第2話 いつのまにかクラスメイトのお兄ちゃん的存在になっていた

 二年前、幼馴染みの一ノ瀬綾音は事故死した。


 二人で出かけた水族館デートの帰り道でのことだった。

 それぞれの家へ帰ろうとしたのだが、その途中で彼女は車に轢かれたらしい。


 あんなことになるのなら、俺が家まで送ってやればよかったと後悔した。

 だが、雪奈が家にいたので遅くまで出掛けられなかった。


 綾音がいなくなってから、俺は抜け殻のようになっていた。

 死んだほうがマシだと考える日々が増え、部屋に引きこもって学校にさえ行かなくなった。


 そんな時、助けてくれたのが雪奈だった。

 綾音を失って絶望している俺に、彼女は言ったんだ。



『――私が、綾ちゃんの代わりになります。兄さんの恋人になります。だから、これからは私と一緒に幸せになろう?』



 あの日から、俺たちはただの兄妹ではなくなった。

 心の隙間を埋めるため、綾音の代わりに雪奈と付き合っている。


 純粋な気持ちで恋人になったわけじゃない。


 俺たちの恋は、不純で心の有り様を映すかのように酷く濁っていた。



***



 この日、俺たちのクラスではテストの返却があった。

 つい一週間ほど前に中間テストが終わったばかりだった。


 教壇に立つ先生からテストの答案用紙を受け取ると自分の席へと戻る。

 その時、目の前の席に着いていた級友の甘城宗介あまぎそうすけが振り返った。


「はぁ~……」

「わざわざ人の目の前でため息つくの、やめない?」

「ああ、すまんすまん。俺の不幸を誰かに押し付けたくてな」

「不幸の押し売りやめてくれない?」

「いやぁ、この点数だとマジでヤバい。また親に小言言われるわ……」

「そんなに悪かったのか?」

「うん、78点だ」

「俺のテスト買い取れよ」

「テストの押し売りやめてくれ」


 うるせぇ、こっちは42点なんだぞ。

 低いとか言っておきながらお前の方が点数高いじゃねえか。


 そうツッコミたかったが、宗介にも事情がある。


「兄貴と比べられるんだよ。兄貴は有名どころの大学に行っちまったからな。俺もそれを求められてるってワケ」

「兄が優秀だと大変なんだな」

「他人事みたいに言うけど、お前だって妹がいるだろ。雪奈ちゃんは成績いいんだろ?」

「おう! 学年一位なんだぞ! すごいだろ⁉」

「妹のことになると、ほんっと親ばかみたいになるよな!」

「俺の妹は世界一可愛いから仕方ないだろ」


 どぎつい下ネタかましてくるし、部屋は片づけないし、甘えてばかりで家事もロクにできなければ深夜までゲームばかりして朝も全然起きてくれないけど。


 ……あれ?

 あいつのどこが可愛いんだっけ?


「まあ、妹が可愛いのは分かるよ。昨日も、昼休みに校舎裏で告白されたって聞いたぜ」

「校舎裏……って、まさかあの薄暗いとこか?」


 この学校の校舎裏は、数年前まであった園芸部が使っていた花壇がある。

 その向こうにはゴミを捨てるための焼却炉もあるのだが、今ではほとんど使われることがなく薄暗い場所になっている。


「ま、結局は失敗したみたいだけどな。しかも相当冷たくフラれたみたいで、『もう女子に告白するの辞める』とか言ってたらしいぞ」

「なんか、俺の妹がごめん……」


 雪奈は俺に対しては甘いのだが、他人には冷たい態度を取ってしまう。

 特に、自分に告白してくる相手にはとことん冷たい。

 昔から告白されることが多く、その半分以上が冷やかしだったのが原因だ。


「噂だと、他校に彼氏がいるとか言われてるけどな。実際のところ、どうなんだ?」


 他校どころか同じ学校……しかも同じ家で暮らしている……。

 なんて、言えるはずもない。


「……まあ、彼氏はいるってことだけは言っておくよ」

「マジか。あんな氷みたいな子でも彼氏ができるんだな」

「はぁ? 雪奈は可愛いだろ。冷たいように見えて、本当は優しくて人に気遣いができる子なんだからな。あの態度だって素直じゃないだけで内心ではめっちゃ照れてたりするんだぞ」

