第20話.その頃のジーク2
聖空騎士団の宿舎――その執務室では、書類を片づけるジークと、それをえっちらおっちらと手伝うアルフォンスの姿があった。
窓の外には夜の帳が下りている。ときどき風が吹くと、それに乗って飛竜の遠吠えが聞こえてくる。
「チッ。生け垣の修繕費、けっこうかかるじゃねぇか……」
業者の見積もり書類と睨めっこするジークは渋面である。
今現在はどうにかそれなりの費用が下りている聖空騎士団だが、カツカツであるのは変わらない。
魔法生物である飛竜は、食べ物も動物のようにはいかない。彼らは果物や草も食べるが、主な栄養源となるのは魔石なのだ。現代では一部の鉱山でしか採れない、魔力を溜め込む貴重な石である。
「業者を呼ばないで、俺たちだけで直したほうがマシか」
「げっ。また面倒なこと言い出したね」
「どうせお前、ろくに手伝わないだろ」
「まぁそうだけどね」
アルフォンスはしょっちゅう訓練もさぼっている。そんな彼が生け垣の修繕で戦力になるとは、ジークも思ってはいない。
しかしそんな不真面目な副団長だというのに、アルフォンスは団員たちからわりと慕われている。年上の団員が多ければ色男のアルフォンスはやっかまれそうなのだが、実際は年下ばかりなので、なぜか憧れを抱く団員が大量に居るのだ。
「それにしても、ジークの婚約者ちゃんの話だけどさ」
椅子に逆側からだらしなく座り込むアルフォンスの脳裏には、ひとりの少女の姿が描かれている。
柔らかそうな亜麻色の髪。じっと熱心に見つめてくる赤い瞳。明るく元気な振る舞い。
ジークは美人ではないと評していたが、数々の馨しい花を嗅いできたアルフォンスの目から見ても。
「あの子やっぱり、けっこうかわいか」
言いかけるアルフォンスの耳元を妙な音が駆け抜けた。
何事かと思ってぎこちなく振り向くと、背後の壁に短剣が突き刺さっている。
短剣を素早く、正確に投擲したジークが、こちらを見もせずに低い声で呟く。
「殺すぞ」
「いやわりと当てる気だったよね!?」
「ハッ。……当てても良かったな」
(怖!)
何が怖いって、冗談の口調ではないのがいちばん怖い。
いったいぜんたいジークはどうしてしまったのか。女遊びになんてまったく興味がない、という面を下げていたのに、ここ最近の彼はすっかり変わってしまった。豹変と言い換えていいレベルだ。
(まるで別人みたいっていうか……)
だが、ここでからかえば次は当てられる。
そう察したアルフォンスは言い直しておくことにした。
「そ、そうだよね。あんまりかわいくな――」
「殺すぞ」
また風を切って短剣が飛んできた。アルフォンスのよく手入れされた髪の数本がぱらぱらと落ちる。
どちらにせよゲームオーバーだったらしい。理不尽すぎる。
「にしてもさぁ。ジークがここまでひとりの女の子に夢中になるとは思わなかったよ」
「……俺だって、こうなるとは思ってなかったさ」
はぁ、とジークが溜め息を吐く。
そうしておもむろに窓の外を眺めたり、髪先をいじったりする。乙女か何かだろうか。アルフォンスにとってはひたすら不気味である。
「ところでさ。彼女がスノウに言ったの、なんだか不思議な言葉だったね。異国のものというより、呪文のように聞こえたけど」
「……ああ、そうだな」
世界から魔法は廃れ、少しずつ神秘の名残は地上から消え去りつつある。
古代の魔法動物は、数種類が地上に残っているのみで、そのうちの一種が飛竜だ。
そんな飛竜の暴走を、あっさりと止めてみせたセシリー。
何か、悪意や企みがあるようには見えなかったが……彼女はいったい何者なのか。ジークは箝口令を敷いたが、アルフォンスはその件が気になっていた。
(あの、赤い瞳も……ちょっと、背中がぞくぞくするんだよね)
そう思うと、気になって仕方がなくなる。
かわいい女の子への好奇心――とは少し違う。
セシリーに会って数日で、ジークは様変わりし、スノウは不可解な動きを見せた。その二点だけで、セシリーを気になる理由としては十分だ。
「少し気になるな。調べてみてもいい?」
アルフォンスがそう訊き、ジークが口を開きかけたときだ。
コンコン、とドアがノックされる。
ジークの誰何の声に、ドアの外から返事があった。
「シリルです。は、反省文が書けましたので持参しました」
許可を出すと、右手右足を同時に出しつつカチコチのシリルが入室してくる。
頬にガーゼを貼っているが、そうひどい怪我ではないようだ。
「見せてみろ」
「は、はい」
団員の中でもとびきり気弱な少年が、緊張した面持ちでジークに反省文を手渡す。
しばらく経ったところで、ジークが鼻を啜る音がした。何事かとアルフォンスが見やれば、彼は目頭をおさえて空を仰いでいる。
「…………相変わらず素晴らしい反省文だな。感動した」
「ありがとうございます!」
「反省文で感動することってあるの!?」
しかもこの様子だと毎回感動しているようだ。
「僕、あの、作家になるのが夢なんです。よく団長に習作も読んでもらっています」
「なんで聖空騎士団に入ったんだよ」
アルフォンスはシリルを軽く小突く。
「いてっ。いや、良いネタになるかと思って。給料も高いですし」
それで厳しい騎士団に入団しようと思うあたり根性がすごい。
「ご苦労だったな。そうだ、眼鏡は大丈夫か?」
「はい。予備が十本ありますから、平気です」
ようやくシリルが笑顔を見せる。
今かけている眼鏡も、予備のひとつのようだ。
「怪我の調子はどうだ?」
「それも平気です」
「そっちを最初に聞いてあげなよ」
会話を聞いていたアルフォンスは呆れていた。
シリルががばりと頭を下げる。
「アルフォンス副団長、お心遣いいただきありがとうございます!」
「心配? いやいや勘弁してよ。野郎の怪我なんてオレは気にしてないから」
いろいろと面倒になったアルフォンスは、どさくさに紛れて部屋を出る。
ジークには、まだいろいろと訊きたいことがあったのだが、それはそれとして。
(セシリーちゃんは、またジークに会いに来るかな?)
あの破天荒な少女のことを思うと、顔に笑みが浮かぶのだった。
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