第26話.夢の終わり
生まれたての子鹿のように震えるセシリーと手を繋ぎ、シャルロッテは飛竜飼育地帯――ではなく、聖空騎士団宿舎へと向かっていた。
時刻は夕方。セシリーが数時間ほど溜め息を吐いていたために、ずいぶん遅くなってしまったが、そろそろ騎士団の仕事が落ち着いてくる頃でもある。
「シャルロッテ様、怖い。私、怖いです……」
「大丈夫よセシリー、少しは落ち着きなさいな」
「うう、ううっ」
ガチガチと歯の根を鳴らすセシリーを引っ張るシャルロッテは、末妹である自分がお姉さんになったような気分であった。
今まで、誰かに頼られた経験はないシャルロッテは気合い十分である。怖い下半身たちとも今なら戦える。そんな気までしてくる。
「あっ、見てセシリー。あそこに下半身だかりが!」
「!!」
シャルロッテの言葉に、セシリーははっと顔を上げる。
日が暮れて、飛竜たちは厩舎に戻されたあとだ。宿舎前に集まっているのは仕事を終えた団員たち。
そしてそんな彼らに囲まれて明るい笑い声が上げているのが――。
(こ、この人がローラ……)
セシリーは呆然としていた。
高身長のジークには及ばないものの、背の高い女性だった。
背中に流れるクリーム色の髪。紫色の輝かしい瞳はアーモンドの形をしている。
化粧は厚いが、とにかく気品があって美しい。そんな彼女の隣には当たり前のようにジークが立っており、二人は顔を見合わせて楽しそうに笑っている。
その光景を見ただけで、セシリーは胃がひっくり返りそうになった。
そんな中、最も早くこちらに気がついたのはローラだった。
「これはシャルロッテ王女殿下、お久しゅうございます」
「ええ、ごきげんようローラ」
一斉に団員たちに傅かれたシャルロッテは、びくりと小さな身体を震わせる。
侍女にそっと背中を支えられ、どうにかその場に踏ん張って立つシャルロッテを、ローラは赤い唇を緩めて微笑ましげに見ていたが……ふと、その視線が動いた。
「あら? そちらのちんちくりんは……?」
セシリーを見て、小首を傾げるローラ。
(ちんちく、りん……)
言い返せないのは、それだけローラがきれいな女性だからだ。
「おい、失礼なことを言うな。彼女は――」
「ジ、ジーク様。こちらの方は?」
ジークの言葉を慌てて遮り、セシリーはそう訊いた。
「ああ。俺の幼なじみのローラだ」
(幼、なじみ――――――)
セシリーの世界から音が消えた。
幼なじみ――それは言わずもがな、特別な関係性である。
友人よりも、ある種では恋人よりも近い……いや、セシリーの統計では、幼なじみは振られる率も高いが……。
「こいつ、連絡もなしに急に帰ってきて。こっちの身にもなれって話なんだが」
「んもう、何よその言い方! そんなこと言って、アタシのこと心配してたんでしょ?」
「まぁ、一応な。腐れ縁だし」
「ジークったら、照れ隠ししちゃって! アタシのこと捜し回ったりしてたんじゃないの?」
「ハァ? するわけないだろ!」
それでも笑い合うジークとローラの顔を見ていると、そんな風には思えなかった。
想い合う二人の間に、セシリーが割り込む隙はない。
セシリーは笑顔らしいものを浮かべて、ゆっくりと頭を下げる。
「シャルロッテ様。私、帰ります」
「えっ! ちょっと! わたしを下半身の海においていくって言うの!?」
シャルロッテが何やらショックそうに騒いでいるが、今のセシリーには聞こえていない。
「セシリー、待っ――」
「ねぇジーク! それでさっきの話なんだけど……」
ジークの声が聞こえた気もするが、それもすぐに聞こえなくなる。
宿舎を離れ、ふらふらとセシリーは歩き続けた。その途中である。
「あれ? セシリーちゃん、もう帰るの?」
「チャラ男……」
セシリーは涙ににじむ瞳で、アルフォンスを見つめる。
すぐに涙に気がついたアルフォンスが、ハンカチを手に駆け寄ってくる。できた男だ。
「どうしたの。なんで泣いてるの?」
「……最初から私、分かってたんです」
「え? 何を?」
「ジークには私なんか、相応しくないって……」
急にネガティブなことを言い出すセシリーに、アルフォンスはぱちくりとしている。
「あの、ローラって方……本当にジークにお似合いだと思います。私なんかよりずっと」
「え? ローラ? ああ、ローラは――」
「いいの! それ以上言わないで!」
セシリーは首を振りたくり、アルフォンスの言葉を遮る。
「いや、でもちがくてさ。ローラは――」
「もういい! もう聞きたくないの!!」
「ちょっとでいいから聞いてよローラは――」
「いい! もういいのよ! 私は!!」
セシリーは思い込みが激しく、そして人の話を聞かない娘であった。
セシリーはうるうると瞳を潤ませる。ジークと過ごす時間があまりにも楽しくて、見ない振りをしていた現実。それとようやく向き合うときが来たのだ。
この数日間の楽しさを思うと、胸が塞ぎそうだったが……それでもこれ以上、ジークの意志を操り続けるなんてことは、セシリーにはできそうもない。
彼の素晴らしき溺愛は、セシリーのためではなく、ローラのためのものなのだから。
人の溺愛を奪ってまで幸せになろうとは、セシリーは思えなかった。
「じゃあ私、これで失礼します!」
「いや、だからローラは――」
セシリーはだだっと駆け出した。
落ち込んでいる暇はない。
セシリーには、まだやるべきことが残っている。
(早急に惚れ薬の解毒剤を、作らないといけないわ!)
ジークを解放してあげなければ。
本当の運命に、彼を戻さなければ。
そう思い込むことで、セシリーは自分の気持ちに蓋をするのだった。
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