記憶喪失の少年は罪探しがしたい ~聖戦の世、どこかで破滅を希う~

樂斗

#01 声

 狂気を纏った男の声が少年の脳内に響いていた。

 頭を振っても思考を逸らしてもその声は消えることはない。

 妙に落ち着きのある中低音。その声の主はその少年のものでもほかの誰のものでもない。


 ——五月蠅いッ!!


 少年は柄にもなく、バッと右手を天に突き上げそのまま自身の短髪を掴む。

 月光が黒髪を照らす。掴まれた一束の髪の中から銀髪がこちらを覗いている。

 それを醜いといわんばかりに容赦なく引っ張り、銀髪は無残にも根元からむしり取られる。


 「もう......止めてくれよ......」


 今にも消えてしまいそうな微かな声で懇願する。

 満天の星空の下でたった一人叫び、周りの人間は見向きもせずに硬直している。

 彼の足元は赤黒い血で染まっている。

 そう、彼を除いた人間は誰もこの世にはいない。彼をこの苦しみから救うものは誰一人としていないのだ。

 そう気づいた時の絶望感は想像を絶するものである。


 ——再び声が響く。


 気が狂ってしまいそうだったしまいそうだった。

 先ほどから一方的に少年に投げかけられている声。これは外界からの声ではなく精神に直接発せられているようだ。

 だから対処法がない。

 苦しみから逃れるために死ぬ気もさらさらない。

 でも、その願いも叶いそうになかった。

 先ほどから体内が焼けるように熱いのだ。めまいと喉の奥から込みあがってくる吐き気で立っていられない。

 声は少年をケタケタと嘲笑い、少年はそれに殺意を覚え咆哮をあげる。

 その小さな身体は膝から崩れ落ち、助けを求めるようにも気管に溜まった血塊がこれ以上声を出すのを許してくれない。

 自分が何をしたのだと自問自答を繰り返す。


 ——俺は死ぬのか......?


 悔しかった。こんなときにまでこの声は自分を苦しませるのかと。

 視界が暗転。

 消えゆく少年の意識は深く深く沈んでいくようだ。

 暖かい水に包まれ、すべてから解放されるように感じた。


 『そんなの......許さないっ......!』


 狂気はより大きな狂気と化し、少年の消えゆく意識の中に溶け込まれていった——。





♦♢





 「ねえ、お姉さん。お花を買ってくれませんか?」


 薄暗いスラムの町で一輪の花を握りしめて俺は言った。

 ローブを纏った少女にそれを突き出し、わざとらしく微笑んで無邪気さを出しつつ困ったような少女の反応は無視し続ける。

 少女は自らの身分を隠しているようだ。その証拠に華やかできらびやかな花の刺繡が施されたドレスを隠しきれていない。おそらくどこかの貴族のご令嬢で間違いない。


 「えっと......」


 可愛く困ったような顔をしたって俺は絶対に引かない。この一輪を買ってもらうかで明日の命の有無が決まるのだから。

 なんなら俺のほうが可愛い。


 「買ってくれないんですか......?」


 花を握りしめながらストンとその場に座り込み、懐の貨幣を数えるようなしぐさをする。

 叩くような雨水の音が金属の屋根によって響き渡る。音と音の間隔が空間の時間を引き延ばしているように錯覚させる。


 「申し訳ないけど買ってあげれない」


 深々と溜息をつき、少女は俺のフードをめくりあげた。


 「私と共に来なさい」


 まっすぐと俺の目を見つめる瞳はなんの濁りもない美しいアメジストだった。

 物乞いの少年を勧誘するなんて正気の沙汰じゃない。使い物にならないゴミを拾うようなものだ。


 「......」


 今は何でもよかった。

 空腹だ。腹が減っていた。

 正体不明の安心感から俺の全身の力はあっという間に抜けてしまっていた——。




 ——なぜだろうか。このやわらかな声が耳障りでしょうがないよ。




 


 

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