第19話 どちらを選ぶべきなのか――?

 翌朝の朝食も、雪奈に鳥の親子ごっこで食事を食べさせあった。

 二人は何度も入れ替わったが、学校へ行くために雪奈が最後に入れ替わった。


 朝から、すでに何回もキスしている。

 少しだけ疲れながら家を出ると、雪奈の異変に気づいた。


「どうかしたのか? さっきまでベタベタだったのに……」

「学校に行っている間は、綾ちゃんに入れ替わることはできません。そんな状況なのに、私だけ兄さんを独占してしまうのは不公平じゃないですか」

「二人にとっては勝負事じゃなかったのか? 不公平とか考えてる場合じゃないと思うんだけど……」


 って、何で俺がアドバイスしてるんだろう。

 しかし、雪奈は首を振る。


「それじゃあ、ダメなんです。綾ちゃんと正々堂々ぶつかって、ちゃんと勝たなきゃ意味がありません」


 変なところで律儀な部分があるらしい。

 まあ、雪奈がそれでいいというのなら口出しはしないでおこう。


 その日は平和に学校までたどり着くことができた。

 雪奈と階段前で別れて、一人で自分の教室へ向かう。

 教室に入ると、自分の席へ着こうとして……。


「うわっ……お前、その顔何なんだよ……」


 前の席に座る宗介へ訊ねた。

 彼の右の頬が赤く腫れ、湿布を貼っていたのだ。


「兄貴のことで親と揉めてよ……この通り、殴られた」

「お前の家、殺伐としてるな……」

「そういうお前こそどうしたんだよ。朝から疲れた顔してるけど」

「ちょっと、色々とあってな……」


 周囲に目を配らせる。

 クラスメイトは、こちらの話を聞いていない。

 今なら、宗介にも事情を話せる。


 それに、宗介には綾音が転生したことを話している。

 事情を知っている彼なら、少しは力になってくれるかも――


「いや、そもそも妹と付き合う意味が分からん」


 分かり合えなかった。


「いや、だって雪奈は可愛すぎるから仕方ないんだよ」

「俺と兄貴のことは分かってるだろ?」


 宗介は湿布の上から頬を撫でた。


「普通、そんなに仲良くなること自体ありえねぇんだよ。俺と兄貴ほど仲が悪いわけじゃなかったとしても、結婚するとか付き合うとかは別次元だ。どちらかを選べって言うなら、間違いなく元カノちゃんを選ぶよ。俺ならな」

「だけど、それで選んだらどっちかが消えるんだぞ? そんなの出来ないよ……」

「お前が責任を負いたくないから、妹ちゃんとその幼馴染みちゃんは二人で争ってるんだ。なら、お前に責任はない」

「そんな無責任なこともできないって」

「最初に選ぼうとしなかったお前が悪い」


 ぐうの音も出ない。

 俺がどちらかの気持ちに応えるとはっきりしていれば、二人が対立することもなかったかもしれないのだから。


「……それでも、俺は同じくらいに二人が大事なんだ」

「だったら、お前は妹ちゃんと子供を作れるか?」

「はぁ⁉」

「男女が付き合う理由なんて、子孫を残すためだろ。そもそもそれができないなら、付き合う意味がない」

「結構ドライだな……」

「いいから答えろよ。できないなら、付き合う意味もないんじゃないか?」

「それは……」


 思わず言い淀んでしまう。


 綾音が雪奈の身体に転生した日、俺は彼女から迫られた。

 その時、俺の身体は一切の反応を示さなかった。


 いくら雪奈のことが好きでも、本能的に実妹と生殖はできない。


「……だったら、答えは出てるんじゃないか?」


 宗介がそう話した時、チャイムが鳴った。

 話を中断して、彼は前を向く。

 教室の扉が開き、教師が入ってきてホームルームが始まった。


 俺は先生の話を右から左へと聞き流しながら、雪奈への想いが本物か悩むことになった。



***



 その日は一日、授業に集中できなかった。

 結局、俺がどうするべきなのかは答えが出ないままだ。


 そうこうしている間に放課後になってしまった。

 雪奈と一緒に帰るため、昇降口で待つ。


 そこへ、桃華がやって来た。


「このシスコン!」

「いきなりそれ?」

「本当のことっすよ! ウチの目の前であんなイチャつくなんて……ぐすっ! 許せないっす~!」


 そういえば、昨日は桃華の目の前で雪奈とキスしたんだった。


「それに、あの時の雪ぽよの様子、変じゃなかったっすか? まるで別人みたいに」

「ええと、それは……」

「今日だって雪ぽよは授業にも集中できてなかったっすよ! 雪ぽよが席を離れた時にノートを勝手に見たんすけど、『兄さんを落とすためには?』って色々メモってたっすよ!」

