第二話④

 誰がアドラスさんのお酒に妙なものを入れたのか。動機も犯人像もさっぱりだけど、まずはお酒を運んできた本人に話を聞くべきだろう。

 というわけで、空き皿を抱える女将を追って、私とアドラスさんは調理場へと移動した。リコくんには席に残って、店を出入りする客を監視してもらっている。

 調理場と食堂を隔てる扉を勝手に通り抜けると、壁際にずらりと並ぶたるや酒瓶の数々が目に入った。更に奥にはかまどがあるようだが、死角になっていて料理人の姿は見えない。

 女将は竈のある方へ向かおうとしていたけれど、こちらの気配にすかさず気づいて、くるりと体を反転させた。

「ん? なんだい、こっちは便所じゃないよ」

「いえ、ちょっとおたずねしたいことがありまして」

「注文なら、席で聞くけど」

 いぶかしげな表情を浮かべる女将に、アドラスさんの杯を突きつける。

「このお酒、味が変なんです。何か入れたりしませんでしたか?」

「はあ? うちは酒に混ぜ物なんか使っていないよ。口に合わないからって、言いがかりはよしてくれ」

「言いがかりではありません。さっきも同じお酒を頼みましたが、味がまるで違って」

「そんなわけあるかい。酒は全部、同じ樽から注いでいるんだ。味が変わるなんてことはないよ」

 女将はむっとしながら、調理場の入り口脇をあごでくい、と示した。そこには、複数のビア樽が並んでいる。

「お酒はあそこから、ですか。私たちに出されたのはどの樽ですか?」

「それだよ」

 女将は右端の樽を指差す。

 確かに彼女が指し示す樽は、すでに金属のタップがつけられ開封済みとなっていた。他の樽は未開封のままである。

「どうだい、納得したかい」

「……そうですね。ちなみにお酒は、女将さんが注いでいるのですか」

「そうだよ。見ての通り人手が少ないからね」

「ではお酒を注いだあと、杯をどこかに置いて目を離したりはしませんでしたか」

「そんなことしている暇があるように見えるかい。今日はいつになく混んで、ずっと働きっぱなしなんだけど」

 女将の語気がだんだんと荒くなってくる。大忙しのところに、面倒な客から難癖をつけられたと思っていらついているのだろう。これ以上引き止めるのは難しそうだ。

「どうやら、味が違うというのはこちらの勘違いだったようです。失礼しました」

 頭を下げると、女将は不機嫌そうに鼻を鳴らして調理場奥へ再び向かう。彼女の背を見送りながら、アドラスさんは「ふむ」と小首をかしげた。

「あの女将が毒を入れた犯人ではないのか?」

「あまりその可能性は考えていません。彼女が犯人なら、一杯目の酒に毒を仕込んだはずです。アドラスさんが二杯目を頼むかどうかも分からなかったわけですから」

「それもそうか。……だがそれだと、別の誰かが彼女に気づかれない素早さで、杯の中に毒を仕込んでいたということになる。そんなこと、可能なのか?」

「それは何とも言えませんが……難しそうに思えますね。様子を見る限り、女将さんはビールを注いだら、そのまま直接お客さんに運ぶようにしているようですし」

 杯に予め毒を仕込んでおいたなら、女将に気づかれず毒入りビールを用意することは可能だけど、外部の人間がそんな方法を取れるとは思えない。

 となると、やはりアドラスさんの杯に毒を直接入れたことになるのだろうか?

「ん?」

 ふと気になって、私は開封済みのビア樽の側面をのぞいた。そこには、木板の継ぎ目に刃物を突き立てて、無理やり隙間を作ったようなこんせきが。

 ……まさか。

 ビア樽に差し込まれたタップのつまみを手前に引く。すると蛇口から勢いよくビールがあふれ出て、泡立つみずたまりが床に広がった。いつくばって液面を間近で観察すると、先刻と同じ紫光をしっかりと見て取れる。

