第一話③

「あのう。アドラスさんは、帝国皇室の方なのですか?」

「いいや。俺はただの田舎騎士だ。生まれてこのかた、自分を皇子だと思ったことは一度もない」

 おおぶるわけでもなく、打ち明ける風でもなく、ただ淡々とアドラスさんは続ける。

「俺の母は現グレイン子爵の妹でな。俺自身は、母が帝都にいた時恋人との間にごもった、所謂いわゆる私生児というやつだ。父はとっくの昔に死んでいて、俺と母は長らくグレイン領で伯父おじの世話になりながら生きてきたのだが……最近母が亡くなり遺品の整理をしていたら、母あての妙な手紙が見つかって。その手紙を読んだ連中が、『アドラスはこの国の皇子である』と言い出したんだ」

「その手紙に、アドラスさんが皇帝陛下のごらくいんであることを示唆するような記載があった、ということですか」

「概ねその通りだ。……落胤というわけでもないのだが」

 概ね、とはどういうことだろう。今の話を聞くかぎり、『アドラスさんの母親のお相手が、実は皇帝陛下だった』という流れのように思えるのだけれど。

「──とにかく、俺はアドラス・グレインだ。それ以上でもそれ以下でもないことは、自分でよく分かっている。それなのに、周囲は俺が皇子であるだの偽物だのと勝手に大騒ぎして、いい加減迷惑しているんだ」

 彼はうんざりした調子で語る。その言葉に、噓や妄想のたぐいは混じっていないように感じられた。

 確かに、帝国皇室の人間が一人増えるかも、という話が広がれば、大騒ぎにもなるだろう。この青年がそうした騒ぎを好まぬ性質たちであるということも、これまでの会話でなんとなく察することができた。

「しかし、どうしてそれを否定するのにわざわざ神殿へ? 皇子である可能性があるなら、たとえアドラスさんが望まなくても、しかるべき機関が検証してくれるのでは」

「すまないが、今は説明を省かせてもらおう。追われる身としては、あまり悠長なことをしていられなくてな」

「えっ……?」

「賊が侵入した! 持ち場を確認しろ!」

 遠くから、怒気の混じった声が響く。続けて複数の、慌ただしく床をる靴音が聞こえてきた。

「──まあ、こういうことだ」

「こういうことって……アドラスさん、追われているんですか!」

「ああ。こんとうさせた人間を、いちいち隠している余裕もなかったからな」

 ごく当たり前のように返される。なかなか切羽詰まった状況のように思えるのだが、この人の余裕は一体どこから来るのだろうか。

 靴音はまっすぐ房に近づいている。このままだと、程なくしてアドラスさんは兵に取り囲まれることになるだろう。今の話がどう転じれば私が必要だという話につながるのか気になるけれど、これ以上彼を引き止めるわけにはいかない。

 少しの名残惜しさを感じながら、私は扉の向こうに呼びかけた。

「アドラスさん。このままここにいても捕まるだけです。せっかく私を頼って神殿にいらしたのに、お手伝いできなくて心苦しくはあるのですが……どうか、早くお逃げください」

「聖女殿はどうしたい」

 間髪をれずに問われて、答えに窮する。どうしたいと問われても、私は現在囚われの身だ。選択肢なんてないのに。

「『物見の聖女は、真実を見通す』。かつて先見の聖女ジオーラは、そう予言したのだろう。俺はその言葉を信じてこの地に来た。了承してくれるなら、俺は聖女殿に真実を視てもらいたい」

「でも、ここから出られない以上私は」

 ──瞬間。キン! と金属をはじくような音が石壁をたたいた。

 次いで魔力で強く封じられていたはずの鉄扉が、きしむ音と共に開かれる。その隙間から姿を現したのは、さびいろの髪の青年だった。

「ほら、扉なら開いたぞ」

「え……えっ? 今、どうやって? この扉、魔力で錠がかけられていたはずなのですが」

「錠? それならった。なんだ、これは魔術の類だったのか?」

 アドラスさんは、何てこともなさそうな調子で扉の端を指差す。

 疑い半分に凝視すれば、確かにそこには、ぷすぷすと魔力を漏らしながら真っ二つに断たれた錠があった。

 ……信じられない。魔術──それも、神官が施した高等術だ──を物理で斬るなんて。たとえるならば、丸太を短刀で二つに割るかのごとき所業である。彼の腰元の剣も目視で確認するが、特に変わった様子はない。特別な魔道具を使ったわけでもないようだ。

