第四話①

 グレイン領に到着してから数日が経過した。そのあいだ、アドラスさん、リコくんと共に町をぐるぐると回ってみたものの、やはりマルディナさんの霊を見つけることはできず。私たちは、次なる手段を講じる必要に迫られつつあった。

「──となると、そろそろ帝都へ向かう準備をした方がいいかもしれないな」

 昼下がりの、ひとが少ない町の食堂にて。りんを丸のままかじりながら、アドラスさんはのんびりとそう言った。

「帝都、ですか」

 対照的に、リコくんの声は暗い。彼は表情を曇らせたまま、ナイフで器用に林檎の皮をいている。その見事な手つきを眺めていると、彼は切り分けた林檎を皿に載せ、私の前に置いてくれた。

 一つ手にとってかじると、甘く酸味のある果汁がしゃくりと口の中に広がる。

 リコくんは私が食べる姿をしばらく眺めたあと、静かに首を振った。

「僕は反対です。帝都はアドラス様を邪魔だと思っている連中で、あふれかえっているはずです。領外に出ただけで危険な目に何度も遭ったというのに、そんな場所に行けば、命がどうなるか分かったものじゃありませんよ」

「だが、このまま領内に引きこもっていれば、俺は東部連合の首領にされてしまう。先日屋敷に招いた貴族連中も、全員連合への加盟を了承したらしいしな」

「でも……」

「帝都に行くのは難しくありませんか。グレインきようがアドラスさんを手放すとは、とても思えないのですが」

 リコくんに代わって発言すると、私は食堂の入り口へ目を向けた。そこには、じっとこちらを見つめる兵士たちの姿がある。

 彼らはアドラスさんの護衛だ。グレイン卿は「お前の身を守るため」と言ってアドラスさんに二人の兵をつけたけれど、アドラスさんいわく、更に数名の監視役が近くに潜んでいるらしい。言うまでもなく、彼らはアドラスさんの逃亡を警戒しているのだろう。

 アドラスさんには、前科がある。グレイン卿もアドラスさんの前では寛容なふりをしているけれど、内心では彼を閉じ込めてしまいたいと思っているに違いない。

「ま、なんとかなるだろう。俺にも協力者はいる」

「協力者?」

「ああ。東部連合に懐疑的な人間は大勢いるんだ。いくら中央の横暴が気に入らんといっても、それを理由に中央とけんをすることになれば、東部の劣勢は免れないからな。前回は、その連合反対派の仲間に助けられて領の外に出たんだ。検問にいた、あのフリードもその一人だ」