「勝手に人のノートみるなよ」

「問題はそこじゃねーっすよ!」


 桃華はさらにずいっと身体を寄せて、睨んでくる。


「二人は本当に偽装カップルなんすよね? だったら、授業にも集中しないであんなメモを取るはずないっす! 何を隠しているんすか?」

「俺は雪奈じゃないから分からないなー」

「誤魔化すの下手なんすか! 答えるまで放さないっすからね!」


 そして、俺の服を掴みながら桃華は言った。

 思ったよりも力が強い。


 本当に白状しなければ、ここから逃げられないみたいだ。


「ぐっ……分かったよ。桃華の前であんなことをしちゃったし、事情は話す……」


 目の前で入れ替わったところを見られたし、宗介よりも理解してくれるはずだ。

 そう信じて、『雪奈の身体に元カノが転生した』と話したのだが……。


「頭打ったんすか?」

「どうせ信じてもらえないって思ってたよ!」


 ジト目で睨む桃華に、思わず叫んだ。


「ええと……それで、まさか今日一日、先輩の元カノさんが入れ替わってたってことっすか? 嘘を吐くにしてももっとマシなものがあるでしょうに……」

「いや、学校で授業を受けてたのは雪奈だよ」

「だったら、あのメモは何なんすか!」

「二人が俺を巡って争ってるんだ」

「先輩の顔、そこまでイケメンじゃないっすよ、現実見てください!」

「ナルシストになったわけでもないからな⁉」


 桃華は頭を抱えてしまった。


「本当のことなんだよ。俺を巡って、どちらかが勝ったら身体の所有者になるって言ってて……」

「はぁ⁉ それじゃあ、雪ぽよが負けちゃったらどうなるんすか⁉」

「約束だからな。身体は綾音のものになるかも」

「そんなの絶対にダメっすよ~!」


 振り上げた拳で俺の胸の辺りを軽く叩いてきた。


「雪ぽよが雪ぽよじゃなくなるなんて、絶対にダメっすからね⁉ ウチは、人をゴミのように見ている雪ぽよが好きなんすよ⁉」

「そんな不純な理由で好きだったのかよ!」

「兄妹で付き合ってる先輩に言われたかないっすよ!」


 言い争っていると、別の靴音が近づいてきた。

 二人で振り返れば、雪奈がこちらに向かってくるのが見えた。


「兄さん、余計なことは言わないでください」


 感情を載せていない絶対零度の目が、俺を睨んだ。

 クールモードの雪奈、やっぱり怖いよ……。


「わ、悪かったって。けど、ちょっと相談したくてさ……」

「相談なんてしてもむだですよ」


 冷たく切り捨てながら、雪奈は上履きを脱いで下駄箱へ入れた。

 代わりに取り出した靴を地面に置いて履き替える。


 一連の動作を見つめながら、俺は思考の旅へ脳を巡らす。


 宗介に話した時には綾音と付き合うべきだと言った。

 兄妹で付き合うのはおかしいから。


 だが、桃華はその逆。

 雪奈のことを慕っている子がいるのだし、やはり雪奈を選ぶべきだ。


 二つの意見がさらに脳を混乱させてしまう。

 その間にも、雪奈は靴へ履き替えてこちらへ歩み寄って来た。

 俺の腕を取り、胸を押し付けるようにして抱きしめてくる。


「それでは、行きましょう兄さん」

「あ、ああ……」

「待ってくださいっす! まだ話は……」

「これから兄さんと大事な話があるので。さよなら、桃華」

「う、うんっ。えへ、えへへ……また睨まれちゃった……♡」


 大丈夫だろうか、あの子の頭は。


 心配する間もなく、俺は雪奈に腕を掴まれたまま昇降口を後にした。

 グラウンドを横切り、校門から学校の敷地外へ出る。

 歩いてしばらくは生徒の姿もあったが、やがてそれも無くなった頃になってようやく雪奈が口を開いた。


「まったく……私たちの状況を理解してもらえるはずがないじゃないですか。相談しても無駄ですよ」

「あ、ああ……そうだよな……」

「それに、兄さんは何も考えなくていいんです。すべては、私たちが決めることですから」

「…………」


 本当に、何もしなくていいのか?


 二人は争っている状態だ。

 どちらかが勝って、どちらかが負ける。


 勝敗が決まれば、どちらかが身体を所有すらできなくなる。死んでしまうのだ。


 俺は二人を失いたくない。

 やっぱり、どうにかして説得しなきゃいけない。


「――兄さんの言いたいことは、分かりますよ」


 俺の悩みを見透かしたのか、雪奈はため息交じりにそう溢した。


「私たちは、いわば命がけで兄さんを巡って争ってるんです。どちらか選ばれなかった方が、二度とこの身体に表れることはないという約束です。それは確かに死も同然ですよ。でも、やっぱり兄さんにとってのたった一人の特別でいたいんです」


 雪奈は立ち止まった。

 俺の前へと回り込み、背伸びしながら身体を寄せてくる。


「……どうして、そこまでするんだ」

「好きだからですよ」


 雪奈は恥ずかしげもなく言った。


「兄さんを独占したい。私だけの特別でいてほしい。そう願うのは、やっぱり好きだからじゃないですか。兄さんだって、私を独占したいから私に告白してきた男子を追い払ったんじゃないですか?」


 数日前、雪奈が告白されると知って心の中で焦りを感じていた。

 話だけでは『雪奈がモテる』というのは聞いていた。

 けれど、実際に告白を目の当たりにすると焼けるような痛みが心を蝕んだのだ。


 あの時感じた感情は、明らかに俺が雪奈のことが好きだという証拠だ。

 兄妹としての『好き』じゃない。


 恋人として、自分だけ特別で居てほしいというエゴの感情――。


「兄さんだって、本当は理解してますよね。好きになるって、どういうことなのか」

「……ああ。たぶん、分かってる」

「だったら、邪魔になるようなことなんてしないでください。兄さんは何もしなくていいんです。私たちが勝手に決めるだけですから」


 雪奈は冷たい口調で突き放すように言うと、踵を返して歩きだした。

 小さな背中を追いかけて、俺も足を踏み出す。


 雪奈の言っていることは正しいのかもしれない。

 誰かの特別になりたいと思うのは、何もおかしなことじゃない。


 そして、これは二人の戦いだ。

 俺が邪魔するべきじゃない。


 それでも。


「――本当に、それでいいのか?」


 答えの出ない考えを、考え続けた。


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