第一話④

 懲罰房からようやく出ると、塔の下からこちらへ迫る、複数の足音が聞こえた。

 かなり近い。螺旋らせん階段の吹き抜けから下を覗き込むと、段を駆け上がる神殿兵たちの影が見える。

「もうそこまで……。ごめんなさい、時間を取り過ぎました」

「どうせ出口までは一本道だ。遅かれ早かれ彼らとは遭遇することになっていたさ」

 確かにそうだけど。

 アドラスさんは特に焦る様子もなく、ずんずんと階段を下っていく。

「どこかに隠れてやり過ごしますか」

「必要ない。俺のずうたいを隠せる場所も見当たらないしな」

 つまり逃げも隠れもしないということらしい。

 このままだと袋の鼠になるのでは、と不安を抱きつつ彼の背中についていく。すると程なくして、殺気立った兵たちと互いに姿を認め合うことになった。

 兵たちは警戒をにじませながら、私たちの進路をふさぐように横へと広がる。

「そこの男、止まれ! 神聖なるアウレスタに土足で踏み入り、聖女を連れ出そうとするとは何事か。今すぐ武装を解除し投降せよ!」

「聖女ヴィクトリア、懲罰房にお戻りください。聖女ともあろうお方が、罰の半ばで逃げ出すなど許されませんぞ!」

「よし、突破するぞ。失礼」

 アドラスさんは兵たちの警告を聞き流して、私に呼びかける。かと思えば唐突に、私の体を両手で抱え上げた。

「え──」

「少し揺れるぞ」

 何をするのか、とこちらが問いかける暇もなく、アドラスさんは前方に向かって走りだす。

 足を止めるどころか一気に間合いを詰めようとする侵入者に兵たちはあつにとられ、数瞬ののちに慌てて剣を引き抜いた。

「警告はしたぞ! 止まらぬなら──」

 兵士の警告は、アドラスさんのりによって中断された。

 腹に重い一撃を食らった兵は、「ぐぅ」と切なげな声を発しながら、階段の踊り場へと転げ落ちる。虚をつかれた他の兵たちは一拍遅れて剣を振りかざすが、アドラスさんは迫るやいばを何気ない動作でかわし、足で払い、易々と包囲を抜け出してしまう。

 私が瞬きする間にも、彼は軽やかな足取りで螺旋階段を跳躍して、いとも簡単に武装した兵士たちの壁を突破したのだった。

「ま、待て! 待たんか!」

 背後から兵士たちの声が響く。もちろんアドラスさんは待たない。滑るように段差を下り、風を切って、最後にひょい、と吹き抜けを飛び降りると、彼はとうとう出口に辿たどり着いたのだった。

「すごい」

 小猿のようにアドラスさんにしがみつきながら、こっそり嘆息する。

 神殿の兵たちは、一国の正規軍に劣らぬ修練を積んだ人ばかりのはず。しかし、アドラスさんはまるでものが違った。

 私を抱えたまま見せた軽やかな身のこなしも、剣の流れを読み取る動体視力も、全てが常人離れしている。何より、動きに迷いがない。兵や私が戸惑い一呼吸する一瞬の間に、彼は次の行動を開始していたのだ。

「入り口から入って、歩いて懲罰房ここまで来た」とアドラスさんは言っていたが、彼の突破力を目の当たりにした今、その言葉に何のも冗談も含まれていなかったのだと思い知らされる。

「供を待たせてある。このまま神殿の外まで向かうぞ」

 私をそっと地面に下ろしながら、アドラスさんが言う。うなずいて、私は塔の外へと足を踏み出すのだった。




 通り雨が抜けたあとなのだろうか。久しぶりの外は、湿った土の匂いがした。

 既に夜空は晴れ上がり、月がれた町をこうこうと照らしている。

 塔を抜け出しアドラスさんが向かったのは、神殿近くの広場だった。

 この場所は一般向けに広く開放されており、夜は宿を取り損ねて野宿する巡礼者たちで、いつもにぎわっている。今もあちこちに天幕が張られていて、その隙間からいくつかの寝息が聞こえてきた。

 アドラスさんは何かを探すように視線を動かす。そして広場端の木につながれた馬を見つけると、そちらへ足早に向かった。

「リコ!」と彼が呼びかけると、木々の合間から小さな人影がぴょこっと顔を出す。

 巻き毛の利発そうな男の子だった。歳は十二、三歳くらいだろうか。背丈は私よりもやや低く、顔立ちはまだ幼い。

 彼はアドラスさんの姿を認めると、まゆをきりきりとり上げた。

「アドラス様、どこに行っていたんですか! いきなりいなくなるから心配したじゃないですか。てっきり、また襲われたか捕まったのかと──」

 少年はつかみかからん勢いでアドラスさんに詰め寄ろうとしたが、私に気づくとはたと足を止めた。彼の大きな瞳が、いぶかるように細められる。

「……誰ですか、それ」

「リコ、失礼だぞ。こちらは八聖女の一人、物見の聖女ヴィクトリア殿だ」

「えっ」

 少年は目を見開いてその場に凍りつく。言葉を失う彼に、私は深々と頭を下げた。

「ヴィクトリア・マルカムです。どうぞよろしくお願いします」

「あ……えっと。僕はリコです。アドラス様の従士をしています」

 ぎこちない動きで、リコ少年もお辞儀を返す。それから彼は、困惑の表情で主人を見上げた。

「どういうことですか。先日は『神殿は好きになれない』と怒っていたのに。結局、協力してもらえることになったんですか?」

「色々あってな。物見の聖女の力を借りるため、彼女を誘拐することになった」

「はあ!? 誘拐!?」

 リコくんの叫びが広場にこだまする。いくつかの天幕から人が顔を出して、とがめるようにこちらをにらみつけた。

「こら、リコ。あまり大声を出すな」

「だ、だって。どうして……」

 リコくんは混乱をあらわに私とアドラスさんを何度も見比べる。彼が戸惑うのも無理はない。私自身も、自分の置かれた状況に少々混乱しているのだから。

「説明は後だ。もたもたしていると追手がくるぞ。荷をまとめて早くここを離れよう」

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