


「……やっぱり、どちらかじゃないといけないのか?」

「うん。翔馬と付き合うのは、私だけでいいよ」

「綾音は雪奈のことが好きだって言ったよな? だったら、雪奈にも消えてほしくないんじゃ……」

「それでも、翔馬のことは諦められない。雪奈ちゃんが正面からぶつかってくるなら、私も約束は違えたりしない」


 二人の意見をどうにかして変えたかったが、無駄なのかもしれない。


 俯いていると、綾音が立ち上がった。

 正面へ回ってきて、しゃがみこむ。

 床を向いた俺と視線を合わせると、にっと笑った。


「でもね、期待もしてる」

「え?」

「翔馬なら、何とかしてくれるよね?」

「っ……」

「……それじゃ、入れ替わるよ」


 綾音は俺の首へ腕を回すと、キスを交わしてきた。

 いつもなら舌をねじ込んでくるのに、今日は触れるだけのキスだ。


 唇を離せば、綾音の人格は消え――。


「……おかえりなさい、兄さん」


 ツンと冷たい表情をした雪奈へ変化する。


「……ああ、ただいま」


 作り笑いを浮かべると、雪奈へそう返した。

 笑顔になれないのは、綾音が最後に残した言葉のせいだ。


 俺なら何かできるのか?

