第三話⑥

 更に私は言葉を続ける。

「つまり、出産時の不幸でフェルナンド皇子が無事に生まれてこない可能性だってあったはずなのです。もしそうなれば、ひとまずエミリオ皇子が積極的に命を狙われることはなくなり、クレマ妃は皇子を手放さずに生きていくことだってできたかもしれません。そうした可能性を考慮せず、産後五日で皇子を王宮で育てることをあきらめ、行儀見習いに全てを託す──それって、少々短慮というか、気が早すぎるのでは。ナタリア妃の出産日が近いことは分かっていたのですから、それを待ってから行動を起こしたって良かったのに」

「なにを──!」

 私の指摘に、グレイン卿は怒りで目を血走らせ、すぐさま口を開いた。

 しかし、反論が返ってこない。彼は何かをのどに詰まらせたように、口だけをもごもごと動かしたあと、やっとの様子で言葉を継いだ。

「そ、そんなものはただのべんだ! では、この手紙に書いてある内容はどう解釈するのだ!」

「それなんですよね」

 グレイン卿の言いたいことも分かる。確かにこの手紙は、クレマ妃が我が子をアドラスさんのお母様に託したように読み取れてしまうのだ。

「言っておくが、この手紙は本物だからな。筆跡はクレマ妃のものと一致しているし、ふうろうは彼女が生前使用していたものだと判明している。それに当時は──」

伯父おじ上。そろそろ、本当のことを話したらどうです」

 とうとうしびれを切らしたように、アドラスさんが言葉を落とした。グレイン卿は一瞬言葉を切らして、あからさまに目を泳がせた。

「な、なんのことを……」

「では俺から皆に説明しよう。……この、クレマ妃だが。彼女はエミリオ皇子を亡くしたあと、精神を深く病んでしまったという話がある」

「アドラス!」

 グレイン卿は余裕をかなぐり捨てて、鋭くアドラスさんをとがめた。しかしアドラスさんは、頑として首を振る。

「当時のクレマ妃は、何日ものあいだ寝込んでいたかと思えば、突然起き出して『息子は殺されたのだ』と叫んで回ったり、たまたま出会った幼い子供をエミリオだと言って連れ去ろうとしたりと、かなり不安定な状態だったらしい。あまりこうは言いたくないが、この手紙が本当にクレマ妃からのもので、母に宛てたものだったとしても、内容のしんぴようせいに問題がある。実際、中央の多くの貴族や関係者は、俺と同じような主張をしていると聞いた」

 領主たちの表情に再び疑念が走り、視線はグレイン卿に注がれる。

 アドラスさんが皇子であるという疑惑の根拠になった、クレマ妃の手紙。その書き手自身に問題があったら、内容の是非を論じることすら無意味となってしまう。この事実は、グレイン卿の主張を根底から覆しかねないものではないか。

「精神を病んでいたなど、中央貴族どもの勝手な主張だ! クレマ妃は病んでいたのだ、だからその手紙はでたらめだ、などという言葉をそっくりそのまま受け取って、お前は真実から目を背けるつもりか! クレマ妃はお前の母かもしれないのだぞ!」

 グレイン卿はげきこうしてアドラスさんに迫る。しかしアドラスさんは冷静なまま、ぜんとして応じた。

「俺が皇子であるということ自体が、伯父上の勝手な主張ではありませんか。そもそも、クレマ妃が皇子の死を偽装した、とおっしゃるが、そのようなことは可能ですか? ただの赤子ではないのです。もし皇子が死んだとなれば、大勢の医師や関係者が遺体を確認することでしょう。そうした多くの目を欺けるほど容姿の似た赤ん坊の遺体を用意するなど、不可能ではありませんか」

「それは」

「それなら、方法があります」

 そこで私が口を挟むと、アドラスさんとグレイン卿は意外そうにこちらへ顔を向けた。

「方法?」

「ええ、大して難しいことではありません。予め、同じ頃に生まれる他の赤ん坊を用意しておけばいいだけの話です。皇子が生まれた時に取り替えれば、誰もが偽の赤ん坊を皇子だと思って扱うでしょう」

「そんなこと、できるわけ……」

「不可能ではないかと。この世には、産んだ子供を処分したがる親がそれなりにいるんです。生まれてすぐに取り替えるなら、性別を選ぶ必要もありません。あとはその子を手にかけるだけで、皇子の死の偽装は簡単にできてしまいます」

「それだ!」

 まるでたった一つの真実にたどり着いたかのように、興奮した面持ちでグレイン卿はまくし立てた。

「クレマ妃は皇子の命を狙う策謀の気配を感じて、継承権よりも我が子の命を守ることを優先した。そして彼女の言う方法で、予め用意していた赤ん坊とお前を取り替えたのだ。どうだアドラス。お前はやはり、エミリオ皇子その人に違いない!」

 らんらんと目をきらめかせながら、グレイン卿はおいを見上げる。

 けれどもアドラスさんはすぐに応えようとせず、ぐっと感情をし殺すように顔を伏せた。

「……その方法を用いるとなると。どうしても、無関係な赤ん坊の犠牲が必要になる」

 やがて絞り出された声は低く、抑揚を欠いていた。しかし言葉の端々には、抑えきれぬ怒りがにじんでいる。

「何がエミリオ皇子その人だ。あなた方は、母がそんな非道な行いに加担していたと言いたいのか。継承権のためならば、母たちの名誉など、どうなっても構わぬと言うのか」

「あ……」

 自分の言葉が何を傷つけたのか、今になって気がついて、私は息をんだ。

 アドラスさんの言う通りだ。私の推測は、マルディナさんとクレマ妃の殺人を、告発しているも同然ではないか。

「い、いや。だがな、きっとマルディナも、お前を守るために仕方なく」

「失礼する」

 取り繕うようなグレインきようの言葉を遮って、アドラスさんは身を翻す。そのまま扉へ向かおうとする彼の背中を、私はとつに呼び止めた。

「アドラスさん──」

「すまないが、後にしてくれ」

 冷ややかな声だった。振り返らずにそれだけ言って、彼はサロンの外へと消えて行く。

 強く閉じられた扉の向こうから、遠ざかる足音だけが聞こえてきた。

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