リヒテンシュタイン家 七

 地上数百メートルの地点、オバちゃんは女神様の魔法に囲まれている。


 煌々と輝く真っ白な光の矢が幾百、幾千とこちらを狙っている。


 これを用意した本人は、囲いの向こう側から偉そうな態度で、ああだこうだと講釈を垂れている。きっと先方としては、こちらが最後のトークなのだろうな、なんて思う。いやしかし、まだ諦める訳にはいかない。


「一つ確認をさせて下さい」


『……なんですか?』


「勇者様ご一行は貴方の使徒なのでしょうか?」


『ええ、そうです。それがどうかしましたか?』


「同じ使徒であるにもかかわらず、私の魔法は彼らに対して、随分と効果的に効きました。その点が少し気になったのです。もしかして使徒というのは、数が多ければ数が多いだけ、その力も分散してしまったりするのではないでしょうか?」


『まさか貴方は、そのようなことも知らずに使徒をしているのですか?』


「なるほど」


 どうやら常識であったようだ。


 いや、別にそこまで気になっていた訳じゃない。ただ単に時間稼ぎである。別に使徒の数が多かろうが少なかろうが、そして、その力の具合が分散していようがいまいが、今のオバちゃんエルフには、これを知ったところで意味はない。


 遠く眺めると、数キロを隔ててリヒテンシュタイン伯爵の兵の並びが見える。些か心もとない距離感ではあるが、これだけ離れれば多分大丈夫だろう。そんなことを考えていたところで、頭上では先程から用意を進めていた一撃がスタンバイレディ。


 イタチの最後っ屁のお時間。


「使徒は使徒である時点で、神には勝てないのでしょうか?」


『当然です。使徒は神が生み出すものです』


「そうですか……」


 今後の身の振り方が悩ましい。


 ただ、それもこの場を逃れられてこその贅沢である。


『話は済みましたか? これで貴方は終わりです』


 悠然と女神様は語ってみせる。


 その姿を眺めて、オバちゃんはとっておきの魔法を唱える。


「メテオスウォームッ!」


 両腕を正面に突き出すと共に、遥か頭上に送り出した幾つもの岩石に、飛行魔法を行使する。今までプカプカと浮かんでいたそれを全速力で打ち出す。すると岩石群は瞬く間にトップスピードとなり、地上に向かい一直線に落ちてくる。


 狙いは女神様。


『っ!?』


 光の矢が撃ち出されるよりも早く、岩石は女神様に直撃した。


 初撃が目に見えないバリアのようなものに弾かれて炸裂、ドォンと爆発音を立てる。直後、彼女は身を翻すと共に、こちらから距離を取るように動いた。その背中に目掛けて、飛行魔法を操作したエルフは岩石を立て続けに撃ち放つ。


 幾十という大小様々な岩石が、空から一斉に降り注ぐ。


 ぶっちゃけ、落ちてくる様子が早すぎて見えない。何かが正面を横切っていく気配と共に、地上でズドンズドンと炸裂音が響き始める。舞い上がった大量の粉塵が、あっと言う間に近隣を覆っていく。


 ニュートン先生が説明した、世界最強の必殺技。


 結局のところ、これが一番効率がいいのではなかろうか。


 魔法だろうがなんだろうが、関係ない。なるべく重いものを、なるべく早くぶつける。ただそれだけで、炎で炙るより、雷撃で貫くより、凍らせるより、遥かに甚大な被害を人体に与えることができる。と、思う。


 光の矢はいつの間にやら消失していた。


 これ幸いとオバちゃんは騒動の現場を脱出である。


 岩石の雨はそれから数十秒ほどを降り続いた。


「…………」


 おかげで界隈は土煙が黙々と立ち上がり、碌に地表も確認できない。


 呼吸すらままならない惨状だ。


 その僅かばかりの間から、時折垣間見える地表の様子は、衝突地点から周囲に向かい、かなりの範囲にわたって地面がえぐり返されている。多数のクレーターが重なり合い、まるで月面のようだ。


