第20話 密談とパスタ

 帰宅した後も、夕食を作りながら雪奈や綾音のことを考え続けていた。

 雪奈は部屋に行ってしまい、今はキッチンに一人だ。


 夕食はパスタにしようと思っている。

 これなら、口移しとかやりにくそうだし。


「って、何で口移し前提で料理作ってるんだ、俺は……」


 若干、二人の行動に適応しつつある自分に呆れていると、リビングの扉が開いた。


 二階の自室から降りてきた雪奈は、制服から部屋着のTシャツへ着替えていた。

 膝の上の辺りまであるぶかぶかなTシャツで、一見すると下に何も穿いてないように見える。


 ……何か穿いてるよな?

 雪奈なら穿かないこともあり得そうで怖い。


「兄さん、少し協力してくれませんか?」


 鍋に入ったお湯に塩を振りかけていると、雪奈が隣まで歩いてきた。


「協力って……今、夕食作ってるところなんだけど……」

「キスしてほしいんです」

「…………」

「何でそんなに嫌そうな顔するんですかっ」

「だって、昨日からめっちゃやってるし……」

「大好きな彼女とのキスですよ! そんなに引かなくてもいいじゃないですかっ」


 むぅ、と頬を膨らませて不満を露わにする雪奈。

 子どもっぽくてちょっとかわいい。


「綾ちゃんに大事な用事があるんですよ」


 雪奈と綾音は一つの身体を共有しているので、俺がキスして入れ替わらないと意思疎通ができない。


 ただの欲求不満ではなかったらしい。


「分かったよ。キスするだけでいいのか?」

「綾ちゃんに『私の机の上にあるメモを見てほしい』と伝えてほしいんです」

「何の話しようとしてるんだ?」

「あとで教えてあげます」


 何をしようとしているのかは分からないけど、キスだけなら料理の片手間にできる。


 指先でつまんでいた塩を全て鍋の中に入れると、雪奈へと振り返った。

 身体を少しだけ屈めて、雪奈の身長に合わせる。

 雪奈も背伸びして、俺の首の後ろへと手を回してきた。


 甘い蜜のようなキスをして身体を離すと、彼女は目を瞬かせた。


「あれ? まだ約束の時間じゃないのにどうして入れ替わったの?」

「そういえば、二人って入れ替わる時間を決めてたんだっけ」

「うん。雪奈ちゃんが学校に行っている間の時間だけ、家では私と入れ替わるようにってね。ちょうど夕食が終わる頃かな」


 それって、たぶん夕食を食べながら二人で鳥の親子ごっこするつもりだろ。

 その流れで入れ替わる予定だったな。


「って、今日パスタじゃん! これじゃあ、翔馬に食べさせにくいよぉ!」

「やっぱりそれが目的かっ。……そんなことよりも、雪奈から伝言だ」


 「伝言?」と首を傾げる綾音に、雪奈から伝えられていたことを話した。


「……部屋に行けばいいのね。分かった」


 綾音は頷くと、いきなり背伸びして俺の頬にキスしてきた。


「って、おわっ⁉」

「えへへっ。あとでまたチューしようね?」


 ひらひらと手を振り、リビングを後にする。


「不意打ちはズルだって……」


 俺は心臓がバクバクと脈打つのを感じながら、料理を再開した。

 といっても、パスタを湯がいてレトルトのソースを湯煎するだけだ。

 そう時間はかからないのだけど……。


「――翔馬! キスしよ、キス!」

「って、もうメモ読んできたのか?」


 雪奈の部屋でメモを読んできたらしい綾音が、再びリビングへ戻って来た。

 パタパタと、子犬が飼い主に駆け寄るような仕草でこちらに走ってくる。


「ってか、二人は何を話してるんだ?」

「あとで教えてあげる。まあ、教えるのは雪奈ちゃんになりそうだけど」


 意味深に笑って、綾音は俺の身体を抱きしめながら背伸びしてキスしてきた。

 柔らかな唇を離すと、その人格は雪奈へ変わっている。


「どうでしたか?」

「何か、楽しそうな雰囲気だったけど……何の話なんだ?」

「兄さんには後で説明します。私もメモを読んできますね」


 雪奈は一度、俺の身体を抱きしめてから踵を返した。

 リビングの扉をくぐり、二階へ向かう。


 その間に、鍋に入れたお湯が沸騰していた。

 パスタを入れ、隣のコンロで別の鍋に水を満たす。

 ソースを湯煎するためのお湯だ。


 ソースとパスタの両方の準備を同時に進めていると、再び雪奈がリビングへ戻ってくる。


「ほら、キスしましょう、キス!」

「またか――んむっ⁉」


 キスして入れ替わり。


「それじゃ、メモ見てくるね~!」


 綾音はリビングを飛び出していった。


 その後も、二人は何度か同じやりとりを繰り返した。

 同時にパスタも徐々に出来上がっていく。


「よしっ。あとはソースの湯銭が終われば――」


 ソースの湯銭の様子を見ようとした時、リビングの扉が開かれた。

 雪奈の身体をした綾音が入ってきて、こちらに駆け寄ってくる。


「翔馬~! き――」

「あーはいはい。またキスね。今、手離せないから勝手にして」

「って、ちょちょちょいッ! 段々と雑になってきてない⁉」


 綾音が横っ腹を小突いてきた。


「いや、そりゃあ昨日からあれだけされたらドキドキもしなくなるって」

「それじゃあ、もっと大人なキスしてみる?」

