22.メッセージ

 奈月は手慰みにペンを回し、机においた時計へ目をやる。先程確認した時刻から十五分が経っていた。その時にもこうしてペンを回していた気がするから、かれこれ十五分以上、自分はペン回しを続けていたことになる。

 盛大にため息が漏れた。あまりにも不毛である。どう考えても突破口が見当たらない。

「これさぁ……ほんとにあたしじゃないとだめ?」

「ダメだね」

 律儀に黒いマスクをきっちりつけたまま、前の椅子に腰掛け答えた幼なじみの言葉はにべもない。視線は本に落とされたまま、こちらへよこしすらしなかった。

 背もたれに肘をかけ、脚を組んで文庫本を読む、ショートカットの女学生。スラリとした脚にスラックスの制服も相まってか、ひどく絵になる。奈月のことを演劇部に誘ったのは夕貴だった。

「なんで夕貴じゃなくてあたしなんだ……」

「さぁね。でもほら、「民意」だからさ」

 そう告げる夕貴の声音が少し軽いので、彼女の方を見なくともマスクの下に笑みが隠れていることはよく分かった。

 奈月の前には、そっけない白い紙がおいてある。プリントアウトしてある文章はひとつだけ。

 「題:ラストメッセージ」


 高校二年、夏。文化祭は二ヶ月後に迫っていた。奈月たちが所属する演劇部の晴れの舞台である。

 文化祭が終われば三年生は退部となり、次は奈月たちが演劇部を率いていくことになる。劇の稽古に引き継ぎにと、今はなかなか忙しい日々を送っている最中だ。

 この高校の演劇部は歴史も長く、先輩たちから代々受け継いできた伝統行事も少なくない。奈月が唸っているのは、その伝統行事のひとつ、「ラストメッセージ」

 三年生が「退団」する文化祭当日、三年生を除いた部員だけで一度限りの舞台を行う。観客は退団する三年生のみで、演目は「ラストメッセージ」という題名だけが決まっているものだ。


 奈月は「ラストメッセージ」の脚本を頼まれていた。全員で誰がどの役をやるか投票した結果、何故か奈月が脚本に選ばれた。

 奈月からしてみれば、この決定は謎でしかない。これまで脚本を書いたことなど一度もなければ、普段は衣装担当だ。

「夕貴がやればいいんじゃないかなー。よく書くんでしょ? こういうの」

「私が書くのは歌。演劇の脚本なんて守備範囲外だよ」

「あたしだってそうだって……。何から書いたら良いんだか」

「……まぁでも、題名だけは決まってるんだ。ラストメッセージ。奈月は何だと思う?」

 そう夕貴は本を閉じ、頬杖をついてこちらを見た。奈月は考え込むように視線を上へ上げる。

「最後の言葉……お別れ、決別、さよなら……パーティ」

 夕日の差し込む天井を見ながら、ぽつりぽつりと浮かぶ言葉を口にしていた。

「パーティ?」

「お別れ会みたいなやつ。やったことない?」

「私はないけど」

 一般的じゃないのか、と奈月は首を傾げる。

 少々子供がはしゃいでも許されるレンタルスペースを一日借りて、集まった保護者達の手料理やケータリングを頼んで遊んで過ごす「お別れ会」は、夜寝る前に立ち去る人間の「別れの言葉」があるくらいで、ほかは単なる楽しい遊びの時間だった。

「けど、良いんじゃない? その一場面、みたいな劇にすれば。ちょうど三年生と「お別れ」なんだし。なにか事件でも起こせばさ」

「事件かぁ……」

 奈月はペンをくるくると回す。そのうち、ひとつ思い出したことがあった。ぱし、とペンをつかむ。

「それっぽくなってればいいよね、多分……」

「そうそう。後でいくらでも直せるんだからさ」

 奈月はひとつ息をついて、ようやく心を決めた。白紙の紙にペンを走らせ始める。


 奈月に自覚はないようだが、彼女は己の経験を語らせれば右に出る者がいないほど情感豊かに、そして面白く話をする。

 そんな彼女が、脚本を作ったならどんな物ができるのだろう。演劇部の中ではそう思う者が多かった。その結果の「民意」だ。

 書き綴られ始めた脚本を、夕貴はひとり優しい眼差しで眺めた。

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紙片綴り 唯月湊 @yidksk

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