第四話②

「加護とは、教会より皇室に生まれる方々のみに与えられる、一種のお守りのようなものです。帝国皇室ではおきさき様方が御子をごもると、帝都の聖堂にてはらに加護を授ける習わしがあります」

 礼拝での説教のように、穏やかだがよく通る声で、司教は語る。

「その起源は、かつて古代魔術が栄えた数百年ほど前にまでさかのぼります。当時、世にはじゆじゆつと呼ばれる悪しき魔術が広まっており、多くの人々が呪いによって命を奪われました。呪術は人間の魂を直接害する強力な技で、高度な魔術防壁をもってしても、防ぐことはできません。我が国の歴代皇帝や皇子たちの中にも、呪いの犠牲となる方がいらっしゃいました。

 そのため生まれたのが加護です。呪いは魂に作用するじゆつ。ならば魂そのものを保護してしまえばいい。そう考えた当時の聖職者たちによって、胎児の魂を強める術が編み出されたのです」

「よく分からないな。そんな術があるなら、胎児ではなく既に生まれている人間に加護をかければいいだろう」

 アドラスさんがもっともな疑問を投げかけるが、司教は首を振る。

「すでに成熟した人間の魂は、複雑かつ多様な構造をしており、加護を上手うまくかけられないのです。ですが、まだ魂を形成する段階の胎児であれば、加護は問題なくみます。そうして聖なる外殻を得た魂は、呪いなど容易たやすけるほどきようじんなものへと変化するのです。

 呪術が廃れたのち、加護も存在意義をほぼ失いましたが、今も胎児への加護奉呈は帝国皇室にて行われております。奉呈はその年の宮殿祭儀長が取り仕切るのが通例です」

「それがなんだと言うのです。アドラスの真偽と、その加護とやらにどんな関係があると?」

 しびれを切らしてグレインきようが口を挟んだ。

 しかしその疑問こそ待ち構えていたものであるようで、司教は一段と声を張り上げた。

「奉呈の儀の際には、必ず聖紋が胎児の体に刻まれます。通常ですと、紋は加護を授けてから数日ほどで胎児の体に馴染み、出生時にはあとすら残ることはありません。ですが加護を与えた術者の魔力を多量に注ぎ込めば、聖紋は一時的に目視可能になると文献には記載されております」

「それで、俺にその聖紋とやらがあるかどうかを確かめに来たというのか」

「その通りでございます」

 と司教は大きく首肯した。

「儀式に必要なものは、すべて揃えております。さあ、神のまえで真実を明らかにしましょう」

 そして、笑みを浮かべる。安らかで、優しげで──計算し尽くされた微笑みだった。

「だが先ほどの話では、聖紋とやらを確かめるのに、母親たちの胎に加護をかけた祭儀長の魔力が必要なのだろう。それは一体誰が……」

「私です」

 真白く枝のように細い手を、司教は自分の胸に置いた。

「二十年前、クレマ妃の胎に加護を施した祭儀長は、この私です」




 古代語が彫り込まれた銀器、聖獣の風切羽、月面鏡、そして聖水が張られた杯──

 滅多にお目にかかれない希少な祭具の数々が、司教御付きの修道士たちの手によって、教会内に設置されていく。その様を、グレイン領の人々はかたんで見守っていた。

 私はこっそり祭壇に近づいて、玉虫色の杯をのぞき込む。

 ……確かに、これは聖水だ。かつて見た錬成薬など比べ物にならないほど純度の高い魔力が、朝霧のように水面からあふれ漂っている。

 濃縮された高容量の魔力は、常人の目でも観察することが可能だ。おそらくこの場にいる人々の目にも、この聖水は淡く輝いて見えることだろう。

 それにしても、一さじぶんですら金塊に匹敵すると言われる聖水を、こんなにたくさん──しかも触媒に使うとは、なんてぜいたくな儀式なのだろう。他に用意されている祭具だって、それ一つだけで豪邸が建てられてしまうほどの代物ばかり。おそらくこの儀式だけで、地方領主一年ぶんの収入が軽く吹き飛ぶくらいのお金が動いていることだろう。

 更に私の背後では、修道士の一人がせっせと祭壇を囲むように陣を描いていた。これも儀式のための準備だろうか。さいは分からないけれど、この大掛かりな陣は……

「儀式が気になるのかい?」

「──っ!」

 不意に甘やかなささやきがでる。驚いて振り向けば、見知らぬ男性がすぐ真後ろに立っていた。

 まだ若い。年齢は二十を超えた程度だろうか。

 れいな容姿をした青年だった。肌は乙女のように真白くて、肩まで伸びた金髪には、跳ね毛一本見当たらない。顔立ちもほんのり中性的で優しげである。けれども垂れ目がちなひとみに浮かぶ笑みは、どことなく軽薄な色をしていた。

