第31話.恋人たちの時間
話したいことがある――。
そう切り出したセシリーに対し、ジークは不思議そうな顔をする。
「今じゃ、駄目なのか」
「だ……駄目よ!」
くわっと目を見開いて拒絶するセシリー。
セシリーにだって心の準備が必要だ。心以上に、解毒薬の準備が必要不可欠である。
次に会ったときには、問答無用でジークに薬を飲ませねばならない。
だから今、彼に言うべきことはひとつもないのだ。
「……そうか、残念だな」
が、なぜかジークは言葉通りひどく残念そうな顔をする。
わけが分からずぽかんとするセシリーの頬を撫でると、ジークは耳元に一言。
「……行かないで、傍に居てって、おねだりされるのかと思ってたから」
イカナイデ。
ソバニイテッテ、オネダリサレルノカトオモッテタカラ――?
(な、なん、なんですって……っ)
ぶるぶるぶる、とセシリーは痙攣するように震える。
裏返せば、それはつまり、ジークがセシリーにそう言ってほしかった……ということになるわけで。
ちらりと顔を見れば、ジークは自分で言ったくせにほのかに目元を赤らめている。
どうやら恥ずかしかったらしい。
(この人……可愛すぎるんだけど?!!!)
セシリーの感情は爆発していた。
臨界点をあっさり突破し、惚れ薬がどうどうという常識を超越し、ジークへの愛おしさだけで辛抱堪らない気持ちになってしまう。
ジークの首にしがみついたセシリーは頬を膨らませる。
「そ、そんなこと言って、私が止めたって行くんでしょ!」
「まぁ、それは。仕事だから」
「ほらやっぱりー!」
ぷっぷく膨れるセシリーは、すっかりご機嫌斜めである。
――否、実際は不機嫌なわけではない。
これは「私はへそを曲げてますよ、だからあなた、がんばって機嫌を取ったほうがいいですよ」というわっかりやすいアピールである!
そしてジークは、それを一瞬で“理解”するデキる男である!
「からかって悪かった。セシリー、機嫌治してくれよ」
「せしりー、知らないもん! じーくのばかばかぁ!」
ぽかぽかしてくる拳を軽く受け止めると、ジークはセシリーの腰と膝裏に手をやった。
「!? っきゃ」
急に、身体が宙に浮かぶ感覚。
驚いてしがみつくセシリー。そんな彼女の耳に、ジークの声が届く。
「ほら、部屋に戻ろう。病み上がりなんだから、身体を休めないと」
恐る恐る、セシリーは目を開いていく。
そうして、自分のおかれた状況を知った。
(おひッ…………お姫様抱っこ!!)
お姫様抱っこが登場しない恋愛小説は、恋愛小説にあらず――そんなことわざができるほどの知名度を誇り、乙女から憧れの眼差しを一心に向けられてきた体勢が、それである。
ひとりの女子を軽々と抱き上げて微笑んでみせるヒーローの、どれほど輝かしいことか!
ここで「重っ」とか「うっ」とか呻いたりした場合は、即座にフラグは叩き折られることとなるのだが、ジークは大地に深く根を張る大木のように悠々と、セシリーのことを抱き上げてみせているのだ。
その安心感たるや!
セシリーは今、太い枝と枝の間に張られたハンモックで眠りにつく、姫君のような気持ちになっていた!
「ほら、行くぞ」
「は……はひ♡」
こくこく頷くしかできないセシリーである。
実はお空デートの際にスノウの口から助け出されたときも、ジークにお姫様抱っこされていたセシリーなのだが……そのときのことは気を失っていて、覚えていないのだった。
驚くスウェルや侍女を置き去りにして、ジークはセシリーの部屋へと向かう。
とろとろと液状になって蕩けそうになっているセシリーの身を、そっとベッドの上に横たえると、ジークは枕の位置を調整して、シーツまで丁寧に整えてくれた。
「水は飲むか?」
「……ううん。大丈夫」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるジークに、セシリーはトキメキが止まらない。
やがてベッドの横にしゃがみこんだジークの手に、セシリーは手を伸ばした。
「……無事に戻ってこないと、許さないんだからね」
「おう。分かってる」
嬉しげにジークが頷く。
ごく自然に、絡めた形で手を握り合った。指と指の間で、ジークをより深く感じられる。
「本当に、本当に本当に、許さないから。怪我をするのも、髪の毛一本を失うのも許さないから」
「けっこう厳しいな」
「当たり前でしょ!……ジークは、だって」
(全部、私のだもん)
その言葉だけは、セシリーはぐっと喉奥に呑み込む。
寂しげで、切なげな表情を、ジークはじっと無言のまま見つめている。
セシリーが、赤い顔でじっと二人の指先を眺めていると……彼女の手の甲に、ジークはそっと唇を落とした。
温かくて、柔らかい。
そんな唇の感触だった。
「俺は必ず戻ってくる。セシリーのところに」
「!!!!!」
それはまるで、死地に向かう戦士が、恋人に告げる誓いのような――。
――いや、実際に飛竜乗りは死亡率が高い危険な職業なのだが。
まさしくそれは、特大ソロホームラン。
誓いを立てる清らかな眼差し。
恋人を勇気づけようという心意気。
口づけたあと、少し恥ずかしそうに伏せられた瞳――そのすべてが、セシリーの心のド真ん中を撃ち抜いていく。
二人が会うのが約二週間ぶりだったという事実も、実に効果的に働いた。
その間、ジークへの思いを封印してきたセシリーだけれど、会えたことで気持ちは噴出状態だったのだ。
そんなとき、ジークに場外ホームランなど打たれてしまえば、野手のセシリーに抗う術はない。
というわけで、すっかり目を回したセシリーは、
「…………はうっ」
「お、おいっ? 大丈夫か、セシリー!?」
一鳴きして、そのまま気絶したのだった……。
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