「ど、どうしたヴィー」

「このビア樽にも魔力が混入しています。アドラスさんの杯に入っていたもので、間違いないかと」

「な……。それにも、魔力の残滓とやらが視えるのか」

「はい」

 うなずきながら、液体のにおいをぐ。次に床のビールを指ですくい、慎重にめ取った。明らかな毒の味はしない。

「おいおい、何をやっている!」

 床から引きがすように、体をひょいと持ち上げられた。振り返れば、引きったアドラスさんの顔がある。

「大丈夫ですよ。たとえ毒だったとしても、指についた程度の量じゃ口に含んでも体に影響はありません」

「だとしても、床にこぼしたものを口にするんじゃない」

 それもそうか。思いのほか常識的な反応を示されて、少し恥ずかしくなってくる。話題を変えようと、私はビア樽に手を添えた。

「それより、どうやら犯人はこの樽の中に直接毒を入れたようですね」

 私たちが食堂に入り、食事の注文をした時にはまだ他に客はいなかった。おそらく犯人はそのあとに客としてこの店に入り、アドラスさんがビールを追加注文したのを聞いて、このビア樽に毒を直接仕込んだのだ。ここなら奥から死角になっているし、女将おかみの目を盗むこともそう難しくはないだろう。

 ただ、あまりに雑過ぎて、とても計画的な犯行とは思えない。女将にも他の客にも気づかれる危険性が非常に高い方法だ。おまけに──

「アドラスさん。犯人は客の中にいたのだと思います。もう現場を去っているかもしれませんが、ビア樽に毒が仕込まれていた以上、他の客にも毒入りビールが渡ってしまった可能性があります」

 私の言葉を聞いて、アドラスさんの表情が硬くなる。

「それはまずいな。急がないと」

「ちょっと、あんたたち! まだいたのかい!」

 食堂に戻ろうとしたところで、料理が載った皿を新たに抱えた女将が、再び姿を現した。彼女はまゆり上げ歩み寄ろうとしてくるが、それを腕で押しとどめる。

「ちょうど良かった。女将さんはちゆうぼうの奥にいてください」

「は?」

 女将は目を丸くするが、詳しく説明している暇もない。

 彼女をその場に残して、既に調理場から出ようとしているアドラスさんのあとに続く。しかし唐突にアドラスさんが立ち止まったせいで、彼の背中に額がごつんとぶつかった。

「いたた。アドラスさん……?」

 足を止めた彼の背後から、前方の様子をそっと窺う。

 そこには、武器を構えてこちらをにらむ、客たちの姿があった。

「え──」

「様子がおかしいとは思っていたが、やはり気づいていやがったようだな」

 先ほどまで赤ら顔で酒をあおっていたはずの男が、大きく舌打ちをする。

「クソッ、やっぱり慣れない真似はするものじゃねえ」

「問題ないさ。毒だろうと刺殺だろうと、死体にすればいっしょだ。金はもらえる」

 そう言うのは、一人で黙々と食事をしていた男だ。その隣で短剣をこれ見よがしに引き抜く男も、出口を封じる男も、全てが食堂にいた客たちである。

「……これは想定していませんでした」

 ビールのたる自体に毒を仕込むなんて、他の客を巻き込みかねない危険な方法だと思ったものだけど。

 今なら納得できる。はじめから客全員がグルならば、他の誰かが間違って毒を口にする心配などないではないか。

 毒の仕込みだって簡単だったことだろう。誰かが女将を呼び止めているあいだに、違うテーブルの誰かが樽に細工をすればいいのだから。

 毒という隠匿性の高い手段を用いている時点で、犯人は単独犯か、もしくは二、三人程度であると勝手に思い込んでしまっていた。まさか、こんなに大勢いたなんて。

『また思い込みで視野が狭くなったね』かつて幾度となく浴びせられた言葉が、頭に響く。『あーあ、お前の目は節穴決定だ』

「アドラス様」

 リコくんが上目遣いにアドラスさんの名を呼ぶ。彼は大柄な男に襟元をつかまれ、ぶらりとちゆうりにされていた。

 その小さな顔に、無骨なやいばが突きつけられる。

「おい。ガキを殺されたくなければ、とっとと得物を床に置きな」

「……」

「早く!」

 ぐ、と剣の切っ先がリコくんののどもとに食い込みそうになる。

 思わず前に進み出そうになったのを、アドラスさんに片腕で制された。

「ヴィー、君は調理場に下がっていろ」

 でも、と言いたくなるのを飲み込んで、踏み出しかけた足を戻す。私がここでしゃしゃり出たところで、リコくんを救えるとは思えない。

 ……それにしても、一体この状況は何なのだろう。

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