第27話.セシリーの涙

 


 ――『セシリーはわたくしの娘だからそれなりに可愛いけど、可愛いだけで愛されるほど恋愛というのは甘くはないの……』



 姿を消す前の晩のこと。

 最後に会った母、グレタはそんな風に言っていた。


 それでも幼いセシリーは思ったのだ。

 それが真実だとしても、セシリーは必ず、白馬の王子様と出会うのだと。


 もしも王子様が道に迷っているならば、自分から駆け出して見つけてみせるのだと――。




「う~ん……ぜんぜんよく分からないわ!」


 グレタの部屋で、彼女の保有する書物を漁っていたセシリーは、書物机で両腕をだらりと伸ばしていた。


 この数日間、セシリーは延々とグレタの書物を読みあさっている。

 グレタの部屋には、貴婦人にしては珍しくかなり本が多くおかれている。昔は恋愛小説を母も読むのかと思って、あまり気に留めていなかったのだが、よくよく眺めるとそれは小説などではなかった。装丁からして古めかしい本ばかりなのだ。


「お母様の持つ文献の中になら、解毒薬のヒントがあると思ったんだけど……」


 セシリーはぱらぱらと本をめくりながら唇を尖らせる。


 そう、それはグレタが保管する魔法薬のレシピ集だった。

 中には惚れ薬よりもよっぽど危険だ、と思うような代物についても書いてある。

 こんな危険なものをふつうに部屋においておいて大丈夫なのか、と思わないでもないが、魔法薬を作れるのは魔女だけだというし、グレタはそのあたりぞんざいな女性だった。


 ほとんどは彼女自身の文字で描かれているが、よそで手に入れたのか、見覚えのない字で書かれたものもある。

 破損しているところやページが抜けているところもあるが……その中に惚れ薬の解毒薬のレシピもあるのでは、とセシリーは考えていた。

 しかし今のところ、それらしき記述はさっぱり見当たらない。


「はあぁ…………ジーク、元気にしてるかしら?」


 もう四日間もジークに会っていない。

 自然と呟いて、セシリーははっと顔を強張らせる。


 いけないと分かっているのだが、少し気が抜けるとジークのことを考えてしまう。

 いや、逆だろうか。本当はずっとずっとジークのことを考えて、気を張り詰めている。気が抜けたときだけ、本音が漏れてしまうのだ。


 惚れ薬によって、セシリーはジークの心をねじ曲げてしまった。

 恋愛小説のヒーローたちも揃って居住まいを正すような、甘々な態度や言葉で、ジークはセシリーへの愛を伝えてくれた。思い出すだけで涎が出そうなほど素晴らしい溺愛っぷりだった。


 ――だが、薬によってもたらされる溺愛は本物とはほど遠いのだ。


 ローラが現れたとき、最初はショックだった。

 けれど彼女が目の前に登場しなければ、セシリーとジークは結婚にまで至り、もしかすると赤ん坊まで授かって幸せに暮らしていたかもしれない。そう思うと、ローラが現れてくれて良かったという気もしてくる。


 なぜならば、いつ惚れ薬の効果が切れるか分からないからだ。

 すべてが手遅れになったとき、正気に戻ったジークは、どれほどのショックを受けることだろう。


「……ジークだって、好きな人と結ばれたいよね」


 お互いのために、今、セシリーは正しい道を選ぼうとしている。


 ジークが肩代わりしてくれたお金は、時間をかけて返していけばいい。

 だから彼を、解放してあげなければならない――。


「そもそもジークなんて、ぜーんぜん好みじゃなかったしね!」


 セシリーはそう言い切って、ふんと腕組みをする。


 ジークときれいさっぱりお別れできたら、また自分は、白馬の王子様を見つける旅にでも出よう。

 そう考えれば、気持ちはずいぶん楽になる。そうだ。解毒薬を作れば良いこと尽くしなのだ。


「私の理想は、金髪碧眼の優しげな王子様よ! いつも私を気遣ってくれて、大人っぽくて、キスが上手で、それで……あら」


 レシピの上に、ぱたぱたと黒い点が散っている。


「私ったら、目に埃が入っちゃったみたいね」


 うふふ、と笑いながらセシリーは力任せに目元を拭う。

 頬を叩いて、無理やりやる気を出したセシリーは、また魔法薬のレシピを読み始めた。



「セシリー……いたわしい……」



 そんなセシリーを、開いたドアの隙間からスウェルが泣きながら覗き見ていることに、本人は気がつかないのだった。



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