第40話.続く溺愛の日々

 


 お仕置きへの欲求は高まるばかりだが――しかし同時に、セシリーは理解していた。


 ジーク本人が言った通り、もう彼は以前のようにセシリーを可愛がったりはしない。

 スウェルとグレタのような夫婦には、自分たちはなれないだろう。でも、それでもいいと思っていた。


(ジークが私のことを好きでいてくれるなら……)


 小説に出てくるような甘い言葉に、溺れるような生活でなくても構わない。

 ジークが居てくれて、彼と楽しい時間を過ごすことができればそれでいい。


 だからお仕置きというのも、デコピンとかでいいと思っていた。

 それだって恋人同士のイチャイチャであることに違いはないのだ。それくらいなら、きっとジークだって苦ではないだろう。


 けれどジークは、顔をしかめると。


「……セシリーは、ひどいな」


 そんなことを言うものだから、セシリーはきょとんとしてしまう。

 セシリーが今までやらかしたことは数多い。身に覚えがありすぎて、どれを指して「ひどい」と形容されているのか分からなかったのだ。


「俺が今までどれだけ我慢してたと思ってる?」

「はぁ。我慢」

「セシリーをぐちゃぐちゃにしてやりたくて、俺だけのことしか考えられない身体にしてやりたくて、それでもずっと堪えてたのに」

「……はぇ」


 何やら今、ジークがとんでもないことを口走った気がする。

 ぶわぁ、と顔を赤らめるセシリーの顔を、ジークが覗き込む。


「い、今なんて」

「そうやって俺を、口ばっかりの男だと好き勝手に罵る。でもそれなら――もう、何をされてもいいってことだよな?」


 頬を、ジークの手が撫でる。

 それだけで、ぞわぞわと――セシリーの背中に鳥肌が立つ。


 怖いような、逃げ出したいような。

 それなのに全身が痺れたようで、動けない。魅入られたように硬直するセシリーの亜麻色の髪を、ジークが撫でる。彼が触れたところすべてに、セシリーの神経が集中してしまう。


「え、あ、待って……」

「待たない」


 あっという間だった。


 視界がくるりと回って、気がつけばセシリーはシーツの上に押し倒されていた。

 熱っぽい目をしたジークに睨むように見据えられて、身動きができない。


 いつもならば「ちゅっちゅして」とねだっていたはずの場面なのに、ジークが怖いくらい表情を鋭くしているものだから、そんな軽口は喉からこぼれてこなかった。


 だってたぶん、セシリーがそんなことを口にしたら……ジークは、止まらなくなってしまう。

 知らない場所まで連れて行かれてしまう気がして、急に怖くなった。


「だ、だめ。ジーク。だめ……だって私たちまだ、婚約してるだけで」

「駄目? 仕置きしてほしいと俺にねだったのは誰だ?」

「……っ」


 はしたないとセシリーをいじめるように、ジークがうっすらと笑う。

 シーツの上に投げ出された細い両手を、ジークが頭の上で拘束してしまう。片手で掴まれているだけなのに、セシリーは逃げることができなかった。


「ああ。少し掴んだだけで、こんなに赤くなっちゃったな」


 痛ましげにジークが呟く。その視線はセシリーの両手首を見ている。

 宥めるように血管の上を、ゆっくりとさすられれば……セシリーはびくりと震えてしまう。


「……こんなのおかしいわ、ジーク」

「何がおかしい? 俺たちは婚約者なんだ。誰にも止める権利はない」


 セシリーの頬に、ジークが唇を寄せる。


 額に、頬に、鼻筋に、首筋に……触れるか触れないかの距離で唇が動いて、そのたびセシリーはおさえつけられたままの膝を、小刻みに震わせてしまう。

 捲れ上がったスカートの裾をジークは直すどころか、露わになった白い太ももをどこか煽情的な眼差しで見やるだけだ。


 潤む瞳で見上げても、ほのかに目元を染めて応えるだけで、ジークはセシリーの目元にキスを落とした。


「悪いが、どんなに可愛く鳴いても今日だけは許してやれない。俺の我が儘を聞いてくれ」

「ジーク……っ」


 セシリーはだんだんと、耐えられなくなってきた。

 ジークの気持ちはよく分かった。じゅうぶんすぎるほどに伝わった。


 でも、それでも、どうしても言いたいことがある。




「――いやおかしいでしょ!!!!!!!」




 とうとうセシリーは我慢できずに叫んでいた!