 二人を納得させて、どちらかが消えるなんてバカげた約束を反故にするような方法が……。


 悩む。


 すると、雪奈が目を見開いていることに気づいた。


「……兄さん、そのネックレス……」


 雪奈が見ていたのは、俺が首から提げていた音符のネックレスだ。


 小瓶のネックレスは綾音の部屋に置いてきた。

 急に変われば、驚くのも無理はない。


「色々あって、綾音に貰ったんだ。綾音がまだ生きてた頃に買ってくれたらし「――私のはいらないって言ったくせに」」


 ぐいっ、と。

 雪奈がネックレスを掴んで引っ張って来た。


 鎖が後ろ首に食い込み、痛みが走った。


「ぐっ……ゆ、雪奈……?」

「……どうしてですか。何で私じゃダメなんですか……」

「き、昨日のネックレスのことか? あれはごめん! でも、今度はちゃんと雪奈のプレゼントも受け取るから……」

「そういうことじゃないですよ!」


 雪奈はネックレスから手を放すと、肩を突き飛ばしてきた。

 ソファーの背に身体がぶつかる。


「兄さんの……ばか……ッ!」


 雪奈は立ち上がると、床を強く踏みながらリビングから出て行ってしまった。


「ま、待て!」


 慌てて雪奈を追う。


 廊下へ出ると、階段を上る音が聞こえてくる。後を追ったが、雪奈は自室に入ってしまった。


 雪奈の部屋の前まで移動してドアノブを捻るが、鍵を掛けられていて開かなかった。


「雪奈! ここを開けてくれ! ちゃんと話をさせてくれ!」

「……私は、もういいんです」


 突き放すような声がドアの向こうから聞こえた。


「……今は放っておいてください」


 そう言ったきり、雪奈はドアの向こうから返事をすることも無くなってしまった。


「……何してるんだよ、俺は」


 廊下の壁に背を持たれかけ、ずるずると床に座り込む。

 片膝を立てると膝頭に肘を置いて、前髪を握りしめた。


 雪奈が怒るのも当然だ。


 昨日のデートで、雪奈が買ってくれると言ったネックレスを断ったのだから。

 あの時、小瓶のネックレスに執着しないで素直に受け取っていればこうはならなかったのに……。


「……ごめん。雪奈」


 最後に扉に向かって謝ると、俺はリビングへ降りた。


 雪奈がドアの向こうから返事を返すことはなかった。



***



 その夜、夕食を作って雪奈の部屋へ向かったが返事はなかった。

 仕方ないので部屋の前に夕食を置いて寝ることにした。

 しかし、翌朝になっても夕食は残されていた。


 学校へ行く時間になっても雪奈は部屋から出て来ておらず、俺は一人で学校へ行くことになった。


 一日授業を受けたが、ずっと上の空だ。


 綾音に何とかできると期待してもらっているのに、情けない。


 でも、すべては自分が悪いことだ。

 自分で何とかするしかない。


 そう思いながら一日の授業を終えて昇降口に立った時、桃華の姿を見つけた。


「雪ぽよ、何かあったんすか?」

「……いや、何でもないんだ」

「そんなはずないっすよ。今日は学校を休みましたし、連絡しても全然返してくれないんすよ?」


 桃華は心配そうな顔で、スマホの画面をこちらに見せてきた。

 雪奈と桃華のラインでのやりとり。

 雪奈は既読すらつけていない。


「いつもツンツンしてますけど、雪ぽよって真っ先に既読をつけるんすよ?」


 知ってる。

 俺の時もそうだから。


「……ちょっと、家で色々とあったんだ。明日にはちゃんと学校へ行けると思うから」

「……分かったっすけど、何かあったら言ってくださいね?」


 桃華は不満げに言った。


 俺は彼女に背を向けて帰路へ就いた。

 家に帰って、もう一度ちゃんと謝ろう。


 決意を固めて歩いていた時、ある店が目に入った。


「アクセサリーショップ……?」


 普段は通り過ぎているオシャレな外観をした店だ。

 ガラス張りの店内には、若い女性のお客さんが数人、見える。


 男一人……それも、高校生が入るような場所じゃない。

 けれど、俺は導かれるように中へ入った。


 店内にはデュフューザーでも焚いているのか、爽やかな香りが漂っていた。

 ネックレスが陳列してある前に立ち、眺めていく。


 雪奈と二人で行ったプラネタリウムで売られていた物よりも、こちらの方が本格的で値段が高い。


 その分、精巧に作られていて綺麗だ。


「……あっ」


 その中に、一つ気になるものを見つけた。


 ハートの形をしたネックレスだ。

 二つで一つになる仕掛けになっていて、カップルが着けるようなもの。


 それを手に取り、値段を見てみる。

 ……かなり高い。

 今はまだ、手が出せそうにない。


 ため息を溢し、俺は店を出た。

 やっぱり、普通に謝ろう。

 夕暮れの道を、一人歩いて帰った。


***


 帰宅すると、雪奈の部屋へ真っ先に向かった。

 昼飯に作ったおにぎりが、ラップに包まれたまま廊下に放置されてある。

 雪奈は昨日から、何も食べてない。


「……雪奈、そろそろ話をさせてくれないか?」


 訊ねる。

 だが、返事はない。

 寝ているのかもしれない。

 無視されているのかもしれない。


 心にズキンと痛みが走る。

 ドアノブに触れ、額を扉に軽く押しあてると小さく息を吐いた。


 ……少しだけ、扉が開いた。


「っ!」


 鍵が、かかっていない?


 心臓がばくばくと、脈を早める。

 息を呑んだ。


「雪奈……開けるぞ?」


 断りを入れてから、扉を開ける。


 ――雪奈が窓枠に立っていた。


「え……」


 雪奈は俺の方を向いていた。

 窓は開いており、後ろに重心を傾ければ落ちてしまう。


 そんな状況の中で、夕日を背中に浴びた彼女は静かに泣いていた。


「な、何してるんだ……危ないだろ!」

「……もういいの」

「もういいって……」


 雪奈は首を振り、苦しそうな笑みを浮かべた。


「私は、綾ちゃんみたいになれないから。兄さんに大事にされるためなら、もうこうするしかないの」

「何を言ってるんだ……俺は、雪奈のことも大事だって」


 白銀の髪を揺らして。


「そのネックレス、似合ってるね。前のネックレスもよかった。だけど……」


 雪奈は笑うと。


「私の骨の方が、似合うんじゃない?」


 身体を後ろへ傾けた。


「雪奈ぁあああッ!」


 手を伸ばして駆け出す。


















 だが、窓に到達する頃には……雪奈は地面にその身を打ち付けていた。

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