うつ病になると思ってた?
私の場合、確信ではなかったけれど、高校生くらいの頃から漠然と、将来働けなくなりそうな気はしていました。
精神科という言葉が、ずっと頭の中にあったまま大人になりました。
なぜなら、小中高校と、涙のコントロールが出来なかったり、気分の落ち込みの激しい期間があったり、記憶力がおかしかったり、前兆を感じていたからです。
これはいつかなにかしらの精神疾患になりそうだな、と、漠然と感じていました。
特に本当に涙のコントロールが出来ず、一度出たら三時間ほど涙が止められない『メルトダウン』の状態に入り込みやすくて、けれど当時はメルトダウンの名称すら知りませんでした。
『ダウン』と表記されることもあります。
涙が出やすいのに、感情は無、もしくはパニックの両極端で、理由など話したいけど話せなくて、頭の中では冷静な面もあって、とても困っていました。
異常だと自分では感じているのに、周囲の目からは「またか」と思われる程度なのです。
こういったことがあり、まだ精神疾患の起きていない高校生の頃から精神のことを調べていて、一度、その時にADHDではないか?という疑いも出て来ましたが、発達障害との診断は成人を過ぎてからになりました。
当時、この時点では日常生活を送る上ではまだ問題がなかったのもありますし、勝手に病院に行けるわけでもありませんでした。
なので、成人し、体調不良を起こし始めてから精神科へ行く時も、ついにこの日が来たかという感覚で。
誰にも相談しないまま、尋常じゃない恐怖感と共に、その1歩を踏み入れたことを覚えています。
不安障害だったので、それで想定以上の恐怖を持っていたのですが。
「まさか自分がうつ病になるなんて」という想定外の人の話をよく聞きます。
私のような前兆が、幼少期から続いていた人の方が少ないのかもしれません。
たまたま私が歪んだ家庭で生まれ育ち、たまたま涙が異常なくらいに出やすくて、同じくらい腹痛も起こしやすくて、何事も我慢してしまう性格で、我慢出来てしまう性格で。
そういう傾向がわかりやすく、けれど気づいた時にはもう遅かったということだったのだと思います。
強烈なストレスを幼少期に長期に渡って受け続けた後、どれだけ楽しく過ごせた期間があっても、どれだけちゃんと働けていた期間があったとしても、トリガーがあれば落ちてしまうのはすぐでした。
我慢してきたツケが回ってきたのもあります。
刷り込まれてきた認知の歪みと現実の狭間で、釣り合いが取れなくなって崩れてしまったのもあります。
少なくとも私は、とてもいい環境で仕事出来ていたのに、うつ病を発症してしまったということ。
トリガーは恐らく、満員電車や認知の歪みに押しつぶされたことでしょう。
幼い頃の苦しみは、目を背けていただけじゃ解決せず、何十年経っても向き合えるまで付き纏ってくるものなのだと、経験しました。
もしかしたらその前にカウンセリングを受けていたら?
本心を書き綴っていたら?
言語化出来ていたら?
ここまで酷い状態にはならなかったかもしれません。
既にこちらの道へと来てしまった私にはもうわからないことです。
私のように、前兆があるように感じている方がもしいたならば、感情の吐き出し口をしっかりつくっておいてください。
日記でも、なんでも話せる友達でも、Twitterでも、ブログでも、言語化はどこでもできます。
溜め込まないこと、そして攻撃性をできるだけ自分にも他人にも向けないように客観視すること、自分の気持ちや感情を大事にすること。
そういうひとつひとつの積み重ねが大事だと、今の私からのメッセージになります。
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