第三話⑨

 大陸最大の都市、帝都パラディス。けんらん都市とも称されるこの地には、ぐんじようのアルマ湾を抱くように、ぞう色の街並みが整然と広がっている。昼はそうてんの下でさんぜんたる輝きを放ち、夜はこうこうと照る街明かりを濃紺の海面に映す光景は、確かに絢爛と呼ぶに相応ふさわしい美しさをたたえていた。

 その西側──対岸の宮殿地区に連なる区画には、高位貴族の邸宅が立ち並んでいる。

 中でも一際ごうしやな屋敷の執務室で、向き合う二つの影が密やかに言葉を交わしていた。

「──つまり、フェルナンドは素人を使って、アドラス・グレインを殺害しようとしていたというのか」

 部下の報告を聞き終わったあと、座してため息混じりにそう話すのは、帝国議会副議長にして、この屋敷の主人であるオルドア・アルノーズ侯爵。

「はい。すでに四度ほど暗殺を試みて、全て失敗しているご様子です」

 そして侯爵の前で分厚い報告書をめくるのは、彼の政務秘書、ナディアス。三十年にわたりアルノーズ家に仕える、古参の家臣である。

「あの愚か者め。あんなまがい物など捨て置けと、さんざ言い聞かせていたというのに」

 侯爵はいまいましげに舌打ちして、みつくようにパイプをくわえた。主人が次の言葉を継ぐまでのあいだ、部下のナディアスは口をつぐむ。

 やがて多少の苦々しさを紫煙と共に吐き出すと、侯爵はパイプを執務机の脇に置いた。

「それで。足はついていないのだろうな」

「はい。現地の無法者を雇っていただけですので。これで私兵を動かしていたなら、他の候補者にぎつけられていたでしょうが」

「稚拙な方法が救いとなったか。……で、その無法者とやらは?」

「処分しております。こちらは、抜かりなく」

「うむ、ご苦労」

 よどみない部下の答えに満足したのか、侯爵は余裕を取り戻したようだった。あごの下に手を置いて、指先で白ひげもてあそび始める。

 東部の貴族たちが『エミリオ皇子生存』のしらせを帝都に寄越してから、もうすぐ一ヶ月が経過する。そのあいだに、事態は彼らの想定と異なる方向へ転がってしまった。

 議会で初めてクレマ妃の手紙とやらが読み上げられた時、侯爵は「この程度、気をむ必要もない」とほくそ笑んだものだった。

 クレマ妃に対する貴族たちの評価は低い。彼女は庶民でありながら、その色香だけで側妃の地位に成り上がり、数多あまたの貴女才女を差し置いて、最後の皇位継承権保持者である十人目の皇子を出産した。それなのに、皇子をたった数日で死なせてしまった挙句、最後は帝国につば吐きながら酒におぼれて事切れた。あの女を側妃にしたこと自体が、現王朝史の汚点であると言う者までいる。

 そんな妃が書いた手紙を根拠に、エミリオ皇子生存を主張するなど不可能な話だ。こんなもの、ただの心を病んだ女の妄想だと言えば、それだけで話は済むと侯爵たちは考えていた。「我こそは真の皇族なり」と語る連中一人一人をいちいち相手にできるほど、帝国議会は暇ではないのだ。

 しかし、もう一つの問題──東部連合とかいう田舎者たちの集まりが、予想外の勢いで結束を固め始めてしまったことは、全くの誤算だった。

 この数十年近く、まともな協調性を見せてこられなかった東部の貴族たちが、『死んだはずの皇子』という象徴を得たことで、足並みを揃えつつあるのだ。

 こうなっては、この件を無視することはできなくなる。事実、議会内でも「アドラスの出生の真偽を確かめるべきでは」という声がちらほら上るようになってしまった。

 だからフェルナンドは焦って、祖父の忠告も聞かずにアドラス殺害に動いたのだろう。

「フェルナンド殿下のご懸念も、そう責められるものでもないかと」

 控え目にナディアスは皇子をかばう。肩入れしているのではなく、彼自身も不安を抱いているのだ。

「東部連合が近々、議会に陳情書を提出する可能性ありとの報告を受けました。その内容には、アルノーズ家による二十年前のエミリオ皇子暗殺未遂を疑う記載も含まれているとか」

「奴らめ。フェルナンドをとして、本気であの野良犬に継承権を与えるつもりでいるのか」

「そのようです。連中がいかに騒ごうと、継承権の移譲など不可能でしょうが、問題は──」

「この後の継承選への影響、だな」

 現在皇帝は病床にしている。かろうじて会話は可能であるが、日に日に病状は悪化しており、今やいつ息を引き取ってもおかしくない状態だ。次なる継承選は、そう遠くない未来に行われるだろう。

 疑惑を引きったまま継承選に臨んでは、フェルナンドが他の候補者たちにおくれをとることになりかねない。それだけは、何としても避けなくては。

「このまま東部とアドラス・グレインを放置すれば、フェルナンド殿下の不利は確実なものとなります。危険ではありますが、いっそのこと、我々の手であの男を処分してはいかがでしょうか。お任せいただければ、すぐにでも片づけてご覧に入れます」

「いや、ならん。それは最後の手段だ。他の皇帝候補者たちも、本件に目を光らせつつある。第一皇子など、各貴族の動向のみならず、周辺国や地下街にまで網を張らせているらしい。間違いなく私の近くにも、あの若造の目が潜んでいることだろう。これでアドラス暗殺の証拠などつかまれたら、今までの苦労が全て水の泡になる」

 第一皇子。その名前を聞かされては、ナディアスは何も言えなくなる。最も玉座に近いと噂される対立候補にこちらの弱みを握られでもしたら、フェルナンドの即位は絶望的となるだろう。

 しかし一族の人間を帝位に就かせることは、アルノーズ侯爵家長年の悲願である。そのために、彼らはこれまで手段を問わず、あらゆる手を尽くしてきた。

 そう、二十年前も──

「確かに私は、エミリオの殺害を手配しました」

 確信を持って、ナディアスは言う。

「遺体も葬儀の際に確認しております。ですから、アドラス・グレインがエミリオであるはずがありません。それなのに、野放しにせねばならないとは……」

「分からんぞ。少なくとも、東部が用意したクレマの手紙は本物のようだ。とすれば、あの男がエミリオである可能性も皆無ではない」

「閣下、それは」

「君の手抜かりを疑っているわけではない。だが、クレマは犬のように鼻の利く女だった。こちらの思惑をぎつけ、何か対抗策を打ったという可能性も否定はできないだろう」

 侯爵は置いていたパイプを取り、灰をかき出し始める。その様子はいつもと変わりなく、声も穏やかだったが、口元には隠しきれぬ憎しみが浮き出ていた。

 侯爵の娘──ナタリア妃は、クレマ妃に先んじて皇子を産もうと無茶を繰り返し、その負荷がまってしまったのか、フェルナンドを産み落とした直後に死んでしまった。侯爵自身、クレマ妃には思うところがあるのだろう。

「何にせよ、あの男の真偽はさしたる問題ではない。だがこのまま、天にさいはいを委ねるつもりも毛頭ないぞ」

「何かお考えがあるのですか」

 たずねる部下に、侯爵は口角を持ち上げた。

「簡単な話だ。我々は正々堂々と、東部の手伝いをしてやればいい」

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