「……ヤバイな、メテオ」


 決してメテオという名前の魔法を使った訳ではない。


 それもこれも飛行魔法である。


 しかし、実質メテオ。


 何故ならオバちゃんの飛行魔法は、空気抵抗をゴリ押しして対象を飛ばすことができる。今回は遠慮なく加速させて頂いたので、それはもう酷いことになっている。地上とかそこかしこで火の手が上がり始めている。想像した以上だ。


 なんて恐ろしいのだろう。


 ということで、戦犯であるエルフは現場から逃げ出すとしよう。


「失礼しますね」


 小さく呟いて、粉塵の只中から外へ向かう。


 すると、どうしたことか。


『どこへ向かうというのですか?』


「…………」


 噴煙の中から脱した直後、行く先を女神様に遮られた。


 これといって怪我をした様子もない。


 絶対に押し潰したと思うのだけれど、どうしてだろう。


「……神とは随分と頑丈にできているのですね」


『なにを言っているのですか? 神があのような力任せの魔法で朽ちる筈がないでしょう。そうでなければ我々も、メルメロをわざわざ異世界に飛ばしていません。まあ、彼女の場合は存在の力もまた、凄まじいものがあったからではありますが』


 なんか前にも聞いたような物言いである。


 これ、あれだ。物理無視でしょ。


 精霊殿と同じでしょ。


 なんてことだ。


 ニュートン先生、全然駄目じゃないの。


 最強とは程遠い。


 異世界のこういうところ、大嫌いなんだけど。


「そうでしたか……」


『貴方はメルメロから何も聞いていないのですね』


「その点については不満がありますね」


『なるほど?』


 こうなると物理で攻めるしか能がない自分は手も足も出ない。


 くそう、めっちゃ悲しい。


 どうやったら彼女にダメージを与えることができるのだろう。


 存在の力、存在の力とのことである。


 オナニー直後、ザーメンが付着した手でタッチしたらどうだ。


 いいや、駄目だ。


 その為に必要なパーツが、オバちゃんエルフのボディーには存在しない。


 だったら代わりに、磯とチーズの香りではどうだろう。


『しかし、あの状況で咄嗟の機転としてはなかなか悪くないです』


「それはどうも」


『貴方のメルメロに対する信仰は、どれほどのものでしょうか?』


「……というと?」


『神を相手に真正面から挑むことができる生き物はそう多くありません。事実、貴方の隣にいた精霊は、私の存在を目の当たりにして、満足に動くこともできていなかった。故に私は貴方という存在に少しばかり興味を覚えました』


「…………」


 これはもしかして、あれだろうか。


 ヘッドハンティング的な。


『私は貴方に選択肢を与えることができます。一つはこのまま朽ち果てること。そして、もう一つは私のもとに下り、女神マリグナの使徒として、その教えを人の世に広めて回るという、新しい生き方です』


 そんなこと言われたら、悩むまでもないじゃないか。


 こんな中途半端な状況で死にたくないもの。


「……分かりました」


 出会ってすぐにどっか言ってしまったブラック女神のメルメロ様より、何かと気がききそうなマリグナ様のほうが、ホワイトにお仕事できそうな気がする。だって勇者様御一行を見てみなさいよ。とても楽しそうにやっている。


 自分もマリグナ様の下に付いて、大勢の人々からチヤホヤされるお仕事したい。


 既に勇者、戦士、賢者、聖女と枠が埋まっているので、空いているのはなんだろう。盗賊とか、商人とか、そういう感じだろうか。ちょっとダサいかも? いや、ぜんぜん構わない。英雄枠でチヤホヤしてもらえるなら、なんら問題はございません。


「そういうことであれば、私は……」


 新しい雇用主に頭を下げようとした直後の出来事だった。


『おいおい、人の使徒を勝手に引き抜くのはよくないな』


『っ……』


 どこからともなく声が響き渡った。


 マリグナ様とは異なる声色だ。


 そして、オバちゃんエルフはその響きに覚えがある。


『メルメロっ!?』


『ようやく出てきたな、マリグナよ』


 自身の足元に魔法陣が浮かび上がる。


 それと同時に、我が身が真っ白な輝きに包まれた。


 まるで悪い病気にでも罹ってしまったような感じが恐ろしい。ホタルとか自分の尻がピカピカと光っているのに、よく落ち着いていられるよな。今ならあの小さな虫の凄さが理解できそうだ。