「妹のことになると急に早口になるな⁉」


 仕方ないだろ。

 全部本当のことだし。

 てか、思ったよりも可愛いところあったな。


 そんな話をしている間に、テストが全員分返却されていた。

 教壇に立った先生が、テストの解説を始める。


 俺たちは正面へ向き直り、採点された解答用紙を睨みながらその解説を聞くことにした。


「……雨、降って来たぞ」


 教室の誰かが、窓の外を見ながら呟いた。

 空には墨をぶちまけたような雲が広がり、雨粒が静かに降り注いでいた。



***



 今日の授業が全て終わり、放課後になった。

 あれから雨はさらに激しくなり、窓を強く叩きつけている。


「さて、そろそろ帰るか……」


 荷物を纏めて、宗介と一緒に立ち上がろうとする。


「翔馬! ちょっといいか?」


 そこで、クラスメイトの男子が話しかけてきた。

 頭を金色に染めて、ワックスで毛を逆立てている。

 一目で俺とは住む世界が違うと分からせてくれる彼の名は、小林小太郎という。


 ……見た目ヤンキーなのに、地味な名前だ。


「悪ぃんだけどさ、今日、掃除代わってくれねえか?」

「部活……じゃないよね」

「ああ。今日は委員会の方。俺、体育委員だからな。もちろん用事があったりするならいいんだけどさ……」

「いや、俺も別に用事とかないからいいよ」

「マジか!」


 小林は感激したように俺の手を握って来た。


「さっすが俺らのお兄ちゃんだぜ!」

「俺をお兄ちゃんって呼んでいいのは雪奈だけだ!」

「お、おう……そんなマジにならなくてもいいだろ……」

「ああ、ごめんごめん。つい熱くなっちゃったな」

「怖ぇよ、このシスコン」


 小林がちょっと引いていた。

 何でだ?


 首を傾げていると、今度は女子が近づいてきた。


「翔馬くん! こっちも手伝ってもらっていい?」

「お兄ちゃん、おねがーい!」

「だから、お兄ちゃんじゃないって!」


 他のクラスメイトにも囲まれてしまい、結局帰ることが出来たのは帰りのホームルームが終わって一時間後のことだった。


「はぁ……やっと終わった」

「相変わらずパシらされてるな……」


 全員分の相談事に乗っている間、渋々手伝ってくれた宗介が呆れたように言った。


「いや、パシリってほどじゃないよ。困ってるみたいだから助けてやってるだけだ」


 クラスメイトから頼まれたことは基本的に断っていない。

 おかげで、クラスメイトにお兄ちゃんと呼ばれていた。

 雪奈と兄妹だというのが有名だから、というのもあるだろう。


「けど、そのおかげでみんな翔馬のことを頼りにしているみたいだけどな」

「俺なんて、ただの陰キャだぞ。頼られるほどじゃない」

「そういう謙虚なところも、女子にとっては魅力的なのかねぇ……」

「ん? 何の話?」


 話が見えなくて質問で返すが、宗介は「何でもない」と誤魔化してしまった。


「ま、程ほどにしないとマジでパシらされるようになるぞ」

「大丈夫だって。みんなそういう人たちじゃないし」

「なんか……弟妹にだけ甘いお兄ちゃんみたいだな」

「だから、お兄ちゃんじゃないって」


 ツッコミを入れると、宗介はからから笑った。

 俺の妹は雪奈だけでいいんだけどな。



***



 用事が終わると、宗介と別れて帰ることになった。

 といっても、俺はまだ学校に残っている。


 クラスメイトの手伝いをする前に、雪奈にラインで「帰るのが遅れる」とメッセージを送っていた。

 すると、雪奈から「終わるまで教室で待ってます」と返信があった。

 

 というわけで、一年生の教室へ向かう階段を上っている。

 ウチの学校では、学年が下がるごとに教室が上に行くようになっている。


「にしても、結構濡れてるな……」


 窓の外はまだ雨が降り続いている。

 教室に雨が入り込んだのか、足元の床は濡れていた。


 気を付けながら階段を上がらないと……。


 そう思っていると、ふと頭上から足音が聞こえた。

 目線を上げれば、雪奈の姿があった。


「兄さん、遅かったですね。まあ、別に私は何とも思ってませんが。妹を放置してクラスメイトの手伝いをしてることになーんの気持ちも湧いてきませんけど」

「ちょっと面倒な怒り方するなよ……」

「怒ってません。ほら、早く帰りましょ? ……家に帰ったら、覚悟しててくださいね?」


 俺、何かされるのか?

 子守唄代わりに下ネタ聞かされるとか?

 夢に出そうで怖い。


 苦笑いしていると、雪奈が階段を降りてきた。

 だが――。


「あっ……!」

「雪奈ッ⁉」


 雪奈が足を滑らせ、その身が宙に浮かんだ。

 慌てて、その身体を受け止めようとする。


 ――衝突。


 ゴツッ、とお互いの頭がぶつかり合い、唇に柔らかなものが触れた。

 だが、唇に感じた感触も一瞬の出来事。


 次の瞬間、俺は背中から床に倒れ込んだ。


「いたた……」


 額を押さえながら、身体を起こした。

 次いで、さっき感じた唇の感触を思い出す。


 まさか、こんなことで雪奈とキスすることになるなんて……。

 って、そんなことを考えてる場合じゃなかった。


「大丈夫か、雪奈……?」


 腕の中には雪奈がいた。

 彼女の肩を軽く叩いて、声をかける。


 だが、返事がなかった。


「ゆき、な……?」


 返事のない雪奈に、心臓の鼓動が嫌な音を奏でて脈動していた。




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