第22話 ネックレスの中身


 プラネタリウムの上映が終わり、館内がゆっくりと明るくなっていった。

 他のお客さんが出るのを待ってから、俺たちは最後に出ることにした。


「とても綺麗でしたね」

「そ、そうだったな……」

「そこは『雪奈の方が綺麗だった』って返すところですよ」

「いや、雪奈は綺麗というよりも可愛いの方が近いからな」

「ふへへ……兄さんに褒められちゃいました」


 雪奈は俺の腕に抱きつきながら、だらしない笑みを浮かべた。


 喜ぶ雪奈に対し、俺はさっきの言葉を思い出して内心で歯噛みしていた。

 俺はやっぱり、どちらかを選ぶことなんてできない。

 だけど、それは自分のことしか考えていないエゴだ。


 雪奈や綾音の気持ちを考えるなら、どちらかを選んでどちらかと付き合うべきだ。

 そう理解してもなお、心は黒い霧に覆われているみたいにもやもやしていた。


「あっ、あそこでアクセサリー売ってますよ」


 その声に顔を上げる。


 出口を抜けたすぐ目の前に、アクセサリーやお菓子などを売っている店があった。

 全て星にまつわるものらしく、俺たちと同じようにプラネタリウムから出たばかりの他のお客さんの姿もある。


 雪奈が目を付けたのは、その中でひと際輝いているネックレスだった。

 星の形をしたネックレスもあれば、星の砂というキラキラした砂粒の入ったガラス瓶のネックレスなんかもある、


 雪奈はその中の一つを手に取った。


「綺麗ですね。こういうの、たまに着けたくなります」

「なら、一つ買うか? 雪奈にプレゼントするよ」

「え⁉ で、でも、今日は私が兄さんを楽しませるのが目的ですし……」

「いいって。雪奈が喜んでくれるなら、それで十分だからさ」


 雪奈は頬を染めた。


「……じゃあ、兄さんの分は私が買ってあげます」

「え?」

「ほ、ほら、カップルでおそろいのものを着けるのもいいじゃないですか。兄さんって、いつもそのネックレスを着けてますけど、たまには別のものを着けても――」

「ダメだ」


 思わず、強い否定の言葉が出てしまう。

 雪奈は目を丸くしていた。


「……どうしてですか? 私とお揃いのものを着けるのは嫌なんですか?」

「あ、いや……そうじゃなくて……」


 俺は視線を逸らした。


「このネックレス、できれば外したくないんだ」

「……前から思ってましたけど、そのネックレスって何なんですか?」


 雪奈が首を傾げて訊ねてくる。


「二年前からいきなり着けるようになりましたよね。それまで、兄さんはそういうものに一切興味を持たなかったのに……」

「……これは、綾音の形見なんだ」


 俺は、苦し紛れにそう言い訳した。

 半分は本当で、半分は嘘だ。


「へぇ……」


 雪奈は相変わらず怪訝そうに睨んでくる。

 俺はその視線から逃れるように、正面の壁に掛けられていたネックレスを手に取ってみた。


 三日月の中に星が輝いているようなデザインのネックレスだ。


「ほら、こういうのとかどうだ? 雪奈に似合うと思うけど」

「……兄さんが言うなら、それにします」


 「分かった」と答えて、俺はレジへ向かった。

 背中に、雪奈からの視線が突き刺さるようだった。


 全部無視して、レジで会計を済ますと雪奈の元へ戻る。


「お待たせ。それじゃあ、行こうか」

「せっかくですし、着けてくださいよ」


 雪奈は髪を持ち上げながら言った。

 白い髪が、流砂のようにさらさらと指の隙間から零れ落ちていく。

 甘えるような目で見つめられ、つばを飲み込んだ。


 買ったばかりのネックレスを袋から取り出し、留め金を外して雪奈に近づく。


「んっ……」


 首へ手を回すと、雪奈が甘い吐息を溢した。

 耳にかかった吐息に少しだけ緊張しながら、震える手でネックレスを着ける。

 身体を離すと、雪奈は持ち上げていた髪を下ろした。


 自らの胸元で輝くネックレスを指先でつまむと、上目になりながらこちらへ見せてくる。


「どう、ですか……?」


 少しだけ頬を赤くしながら、くすぐったそうに笑う雪奈へ「似合ってるよ」と返した。


 その可憐さに、心臓が高鳴るのを抑えられない。

 ドクドクと、雪奈への好きだという気持ちが血液に乗って全身へ巡っていく。


 雪奈ははにかむと、再び俺の腕に抱きついてきた。


「兄さんのプレゼント、大事にします。それで、毎日着けますね」


 嬉しそうな雪奈を見ると、プレゼントしてよかったと思う。

 喜びを全身で表しているかのような彼女を連れて、俺たちは帰路へ就くのだった。



***



 帰宅後、雪奈と綾音が入れ替わった。


 リビングのソファーで隣り合って座ると、綾音は俺をジトーっと睨み上げてきた。


「ど、どうしたんだ?」

「ネックレス、買ったんだ。へぇ~?」


 俺の首へ手を伸ばすと、こちらの首に提げていたネックレスを掴んだ。


「翔馬にはこんなに素敵なネックレスがあるのに」

「お、俺の分はないよ。雪奈の分だけ買ったんだ」

「どうして買わなかったの?」

「……このネックレスを外したくないから」