 おかげでめっちゃ怖い。


 ただ、それ以上に恐ろしいことが起こった。


 自身の肉体の内側から、まるでヌルリと溶け出すように人が現れたのだ。


 狐のお面を被った小さな女の子。


 メルメロ様だ。


 彼女が表れるのに応じて、足元の魔法陣は消えた。肉体の輝きも落ち着きを取り戻す。どうやら一連の演出は、その登場に関わるものであったようだ。もう少し静かに出入りできなかったのだろうか。


『まさか使徒の内側に潜んでいたとは……』


 これまでの悠然とした態度から一変して、マリグナ様が焦り始める。彼女にとってメルメロ様はかなりの脅威のようだ。同じ神様同士では、どういったパワーバランスが存在しているのだろうか。とても気になる。


 それによって今後の身の振り方が変わってくるからな。


 就活的な意味で。


『コイツには信仰心なんてものはないんだ。誘惑してくれるな』


『それはまた酷い使徒もいたものです』


『オマエのように洗脳じみた教えを繰り返すよりはマシだと思うが』


『勝手に言っていなさい。私には私のやり方があります』


「…………」


 こうして会話を聞いていると、二人の交流が浅くないことを意識させられる。決して仲は良くないようだけれど、共に過ごした時間はそれなりのものなのではなかろうか。門外漢のオバちゃんは会話から爪弾きである。


 もう少しこっちにも構って欲しい。


『世界を渡ったばかりの貴方に大した力があるとは思えません』


『本当にそう思うか? マリグナよ』


『…………』


 おぉ、なんということだろう。メルメロ様がマリグナ様を圧倒している、ような気がする。これが逆だったら、スルッとマリグナ様に鞍替えしようとか考えていたのに、メルメロ様の方が強かったりしたら、裏切った後が怖いじゃないの。


 死んでしまったらチヤホヤもへったくれもない。


『……今日のところは引くとしましょう。私一人では分が悪い』


『懸命なことだ』


『ところで、その妙な仮面は何ですか?』


『格好いいだろう? 向こうで手に入れたんだ』


『…………』


 マリグナ様がモノ言いたげな表情を浮かべた。


 メルメロ様の態度が気に入らないみたいだ。


 ただ、それ以上はこれといって話題が続くこともなかった。


『思えていなさい、メルメロ。今と昔では時代が違うのですから』


『ああ、そうだな』


 飄々と構えてみせるメルメロ様の面前、マリグナ様が踵を返した。


 彼女の肉体は空を飛んでいき、みるみる内に遠退いて、曇天の先へと消えていった。そして、マリグナ様が退場するに応じて、空に浮かんだ怪しい雲もまた、あれよあれよという間に消えて無くなった。


 どうやら状況は決した様子だ。


 オバちゃん的には文句の一つも言わねば気が済まない。


「神様、どうして今まで隠れていたんっスか?」


 口調がミノルっぽいのは致し方なし。


 誰しも自身の進退を握っている相手には下手に出てしまうものだ。


『言っただろう? 世界を超えたことで力を消費してしまったと』


「だとしても少しくらい、話とかしてくれても良かったんじゃ……」


『オマエがどこまでやれるのか、確認したいとも考えていた』


「うわ、それって最高にブラックなんですけど」


『オマエもミノタウロスたちを相手に似たようなことをやっていたではないか』


「え? もしかしてこれまでのこと、全部見てたりします?」


『当然だ。私は貴様の内側に宿っていたのだからな』


「ちょっと待ってくださいよ。それじゃあ遺跡にあった石像は……」


『ただの石像だ』


「マジか……」


 運んだり、掃除したり、拝んだり、あんなに頑張ってお世話したのに。


 思いっきり萎えた。


 これまでの努力を否定されたのだも。


 そんなオバちゃんエルフに構わず、神様は一方的にのたもうた。


『私やあの者を筆頭として、この世界の神々は現在、世界に生きる者たちの信仰を集めることに躍起となっている。千年に一度訪れる、神々の権限調整に向けた行いだ。その期限が既に九百年以上を消化して、目前に迫っている』


