第30話.本当の気持ち

 


 聖空騎士団が、魔獣討伐のために北の山脈に向かう――。


 スウェルからそう聞いたセシリーは、居ても立っても居られなくなった。


 北の辺境とは隣国との国境をまたぐようにして、深い樹海が広がっており、そこには数多くの凶暴な魔獣が潜んでいるという。

 飛竜は能力の特性上、開けた場所のほうが活躍する魔法生物である。鬱蒼と茂る大森林ともなるとどうしたって不利だ。それなのに国王陛下たちは、聖空騎士団の力を鵜呑みにして彼らを危険な任務につかせようとしている。


(わ、私のジークに何かあったらどうしてくれるのよ! シャルロッテ様のお父様だとしてもボコボコにしてやりたいわ!)


 王族相手に殴り込みの予定を立てるセシリーは、すっかり興奮してしまっていた。

 興奮すると他のことを考えられなくなるのは、セシリーの数多い特徴のひとつである。


 そうして彼女はぷんぷんしながら、玄関のドアを開ける。


「ちょっと、ジーク――」

「会いたかった」


 その瞬間、セシリーの華奢な身体は、逞しい体つきのその人に包まれていた。


(!?!!??!?!?!?!)


 セシリーは大混乱だ。

 そりゃーそうである。なんせ約十五日ぶりくらいの抱擁。他人から与えられる体温……。


「ジ、ジジ、ジークッ?」


 死にかけの蝉の羽音のような口調で喋りつつ、セシリーはどうにか離れようとした。

 意を汲んでくれたのか、ジークも身体を離す。セシリーはほっとした。これなら大丈夫。お互いに適切な距離感を保って――。


「もっと顔をよく見せてくれ」

「え、あ、」


 だが、ジークはそのまま離れたのではなかった!


 壊れ物を扱うような手つきで頬を包まれ、優しく持ち上げられてしまえば、触れるほど近くにジークの顔がある。憂いと痛ましさを内包した表情だ。


 凶犬騎士だとかなんだとか言われているけれど、ジークの容姿はとんでもなく整っている。

 その鋭い褐色の瞳に見つめられると、セシリーはドキドキして声も出なくなる。


「風邪を引いたと聞いた。大丈夫だったか? 少し痩せたように見えるな……」

「え、あ、あ、あ、の」


 ジークの目はセシリー相手にはポンコツなので、セシリーは十五日前より一キロ多いセシリーである。


「あ、あ、あ、あ、」

「どうしたんだ、セシリー」


 先ほどからまともに言葉を発することもできないセシリーに、ジークは心配そうな目を向ける。

 セシリーは一生懸命耐えている。だけれど、ジークに熱い眼差しで見つめられながら、何分も耐えられるわけがなくて。


「あ、す、す、す、すき……」


 とうとう、セシリーは言ってしまった。


「! セシリー、俺もだ」

「す、すき……すきっ! すきっ!」


 がばり! と抱き合う二人。

 苦しいくらいの胸の高鳴り。それも、ジークの速すぎる鼓動よりは、少し遅いくらいに感じられる。

 ジークの胸も、腕も、どこもかしこも熱くて、彼に触れているだけでセシリーは自分が溶けていくような気がする。


(いっそこのまま、溶かしてほしい!)


 心から願ってしまうくらいには――セシリーは、ジークのことが好きだ。


 ……そう、セシリーはとっくの昔に気がついていた。


 ジークだから、好きになってしまったのだ。

 例えばアルフォンスやシリルが借金を肩代わりしてくれて、彼らに惚れ薬を飲ませることになっていたとして――きっとセシリーは、心動かされたりはしなかった。


 たぶん、本当は、あのとき。

 ジークがセシリーを溺愛し始めるより前――階段から落ちかけたセシリーをジークが躊躇わずに受け止めてくれた瞬間に、心を奪われてしまっていたのだ。彼に、惹かれてしまっていたのだ。


 ――この人が、私を、好きになってくれたら。

 そう思ってしまったから、迷うことなくジークに惚れ薬を飲ませてしまった。


 そしてあのときより今のほうが、もっと彼が好きだ。

 聖空騎士団長という責任ある立場で、部下たちを指導し、飛竜を育成しながら、睡眠時間を削って頑張る姿が、好きなのだ。


(人を好きになるって、こういうことなんだわ)


 セシリーは惚れ薬なんて飲んでいないのに。

 それでもたぶん、ジークよりもずっと、セシリーのほうがジークのことを好きになってしまった。

 今まで恋愛をほっしながらも無縁に生きてきたセシリーだ。そんな風に思える人ができたことが嬉しくて、同時に、ひどく切ない気持ちにさせられる。


 にじむ瞳を見られたくなくて、ますます強く、しがみつくようにジークに抱きつくと。


「俺はいつから、セシリーのことが好きなんだろうな」


 疑問という風ではなくて。

 ただ独りごちたように、そうジークが吐息を漏らす。セシリーは思わずびくりと震えてしまった。


(本当は……あなたは私のことなんか、好きじゃないのよ)


 そう言ってあげたい。

 でも、今そう伝えたとしても、惚れ薬の効果にやられているジークは納得しないだろう。


 セシリーは深呼吸をする。

 今さら後悔しても遅いけれど、セシリーにはまだジークにできることがある。


(ジークが北の山脈に向かう間に、私は解毒薬を完成させてみせる)


 彼の身は心配だが、聖空騎士団は優秀だ。魔獣たちに負けたりはしない。

 ジークが傍に居なければ、セシリーは心を惑わされたりはしない。ちゃんと、できるはずだ。


(無理かもしれないけどどうにかする。無理かもしれないけど……)


 決意はしていても、難しいものは難しいので、心の中で予防線を張るセシリーである。


 セシリーはジークを見上げ、決然と言う。



「……ジーク。ジークが戻ってきたら、話したいことがあるんだけど」



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