「なんだこの部屋は。ずいぶん寒いな」

 顔をしかめながら、アドラスさんはのっそりと室内に踏み込んだ。薄暗い房の中で、彼のそうぼうそうえんのように輝きながら、てつく私の姿をとらえた。

「物見の聖女殿」

「は、はい」

 呼びかけられて、丸まっていた背がぴんと伸びる。

「この部屋に残り、あの聖女たちにを任せたいと言うなら邪魔はしない。俺はあなたの意思を尊重しよう」

「……意思」

「だが、もし俺と共に来てくれると言うのなら。俺はこの剣にかけて、この場からあなたを連れ出し、お守りすると約束する。

 聖女殿。どうか、俺を助けてくれないか」

 なんともちぐはぐな台詞せりふを口にして、アドラスさんは私に向かって手を差し伸べた。

 ほうけた顔のまま、私は眼前の大きなてのひらのぞき込む。

 なんの魔力の気配も感じられない。ただの男の人の、ごつごつとした手。

 それなのに、胸が騒ぐ。耳の奥で、波乱が渦巻く音がする。この手を取れば、私はきっと後戻りできなくなる。

 そう、分かっているのに。

 気づけば私は、彼の手を強く握っていたのだった。

「よし、交渉成立だな」

 すぐさま私の手を握り返して、アドラスさんはにかっと屈託のない笑みを浮かべる。

 急に気恥ずかしくなってきて、さっと視線を足元に落としながら、私は小さく頭を下げた。

「よろしく、お願いします」

「ああ。よろしく頼む、聖女殿。──さあ、時間がない。さっさとこの場所から離れるぞ」

 私の手を握ったまま、アドラスさんは扉の外へと向かおうとする。けれど一つ用事を思い出して、私は慌てて足を止めた。

「あ、あの! 少しお待ちください」

 房の隅に視線を向ける。そこには、ひざを抱えて冷気を発する霊が一人。

 一度も意思の疎通に成功していないが、これでも三日を共に過ごした仲である。えんざいでこの房に投げ入れられたという境遇にも、共感を覚えずにはいられない。時間はないけれど、彼女をこのままにはしておけなかった。

「ねえあなた。ここにいても寒いだけですよ。扉も開いたことですし、外に出たらどうですか」

『いや……。寒いのはもうごめんよ。いっそ死んでしまえば、楽になれるのに』

 いやもう死んでいますよ。そう言いたいのをこらえながら、私はぶつぶつと嘆き続ける亡霊を見下ろす。

 霊とは大概こういうものだ。彼らに生きた人間ほどの思考力はなく、生前の感情に強く支配された言動ばかりを繰り返す。ただ優しく語りかけても、反応を示す者などほとんどいない。

 彼らは言わば、魂のざん。手を差し伸べずとも、放っておけばいつかは跡形もなく消えてしまうだろう。

 ……だけど。

「そこ! 扉! 開いていますよ!」

 呼びかけが伝わるよう、慣れない大声を張り上げる。ついでに身振り手振りを加えると、初めて霊は顔を上げた。

「ここにいても寒いだけです! ほら、あっち!」

『……』

 霊はうつろなひとみで私を見つめ、次に扉へと顔を向ける。彼女の瞳に開け放たれた扉を映すことができて、とりあえず私はほっと息をついた。

「私はここを出ます。あなたもこんな場所に縛られていないで、別の場所に行ってみてはどうですか。ここだけの話、神殿の幹部会議室はいつも暖かいのでお勧めですよ」

『……』

 私の言葉に、霊は何も返さない。結局彼女は視線を天井へと戻し、ぼうっと宙を眺めるのだった。

 伝わったのかは分からない。だが、できることはした。これ以上の干渉は必要あるまい。

「もしかして、そこに霊がいるのか」

 アドラスさんは興味津々な様子で目を見開く。私が「はい」とうなずけば、彼は小さく感嘆した。

「すごいな。俺には、聖女殿が壁に話しかけているようにしか見えなかったぞ」

 失礼な発言に聞こえるけれど、どうやら本気で感心してくれているらしい。事実、彼の瞳は少年のように輝いていた。

「これは期待できるな。さあ、行こう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る