「それより、もう夕食だぞ」

「話聞いてよぉ!」


 文句を言う綾音へ顔を向けると、その口をふさぐように唇を交わした。


「んぐっ!」


 綾音は顔を真っ赤にしながら、俺の後ろ頭を掴んで舌をねじ込んでくる。


 唾液をかき混ぜながらのキス。

 いやらしい水音がぴちゃぴちゃと鳴り、身体が熱く火照ってくるのを感じた。


「――ぷはっ」


 呼吸の限界に近づいてきた頃、俺たちは唇を離した。

 入れ替わった雪奈は、唇の手を添えて小さく震えている。


「うぅ……またこんなキスを綾ちゃんとしたんですね……」

「雪奈にもしてあげるから」

「絶対ですよぉ?」


 ジト目で睨んでくる雪奈。

 嫉妬している姿に愛しさを感じながらも、俺は皿に盛りつけたパスタにソースをかけた。


「ほら、夕食もできたし、話し合いは後にして飯を食べよう」

「あっ、少しだけ待っててくれますか?」


 雪奈は慌てた様子で二階へ上がっていった。

 不思議に思いながらもリビングの机にパスタを並べていく。


 二人分の料理を隣になるように並べ終えた頃、雪奈が戻ってきた。


「お待たせしました」

「それじゃあ、夕飯に……」

「はいっ。ついでに、私と綾ちゃんが話してたこと、教えますね」


 雪奈は手に持っていたノートを広げて言った。

 中には、二人のやりとりを記したのだろうメモが書かれている。


 雪奈は不真面目だけど綺麗な字をしている。

 習字を習っていたわけでもないのに、一つひとつの文字が一切の狂いなく並んでいる。

 部屋はあんなに汚かったのになぁ。


 対して、綾音の字は汚い。

 ギリギリ判別できるような文字が並んでいるのだが、その一部を読むことができた。


「……放課後デート?」

「はいっ」


 雪奈はノートを手にしたまま頷いた。


「食べながら説明しますね。せっかく兄さんが作ってくれた料理が冷めてしまうのは勿体ないですから」


 雪奈は席に着いた。

 俺もその隣の席に座ると、二人一緒に手を合わせて「いただきます」と言う。


「それで、放課後デートって何のことだ?」


 パスタをフォークに巻きつけながら訊ねると、同じ仕草をしていた雪奈が手元を見下ろしながら言った。


「昨日、ふたりで入れ替わってどちらが兄さんに相応しいか競ってた時に、分かったことが一つあるんです」

「分かったこと?」

「私たち、結局お互いに張り合って同じことしかしてないんです」


 昨日の出来事を思い出す。


 夕食の時、雪奈が鳥の親子みたいに食べさせあったかと思えば、綾音も張り合うように同じことをしてきた。


 その後の風呂だって、綾音が背中を流してくれたのと同じように、雪奈も背中を流してくれた。


「けど、それの何が問題なんだ?」

「兄さんに相応しい方を選ぶはずなのに、張り合って同じことをしても意味がないんです。違いがないと兄さんの反応を見るのも判別しにくいんですから」


 俺から見れば、二人は同じ姿をしている。

 二人が同じアプローチをしても、見ているこちらは同じなので似たような反応になってしまう。


「だから、放課後デートってことか……」


 雪奈は首肯した。


「身体は同じでも、人格は別です。なので、別々の日にデートをして、兄さんの反応を伺います。その時、どちらが兄さんを満足させられたのかを競うんです」

「といっても、二人の記憶は共有できないんだろ? どうやって試すんだよ」

「兄さんの顔を見れば、その日のデートでどれだけ満足したのか分かりますよ」

「えぇ……」

「だって、妹と幼馴染みですから」


 さすが、世界で一番俺のことを知っている二人だ。


「というわけで、明日からは私たちのデートに付き合ってもらいますね! デートが終わり次第、私たちは入れ替わって兄さんの反応を見ます。それで、どちらがより満足させられたかを判別してみますから」


 雪奈は得意げに言うと、フォークに巻いたパスタを口へ運んだ。

 その横顔を見ながら、苦笑を溢す。


「まあ、それでも二人がデートしてくれるなら、同じような反応になると思うけど」

「むっ……綾ちゃんには負けませんから! 私の方が、絶対に兄さんを満足させてみせます!」


 雪奈はぷいっと顔を逸らしながら言った。

 小さな頭を少し撫でてから、俺もパスタを食べ始めた。


 夕食が終わった後で、二人は一度入れ替わった。

 綾音からのアプローチが始まるのかと思ったが、「デートするからそれまで我慢する」と話した。


 その日は何事もなく、夜を過ごした。

 翌朝には綾音と雪奈が入れ替わり、学校へ登校。


 そうして、あっという間に放課後になってしまい……。


「……お待たせしました」


 放課後、昇降口で待っていた俺に、雪奈が話しかけてきた。

 放課後デートの一日目は雪奈だ。


 雪奈は俺の手を握ると、こちらを見上げた。


「行きましょう。今日は、絶対に兄さんを満足させてみせますからね」


 やる気満々で言い、俺の手を引いて歩きだした。

 こうして、俺たちのデートが始まるのだった。

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