「え、なにそれ」


『オマエの世界で言うところの選挙のようなものだ。投票日が近い』


「お、追い込み時ってことですかね?」


『ああ、そうだ』


 候補者が神様とあっては、そのスパンも半端ない。もう少し任期を短くして、候補者がかける熱意を下げてもいいのではなかろうか。選挙運動の最中に殺されかけた側としては、実行委員会に意見を申し上げたい気分である。


「まさか、それに一緒に参加しろってことなんですかね?」


『そのとおりだ。オマエには私の使徒として参加し、これを制して欲しい』


「…………」


 これまでの会話を聞く限り、完全に乗り遅れているぞ我らが神様。


 だって彼女は数百年にわたって、別の世界に飛ばされていたのだ。このブランクをどうやって取り戻せというのだろう。先程のマリグナ様など、あと一歩で人類掌握完了、みたいな雰囲気を出していたじゃないか。


 しかも神の使徒とはいいながら、これでは秘書ポジじゃないの。


 政治家の秘書はめっちゃブラックだって、漫画とか映画で見たぞ。


「あの、自分はやっぱりマリグナ様のところに……」


『オマエのその姿は私の力によるものだ。あの者の下へ向かったのなら、姿も以前の形に戻る。それでも構わないのか? マリグナがオマエの意向を飲んで、同じような力を与えるとは限らない』


「いやいや、命あっての物種ですよ。自分、ゲイじゃないんで」


『……違うのか?』


「神様は分かってないッスね。大切なのは他人からのチヤホヤなんですよ」


『…………』


 別に好き好んで男とどうこうしたいとは思わない。大切なのは他者からのチヤホヤだ。女体化はそのための手段の一つでしかない。野郎のままチヤホヤして頂けるというのであれば、それはそれでハッピーである。


 神様もまだまだ甘いな。


 そんなんじゃ死ぬ瞬間、絶対に後悔するぞ。


『だが、貴様の世界では僅か数年で、人々の信仰はがらりと色を変えていた。それはたとえば工業製品やら、身に纏う衣服やら、実に様々な事物でも見受けられた。こうした文化文明の変遷を思えば、私もまた勝機を失ってはいない』


「なるほど」


 神様の言わんとすることは分からないでもない。


 ただ、それは地球の技術文明の賜物だ。


「同じことがこちらの世界でも可能だと考えているんですか?」


『ああ、考えている』


「手紙を届けるのにも命がけの世界で、そんな簡単に情報が伝達すると思っているんですか? この世界と大差ない文明だった時分、あの世界の移り変わりは、ずいぶんとゆっくりしたものでしたよ」


『その代わりに、こちらの世界には魔法が存在している』


「…………」


 そう言われると、魔法使い一年生の自分は弱い。


 この場で彼女の下を去ることは容易だ。しかし、そうして脱した先で同じような待遇を得られるとは限らない。そう考えると、正社員至上主義の世界で生きてきた身の上としては、どうしても躊躇してしまう。


 そんなこちらの意志を読み取ったのか、我らが神は言った。


『決して悪いようにはしない。どうだ? 手を貸してはもらえないか?』


「…………」


 まあ、今すぐに判断する必要はないだろう。


 選挙なんて勝てる方に乗ればいいのだ。


「分かりました。当面は貴方に協力しようと思います」


『うむ、オマエの判断に感謝する』


 使徒は少ないほうが強いらしいから、決して悪いことばかりではない。


 ということにしておこう。


「ところで神様、自分がチヤホヤされたい理由ですけど……」


『……それってそこまでして語りたいものなのか?』


「語りたいッス」


『…………』


 以降、一連の騒動で蓄積したストレスの発散、存分に付き合ってもらった。


 久しぶりに自分語りをして、いい気分になった。

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