「ふふっ。そんなに私のことが大好きなんだね」


 綾音は安心したような笑みを浮かべた。

 その表情を見て、罪悪感が胸を刺した。


「雪奈には、同じネックレスを着けようって言われた。でも、俺は断ったんだ……」

「断ったこと、後悔してるの?」

「……してるかもしれない」


 俺の着けているネックレスは、ただのネックレスじゃない。

 綾音の形見で、世界に一つしかない代物だ。


 だから、このネックレスの代わりなんてない。

 他のネックレスを着けるなんて、あり得ない。


 だけど。


「雪奈と同じネックレスを買えば、同じくらいに大事なものになったのかな」

「……」

「あっ、ごめん。別に、このネックレスが大事じゃないってわけじゃないんだ」

「分かってるよ」


 綾音は苦笑すると、俺の肩に頭を載せてきた。

 彼女の首から提げた星のネックレスが胸の上を滑った。


「明日は、私が翔馬を満足させてあげるから。絶対に、私しか考えられなくしてあげる」


 綾音は、俺を安心させるかのように笑顔を向けてきた。

 かつて生きていた彼女の笑顔に、何度助けられたことか。

 思い出しそうになって、泣きそうになった。


「……明日は、一緒に楽しもう」


 彼女の頭を撫でると、小さく首肯した。


 夜は更けていく。

 明日は、綾音とのデートだ。



◆◆◆



 翌朝、は兄さんのベッドの上で目を覚ましました。

 ベッドの上では、兄さんがあどけない表情でまだ寝ています。


「くっ……綾ちゃんってば、また寝てる間に兄さんと勝手にキスしましたね……」


 キスすると、二年前に死んじゃった幼馴染みと入れ替わってしまう私たち。

 初めに気づいたときには驚いたけれど、よく考えれば少し前から変だと思っていました。


 夜中にこっそりと兄さんとキスしていた時に、気づいたら朝になっていたから。


 それが起きたのは、私が学校の階段から落ちてしまった日以降のことでした。


 それまでは、兄さんが寝ている間にキスしてこっそりと部屋に戻っていたんです。

 なのに、ある日から一度キスすると、朝になるまで兄さんのベッドで眠っているようになっていました。


 まさか、それが綾ちゃんの仕業だとは思いませんでしたけどね……。


「ともかく、朝ですし兄さんを起こさないと……」


 カーテンの隙間からは、朝の陽ざしが僅かに漏れ出しています。

 私は料理ができないので、兄さんに作ってもらわないといけません。

 うぅ、やっぱり兄さんのお嫁さんになるためには花嫁修業も必要でしょうか……。


 悩みながら兄さんへ手を伸ばしかけた、その時――。


「……これって」


 兄さんの枕元に、いつも着けているネックレスを見つけました。

 昨日、私がネックレスを買おうとした時には拒否されてしまいましたが……。


「そもそも、このネックレスって何なんだろう……?」


 兄さんがネックレスを着け始めたのは二年前。

 もっと細かく言えば、綾ちゃんが死んだ後から。


 兄さんは綾ちゃんの形見だと言ってたけれど……。


「そもそも、綾ちゃんってそんなにネックレスとか着けてなかったはず……」


 密かに持っていた可能性もあるけれど、小瓶に白い塊が入っているだけの……正直、ダサいネックレスを着けたがる女子がどこにいるんでしょうか。


 兄さんは嘘を吐いている。

 その嘘の正体が、どうしても気になってしまう。


 だから……。


「ごめんなさい、兄さん」


 静かに寝息を立てる兄さんへ、こっそり断りを入れてネックレスへと手を伸ばしました。


 軽く小瓶をゆすると、白い塊がその中でカラカラと音を立てました。


 軽い?

 けど、固い……。


「石、じゃないよね。コレ……」


 不思議に思いながら、私は小瓶のコルクを開けてみました。

 小瓶を手のひらの上で逆さにして、白い塊を出してみます。


 やっぱり、石じゃない。

 それよりももっと軽くて、その表面がポロポロと崩れていて……。


「へ……?」


 そして、塊の一部が黒く焼け焦げているのを見つけて。

 ぞわっ、と鳥肌が立ちました。


「い、嫌ッ⁉」


 小さく悲鳴を上げて、思わず手のひらに乗った白い塊を落としてしまいました。

 けれど、それを拾う勇気はありませんでした。


 ……よく考えてみれば、すぐに分かることだったんです。


 兄さんがこれを着け始めたのは二年前。

 綾ちゃんが死んだ後から。

 けれど、綾ちゃんはネックレスを持っていない。


 なら、兄さんが『形見』だと言ったのは、ネックレス自体じゃなくてその中身だとすれば……。


「う、嘘でしょ……そんな……そんなはず、ない……!」


 口に両手を添えて、引きつった声を上げながら後ずさりました。


 私は気づいてしまった。

 兄さんの狂気に。

 兄さんの愛の深さに。


 兄さんが肌身離さず着けていたネックレス。


 その中に入っていたのは――だったのですから


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