「破壊力増しすぎ!! おかしい!! 薬は切れたって言わなかった!? その舌の根も乾かぬうちにどういうことなの!?」

「破壊力? お前が壊れないように気遣っているつもりだが……そうだよな、それくらいセシリーは小さくて柔らかい。だけどそんなお前を、壊してしまいたいという衝動を今の俺は抑えきれないんだ」

「それそれそれそれ! ね! 口下手な人が逆立ちしても言う台詞じゃないわ! 青白い月光を浴びながら竪琴で恋歌を奏でる詩人のレベルに達してるじゃないの! ロマンチックすぎてこっちが不安になるのよ!!」


 力を抜いたジークの手から逃れて起き上がったセシリーは、がくがくがく! と彼の肩を揺さぶる。


「き、気がついてないの? 薬が切れる前よりもおかしいの! ジーク、今、ちょっとおかしいの!」

「でもセシリーのことを思うと、自然と言葉が出てくるんだ」

「ほら! ほらおかしいもん! もうおかしいもん!」


(どういうこと? 本当は薬は切れてないの? でもお母様は鑑定魔法を使ったって言ったし……)


 微笑むジークはどうしてしまったというのか。セシリーにはもう、何が何やら分からない。

 すると窓からバアアァン! とでっかい音がした。鳥でも体当たりしたような音である。


「きゃあああ!?」


 あるいは、昼間から幽霊でも出たのだろうか。泣きながらジークに抱きつくセシリー。ジークは役得とばかりにしっかりと抱きしめている。

 怯えるセシリーの耳に、外から何やら女性の声が聞こえてくる。


「セシリー! 恋人同士の語り合い中に美しい女が割り込んでごめんなさいね!」

「お母様!?」


 なんとグレタだった。先にランプス邸に帰ったと思っていたが、まだ居残っていたらしい。

 カーテンこそ閉まっているので、その細いシルエットが見えるだけだが、グレタはお構いなしに話し出した。


「そういえば言い忘れたなと思ってたのよ。アンタが作った『飲ませた相手に対して、とんでもなく素直になる薬』なんだけど……たぶん飲ませて数分くらいで効果は切れたと思うわ!」

「……はい!?」

「まぁアンタ、魔女としては半人前以下だものね。これからみっちり良い薬が作れるようにわたくしが鍛えてあげるわよ。それじゃあ、ごゆっくり~♪」


 グレタの足音が遠のいていくと、ジークが顔を近づけてくる。


「……ということは、そうか。俺はただ、最初からセシリーのことが好きなだけなんだな」

「ちょっと……ジーク!?」


 何かに納得したように微笑むジークは、悪戯っぽい色を瞳の中に浮かべている。


 人を溺れさせてしまうような言葉の数々が、自分の身の内から出てきたものだと実感したおかげか。

 先ほどまでの申し訳なさそうな表情はさっぱりと消えて、今のジークは余裕と自信に満ちている。


「それなら良かった。俺はこれからも今まで通りセシリーを愛するだけだ。……安心してくれ、セシリー」


(そ、そう言われても……っ)


「言っただろ。俺の溺愛は――――“加速”する」

「…………っっ」


 セシリーとしては、安心とはほど遠い状況なのだが。

 観念しろと言うように、ジークの顔がどんどん近づいてくる。そんな中、セシリーにはひとつだけ分かったことがある。



 グレタはあんな風に言っていたけれど。

 どんな薬だって、きっともう、自分たちには必要ないのだと――。



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