 と言われて、検問所で出会ったあの兵士の姿を思い出す。確かに彼は、アドラスさんの事情に詳しい様子を見せていた。

「ですが、帝都へ行ってどうするのです? クレマ妃の霊を探すなら、王宮入りはひつですが、果たしてそんなことが可能でしょうか」

「王宮に頼めばどうにかなるんじゃないか」

「……なるほど」

「ヴィーさん、ここは怒ってもいいところですよ」

 リコくんがすかさず口を挟む。

「怒らないとこの人、今度は王宮で神殿と同じことをしでかしかねません」

 別に怒りはしないけれど、よく分かった。アドラスさんのすさまじい突破力は、この単純明快な思考に起因しているのだろう。

「アドラス様、こちらにいらっしゃいましたか!」

 突然、落ち着きのない声が飛び込んでくる。

 見れば使用人らしき人物が、食堂の扉に手をかけ、肩で息をしていた。かなり慌てて走ってきたようだ。

 彼のただならぬ様子に、アドラスさんはすっと立ち上がった。

「騒がしいな。どうした」

「州軍が……」

 息も絶え絶えに、使用人は声を振り絞る。

「帝国東方州軍より派遣された使者が、領内に到着しております! アドラス様が皇子であるかどうか、直接確かめるとのことです!」

「確かめる、だと?」

 アドラスさんの表情が、たちまち険しくなった。けれども使用人はそれ以上のことを知らないようで、困惑気味に首をひねるばかりである。

「とにかく、すぐにご同行をお願いいたします。すでに領主様も、使者の方とアドラス様をお待ちです」

「分かった」

 アドラスさんは一度こちらを振り返ると、使用人と食堂を出た。私とリコくんも、彼らの後を追いかける。

 たどり着いたのは、教会の礼拝堂だった。

 騒ぎを聞きつけたのか、教会の周囲には町民が集まって、中の様子をうかがおうと首を伸ばしている。そんな彼らを、これまた大勢の兵士たちが「見世物ではないぞ」と言って押しとどめていた。

 雑踏をかき分けながら、私たちは教会の扉をくぐった。アドラスさん、私と進み、最後にリコくんが中に入ったところで、扉はばたりと閉じられる。

 教会の中は飾り気がないものの、広く清潔だった。入り口から主祭壇にかけては、まっすぐと身廊が延びている。その両脇に石材のアーチで仕切られた側廊が走り、内部には先日見かけた東部の貴族や警護の騎士、兵士たちが多く詰め掛けていた。不思議なことに、誰も中央の身廊へ足を踏み入れようとしない。

「アドラス、来たか」

 グレイン卿が人々の中から顔を出す。彼は戸惑いと少しのおそれを絡めた顔で主祭壇を指し示し、「あちらにお前の客が来ている」と言った。

 示された方向を見やれば、修道士の僧衣に身を包む人々が十名ほど、主祭壇を守るように囲んでいた。その中心には、こちらに背を向け、祈りをささげる人の姿がある。

 アドラスさんの到着を察したのだろう。その人物はやがてゆっくりと立ち上がり、私たちの方へ振り返った。

「──お待ちしておりました、アドラス・グレイン様」

 よわい七十前後の、小柄な老人だった。整えられた禿とくとうと、染みひとつない白の僧衣が目にまぶしい。服のすそに金糸で施されたしゆうは帝国教会の象徴、しら百合ゆりの花。そして手にしているのは、最高等級の魔石が惜しげもなくはめ込まれたそうじようである。

 年齢的にも装い的にも、彼が高位の聖職者であることは容易に見てとることができた。

「帝国教会の聖職者とお見受けするが、あなたは?」

 アドラスさんの問いに、老人は穏やかな声で答える。

「私は帝都第三教区の教区長を務めます、司教ラウザと申します」

 リコくんが「ええっ」ときようがくの声を漏らす。

 驚くのも無理はない。帝国教会の司教──しかも教区長とは。文句なしの大物である。周囲を見渡せば、様子を見守る何人かの人が、リコくんと同様に口をあんぐり開けて驚愕していた。

 しかしそこは、主席聖女を前にしてもおじづくことのなかったアドラスさんである。彼は「ふむ」とうなずいて、のんびり首をかしげた。

「俺は州軍の使者が来たと聞いてここに呼ばれたのだが、なぜ司教殿が? 教会は軍属ではないだろう」

「それは伝令の方が誤解なさったのでしょう。確かに帝都から州軍駐屯地を経由してこちらに赴きましたが、私は軍の使者ではございません。たびは帝国中央議会より、教会本部に要請がございまして、この地に参りました」

「議会が、教会に要請?」

「はい。『アドラス・グレイン殿が誠にエミリオ殿下ご本人であるのか、それを確かめてほしい』と」

 その言葉に、東方貴族たちがざわめいた。アドラスさんも、表情を引き締める。

「確かめる? それは願ってもない話だが、なぜ議会がそんなことを教会に依頼する」

「アドラス様は、皇族にのみ与えられる〝加護〟をご存知ですか」

 アドラスさんは首を振った。グレイン卿やその家臣たちも、ぽかんとしている。あまり一般的な知識ではないようだ。もちろん、私も知らない。

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