第7話

 今日は川辺にある広場で、村のみんな総出で流し素麺を楽しみます。男たちが半分に割った竹を繋ぎ合わせ素麺の道を作り、女たちは素麺を湯がいて一口分の玉を作ります。連日の賑わいは川辺の水面と同じようにきらきらと輝いていました。

 ようやく準備が整い、竹の道の淵に沿ってみんな立ちました。水は白糸の滝から直接流れているため、衝立ついたてを置かないと水は止められません。

「流すぞー」

 漁師の片蔵さんが合図をすると、子供たちは今か今かと待ちきれなくて大はしゃぎします。黒斑と卯之助もしっかりお椀を持って流れてくるのを待ち構えます。ですが上流にいる子供たちが上手に掬ってしまうため、なかなか流れてきません。

「来ない……」

「上に移動するか?」

「嫌だ。この木陰から出たくない」

「わがままだなー」

 とにかく涼しい場所から動きたくない黒斑は、じっと我慢することにしました。

「あ、来た!」

 卯之助が流れてくる素麺の玉を見つけました。

「いただきー!」

「俺っちが先に見つけたんだぞ!」

 二人は箸でついばむように素麺を取り合います。結局最初の素麺は二人の箸をするりと抜けて流れていきました。

「卯之助が邪魔するからだぞ」

「それはこっちのセリフだい!」

 喧嘩になりながらも二人は流れてくる素麺に狙いを定め、ものすごい勢いで素麺を掬います。最初に獲得したのは卯之助でした。黒斑はあと少しのところで卯之助に取られてしまいました。

「冷たくてうめー!」

「ぐぬぬー……次は絶対取ってやるー」

 卯之助が素麺を堪能していると、また素麺が流れてきました。今度は黒斑が箸を使って取ろうとしますが、なかなか箸を使えません。黒斑は諦めて素手で素麺を取ることにしました。

「あ! 黒斑ずるいぞ!」

「仕方ないもん! こんなの使いづらくて食べられない!」

 ようやくお椀に入った素麺を食べることができた黒斑は、美味しそうに啜ります。

「んまー!」

 二人が楽しんでいるところに村長が様子を窺いに来ました。

「おめーら楽しんでっかー?」

「あ、村長! 冷たくて美味いぞ!」

「そりゃあ良かった。ところで卯之助。今日がなんの日か知っておるか?」

「七夕だろ? だから昨日掃除したし、あそこに竹飾って願い事書いた短冊も飾ったし……」

「実はな、この素麺も七夕に関係しておるんじゃよ」

「そうなのか?」

「なあ、七夕ってなんだ?」

 置いてけぼりにされている黒斑はたずねました。

「七夕ってのはな、うんと昔、織物を得意とする娘・織り姫と、牛飼いの青年・彦星という若い男女がおってな。二人は出会ってすぐに恋に落ちて結婚するんじゃ。しかし結婚してから二人は自分たちの仕事を怠けるようになってのう。織り姫の父親は二人を西と東を川で隔てて顔を合わせることもできなくしたのじゃ。じゃがのう、今度は織り姫が泣くばかりで機を織れなくなってしもて、父親は『真面目に働くなら、一年に一度だけ会わせてやろう』と言ったのじゃ。それから織り姫は心を入れ替えて、約束を守りながら彦星に再会できたのじゃ。それが、七夕の始まりじゃ」