「安心しなよ。持ち込まれた祭具は全て本物だし、細工もされていない。その聖水も、混ぜ物なしの本物さ」

 青年は得意げに語り出す。その口調も、見た目通りに軽やかだ。

「あ、だからって飲んじゃだめだよ? 飲むと普通の人は、魔力酔いして世界が上下逆さまにひっくり返っちゃうからね」

「……あの、どちら様ですか」

 口ぶりからして、帝都から来た教会側の人間なのだろう。だが、聖職者にも見えなかった。服装が違うし、修道士たちがせわしなく儀式の準備をしている横で、青年だけはのんびり優雅に構えているから。

「ボク? ボクはベルタ・ベイルーシュ。知らない? あのベイルーシュ家の若君さ」

 ベイルーシュという家名は知らないし、若君を自称する人物と遭遇するのも初めてのことだった。だがここで「知りません」と味気ない返事をするのも無作法かと思い、「まあ、ベイルーシュ」と驚いたふりをしておく。

「はじめまして、私はヴィーと申します。ごめんなさい、勝手に祭具に近づいてしまって」

「ああ、謝らないで。ボクは教会の人間ってわけじゃないんだ。ただ君が祭具に興味津々な様子だったから、声をかけただけさ」

 やはり、聖職者ではなかったか。となると、なおさらこの人物が何者なのか気になる。

「教会の方、ではないのですね。ではどうしてこの地にいらしたのですか?」

「ボクは帝国議会の議員でね。この儀式を教会に依頼するにあたり、議会側の見届け人として派遣されたんだ」

「それは大役ですね。そもそも議会はどうして──」

「だけど本当は、これは君に巡り会うための運命だったのかもしれない」

 芝居がかった台詞せりふで、こちらの言葉を遮られる。

 どう返答したものかと考えあぐねていると、その隙に彼は滑らかな動作で私の手を取り、花弁を包みこむように優しく握った。顔も無遠慮なほど、ぐいと近づけられる。

「あの、ベイルーシュ卿。顔が近いです」

「こうした方が君の顔が良く見えるんだ。ああ、美しい人。見届け人なんて、とんだ貧乏くじを引かされたと思ったけれど、まさか東部の辺境で君みたいな女性と巡り会えるなんて。さあどうか、ボクのことはベルタと呼んで」

「はあ」

 教会でこの人は、何をやっているのだろう。

 変な人に絡まれてしまった。困って周囲を見回すと、司教と話すアドラスさんと目が合う。彼は私に気づくとけんしわを刻み、こちらにおおまたで歩み寄ってきた。

「失礼、俺の客人に何か御用か」

 アドラスさんは私の隣に立つと、頭一つ高い場所からベルタさんをむん、と見下ろす。

「……これはアドラス殿」

 ベルタさんは薄笑いを浮かべ、わざとらしく肩をすくめた。

「おっと、彼女は貴殿の関係者だったのか。でもご安心を。ボクたちは、ちょっとした世間話をしていただけですよ」

「……」

 アドラスさんは無言で視線を下げた。そこには、私の手を包むベルタさんの右手。

 ベルタさんはまたも「おっと」と言って、慌てて手を引っ込めた。

「これはあれさ。ちょっとした握手さ。ねえ、ヴィーちゃん?」

「そうだったんですか」

「さあ、そろそろ儀式の準備が整うみたいだよ? ボクも司教たちのお手伝いをしてみたりしなかったり」

 意味のない台詞を口にしながら、ベルタさんはステップを踏むようにしてその場を離れる。彼の背中は、たちまち修道士たちのあいだに紛れて消えるのだった。

「なんだあれは」

「帝国議会から派遣された、儀式の見届け人だそうです」

「見届け人? あれが?」

 アドラスさんはまゆを寄せた。だがすぐに、声を低くして私に言う。

「とにかく気をつけろ。君はどうも、面倒ごとを引き寄せる体質らしいから」

 アドラスさんには言われたくなかったけれど。言い聞かせる声が真剣だったので、私は大人しくうなずいた。

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聖女ヴィクトリアの考察 アウレスタ神殿物語 春間タツキ/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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