21.短夜

 マッチを擦れば、どこか懐かしい火薬の香りと灯火のまばゆさがあたりに満ちた。マッチの火が消えぬうちに、装束姿の少年は和ろうそくへと火を移す。

 細く長く灯火をとどめ続けるとされる和ろうそくには、この神社の紋が刻まれている。ちょうどひとつきで使いきれる数を月のはじめに奉納してもらっている、とは、少年が「夜の番」を任されるようになったときに聞いた話だ。


 火のついた和ろうそくを持ってはじめに向かったのは、山門の石段を下り降りた先にある石灯籠いしどうろう。「町」と「山」の境界である。

 山門の石灯籠から境内へ、敷地をぐるりと回るようにゆっくりと灯籠へ火を入れて回る。灯籠を回る順番、次の灯籠へ向かうまでの歩数など、事細かに決められている。

 時刻は夜の帳が下りはじめる黄昏時。一歩一歩と山道を登るごとに、灯籠に火を入れていくごとに、人々の時間である「昼」から、神々の時間である「夜」へと移り変わっていくようだった。

 ただ、今宵は短夜みじかよ、すなわち神々の時間が一番短くなる夜である。

 この日に灯す灯籠の結界は、普段と同じくあやかしを通さぬだけではなく、幼く弱い神を匿う意味も持っていた。

 「神々の庭」と呼ばれるこの山にある、唯一の社が担う仕事のひとつだ。


 八百万の神々が住まう国、とは昔の話である。かつては神域とされていた場所も次々と失われ、神々は姿を消していった。

 けれど、この世に未だつながりを持ち続ける神々や、新たに生まれる神もいる。彼らがおわす神域を守り、敬い仕えるのがこの山の社に住む者たちの生業だ。

 暦ごとに様々な神事がある中、今宵は短夜の宴の日。短夜は神々を社に招き入れる。社のうちには果実や海の幸、山の幸などの供物が捧げられていた。


 社の結界を張り終えて、少年は仕事終わりを宮司へと伝えた。これから宮司は一晩祝詞を捧げることになる。

 少年は離れの自分の部屋へと戻り、夜明けとともに火を消す仕事に当たる。夜明けまでは仮眠の時間だ。握り飯をふたつばかり皿に載せ、少年は自室へと向かう。

 その折に、トタタトタタと音がした。幼い子どもの足音だ。少年は振り返るが、そこには誰もいない。

 再び歩き始めれば、やはりトタタトタタと駆け回る足音がする。

 少年はふと思い至ったように、ふたつ持っていた握り飯のうち、ひとつをひょいと口にくわえた。皿に残した握り飯を、そっとその廊下へ置いて、丁寧に一礼をする。

 少年は再び自室へ足を向けた。足音は聞こえない。くわえた握り飯をゆっくりと食べながら、口元には思わず笑みが浮かんだ。


 短夜の明けた朝方、皿の上に残した握り飯はきれいに無くなっており、代わりに青紅葉がひとつ置かれていた。

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