第三話⑤

 さらに読み直そうとしたところで、グレイン卿が得意げに口を開いた。

「この手紙は現皇帝陛下の側妃であらせられたクレマ妃から、彼女付きの行儀見習いであり──その後、王宮から姿を消した我が妹、マルディナに宛てた手紙になります。この内容を読めば、クレマ妃が我が子エミリオを妹に託したということがよく分かるでしょう」

「すみません、よく分かりません」

 話をそのまま畳まれそうだったので、すかさず手を挙げた。

 グレイン卿は私が異を唱えたと分かったとたん、「ちっ」と小さく舌打ちする。

「なんだね、客人殿。話の腰を折られては困るのだが」

「申し訳ございません。ですがこの手紙は内容から察するに、アドラスさんのお母様──マルディナさんがしつそうしてから二年後、つまり今から約十八年前に書かれたものですよね。当時の情勢をよく知らないので、いまいち手紙の内容が理解できないのです」

「ああ、私も」

 比較的若い貴族が、恐る恐る同意した。

「十八年前となりますと、私もまだ子供でした。当時の王宮内の事情に疎いゆえ、この手紙も何が何やら」

「そうだな」

「私もその頃異国におりましたので」

 若い貴族に同調して、更に数名が声を上げる。

 さすがに彼らのことは無視できないようで、グレイン卿は舌打ちを帳消しにするように、急いで愛想のいい笑みを作り上げた。

「そういうことならご説明しよう。──まず、フェルナンド皇子殿下のことは皆様ご存知ですな」

 これには全員がうなずいた。

 フェルナンド皇子。大貴族アルノーズ侯爵の孫で、第十位継承権を持つ、次期皇帝の有力候補。そして、アドラスさんの命を狙っているかもしれない人物の一人。

「実は、フェルナンド皇子とエミリオ皇子、それぞれの母親の妊娠発覚はほぼ同時期でした。そのため、どちらの皇子が先に生まれるかで、当時宮内は騒然としていたとか。

 しかも、二人の母親には明確な差があった。フェルナンド皇子の母親であるナタリア妃は名門アルノーズ家の当主の娘。片やエミリオ皇子の母親であるクレマ妃は、異国生まれの平民も同然な娘。きっと多くの人間が、フェルナンド皇子こそ継承権を持つに相応ふさわしいと考えたことでしょう」

「でも、先に生まれたのはエミリオ皇子だった」

 私の発言に、「その通り」とグレインきようは首肯した。

「結局、エミリオ皇子が十日ほど先に生まれました。当然継承権はエミリオ皇子に付与されることになりましたが、彼が死ねば、継承権はフェルナンド皇子に移行する。だからエミリオ皇子の命を奪おう、と考えたやからは少なくなかったことでしょう。

 事実、クレマ妃は暗殺を警戒して、常に細心の注意を払っていらしたそうです。皇子の周囲には魔術を通さぬ結界を張らせ、側に置くのは信用できる人間のみ。食事も、身につけるものも全て腹心が用意しており、その徹底ぶりは病的ですらあったと、多くの人間が証言しています。……その背景を踏まえた上で、この手紙を読んでいただきたい」

 グレイン卿はこぶしを強く握った。声にも更に力が込められる。

「いくら対策を講じても、クレマ妃は安心できなかったのでしょう。彼女にも多少の後ろ盾はいたようですが、相手はアルノーズ侯爵一派。彼らがどんな手を使ってくるか分かったものではありません。そこで妃は我が子の命を守るため、エミリオ皇子の死を偽装し、本物の皇子を最も信頼できる友であったマルディナに託したのです。つまりこの手紙は、『託したエミリオ皇子をよろしく頼む』という内容の手紙なのですよ!」

 熱気が立ち込める長台詞ぜりふに圧倒され、人々が「おお」と感嘆の声を漏らした。

 グレイン卿自身は「どうだ」と言わんばかりの得意げな顔で口の端を上げ、ひげでている。その隣でアドラスさんは、どうしたものかと困ったように額に手を置いていた。

 彼と視線が合う。目で問いかけると彼がうなずいたので、私は遠慮なく声をあげた。

「あの。グレイン卿のお話通りなら、クレマ妃は事前に暗殺の気配を察知していて、その対応策もすでに取っていらしたのですよね。それなのに、どうして皇子を手放してしまったのでしょう」

 疑問を呈したのがまたもや私であると知ると、グレイン卿はうつとうしそうに顔をしかめた。

「だから、命を守るためだろう。後ろ盾のない自分では、皇子を守りきれないと考えて──」

「当時の状況は存じませんが、本当に危険を感じたなら、まず皇帝陛下に訴えるなど、色々手はあったように思えます。その筋書きでは、あまりにクレマ妃の行動が極端です」

「……これだから平民は。民草には想像もつかぬだろうが、王宮とは陰謀渦巻く危険な場所なのだ。数多あまたいる妃の一人に過ぎぬクレマ妃が、なんの証拠もなしに他の妃や高位貴族を告発したらどうなると思う?」

「グレイン卿には、お子様がいらっしゃいますか」

「は?」

 私の唐突な返しに、グレイン卿の目が丸くなった。彼は面倒そうな口ぶりで答えた。

「息子が二人いる。今はどちらも、領外で暮らしているが……それが何かな」

「では奥様のご出産に立ち会ったことは」

 これには首を横に振るグレイン卿だった。

「そうですか。私は何度か人の出産に立ち会ったことがあります。ですから、自分で子を産んだことはないものの、出産が女性にとっていかに命がけの行為であるかは知っているつもりです」

「いったい何の話がしたい」

「出産の危険性についてです。皇帝の妃の出産となれば、もちろんりすぐりの医師が出産に立ち会うことでしょう。しかし、いくら事前に手を施そうとも、予期せぬ死が母親や赤子に襲いかかる可能性があるのが出産というものです。それは、一度子を産んだクレマ妃ならよく理解できていたはず。

 ……それなのに、どうして彼女は待たなかったのでしょう」

「あ」と何人かが気づいた様に顔を上げる。しかしグレイン卿はいぶかるような表情のまま、私の意図を探っているようだった。

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