 二人とも口を開けたまま、へえ、というばかりです。

「でもなんで七夕と素麺が関係あるんだ?」

「それはのう、素麺は天の川に例えているからじゃよ」

「天の川?」

 黒斑はまたしても首を傾げます。

「ほっほっほっ。今晩は外に出て、空を観察するとええぞ」

 そういうと、村長は他の村人の様子を見に立ち去りました。その後も二人は素麺の取り合いで必死になり、腹一杯になるまで素麺を食べました。


 夜になると雲行きが怪しくなり、空は星の一粒も見えません。

「なあ卯之助ー。空曇ってて見えにゃいぞ」

 猫又姿で縁側をごろごろしている黒斑は、楽しみにしていた夜空が曇っていることに対する不満を卯之助にぶつけます。

「んなこと言われたって、俺っちはお天道様でもなけりゃ神様でもねえから何もできないぞ」

「分かってるけどさあ」

 黒斑は心の中で晴れろ、晴れろ、と願うばかりです。村長が三人分の水々しい胡瓜きゅうりを持って縁側にやってきました。

「びゃあ!」

 黒斑は胡瓜を天敵の蛇と勘違いして飛び跳ねました。その驚き様に卯之助はどこか可笑しくて笑いが止まりません。

「どうしたんだよ黒斑」

「う、卯之助笑い過ぎにゃー!!」

「ほれほれ二人とも落ち着かんかえ」

 村長が腰を下ろすと、黒斑と卯之助は村長を挟むように座ります。それから胡瓜を丸々一本もらうと、先端の硬い部分を齧って縁側に吐き捨てました。

「七夕の夜はほとんど曇っているか、雨が降っていることが多いんじゃ。じゃから天の川なんてもんはほとんど誰も見たことがないんじゃよ」

「ああ、確かに。でもどうして?」

 卯之助は少し上を見上げて思い出しますが、晴れていた記憶がありません。

「ほっほっほっ。一年に一度しか会えんのじゃから、誰にも見られたくなかろう」

「えー、いーじゃんかー別に」

「おめえさんにはまだ恋心という気持ちが分からんようじゃのう」

 村長は笑いながら胡瓜を齧ります。

 三人が食べ終わる頃には、肌が冷えて寒く感じます。村長は一足先に寝る支度を調えていましたので、布団に潜っては寝息を立てました。黒斑はそのうち晴れるだろうと信じて、まだ縁側に座っていました。

「卯之助は寝にゃいのか?」

「俺っちも天の川見たことないからな」

 二人でつまらない曇天を見上げていました。夜もかなり耽り、向こうの山では森林狼の遠吠えが聞こえました。それすら気付かないほど、二人は大きく船を漕いでいました。しばらくすると、暗がりは徐々に明るくなり、瞼の裏が少しだけ白く映りました。

「あ! 卯之助、起きるのにゃ! あれを見るにゃ!」

 先に起きたのは黒斑でした。卯之助の体を大きく揺すって起こします。その後、あまりの綺麗な空に漏らす声もありません。卯之助も大きな欠伸をしながら目を擦って、黒斑を見ます。空に見惚れている黒斑の目線と同じ方向を見ると、そこには大きな天の川が流れていました。

「素麺だ……」

 卯之助は思ったことがそのまま口に出てしまい、黒斑は大笑いします。

「卯之助、まだ素麺食べたいのか? 綺麗だなー、天の川……」

 黒斑はこんなにも綺麗な空を見て、ずっと人間の世界に居れたらいいのに、と思うと、悲しくなりました。それは絶対にできないことだからです。

「黒斑?」

 先ほどまであんなに明るかった黒斑が、急に潮らしくなっていました。

「にゃあ、卯之助。おいら、物ノ怪自分の世界に戻っても、いつでも人間の世界(こっち)に来られるようにできにゃいか、おいらのお父に頼んでみる。おいらのお父、すごく偉い物ノ怪だから……」

「――そんなに帰りたくないなら、帰らなきゃいいじゃねえか」

「にゃ?」

「黒斑は、悪い物ノ怪なんかじゃないし、それに……黒斑がいると、毎日楽しいし」

「卯之助……」

「織り姫だか彦星だか知らねーけどよ、俺たちは一緒に暮らせばいいじゃねえか」

 黒斑はその優しさに、離れたくないと思いました。卯之助はなんだか小っ恥ずかしくなって、耳を真っ赤にして黒斑を見ないようにしました。

「卯之助、ありがとうにゃ」

 黒斑は猫のように擦り寄ってきては、柔らかい毛を卯之助にすりすりしました。

「や、止めろよ黒斑! くすぐったいってば!」

 七夕という日は、どこもかしこも甘い二人がいるものだと、どこの誰が思ったことやら。

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