第7話

「そういや、まだ名乗っていなかった。俺はヴィンス。あんたの名前は?」


“我が名はオムニス”


「オムニスか、よろしく。おかげで約束を守れそうだ」

 ヴィンスはにっこりと微笑む。空を飛んでいるので強い風を感じるが、不思議と竜の背から落ちそうにはならない。しばらくすると、眼下にうねるように描かれた街道の先にプラケンタの街が見えてきた。


“あの街だな”と蒼竜オムニスは伝えてきた。


「そうだよ。あそこが目的地だ。でも、目立たないようなところで下ろしてくれないか。街の真ん中に降りると騒ぎになりそうだ」


 蒼竜オムニスは、街外れ近くの目立たない森の少し開けた場所に静かに降り立った。空を飛ぶという未知の経験をした荷馬は怯えていたが、シモンが熱心に撫でてやると安心したのか落ち着きを取り戻した。


“我はここで待つ。契約を交わした者がその剣の柄を握れば、離れていても我と話が出来る”


「へえ、そいつは便利だ。でも、オムニスから俺には連絡できないのか?」


“残念ながら。だが、その剣の場所はわかる。必要とあれば飛んでいくだけだ”


 だから、剣の近くの山に居座っていたのか。ヴィンスは納得した。

「じゃあ、ちょっと街へ行ってくる。今晩は街の宿を取っているのでここには戻らないよ」

 承知したというようにオムニスは軽く吠えた。ヴィンスとシモンは荷馬を引き連れて、木々の隙間から見える街へと歩き出した。


 街はいつも通りの賑わいを見せていた。二人は、宿屋「ネコの帽子亭」へと向かう。時刻は午後四時十五分。約束としていた時間は四時半。どうやら間に合った。宿屋の前で荷馬を預け、村のみんなから預かった商品の入った鞄を背負って持って宿屋の受付に行く。


 受付にはアニエスはいなかった。聞くと、レストランで夕食の仕込みを手伝っているとのことだった。ヴィンスは部屋に入り、荷ほどきをする。約束したリンゴを用意して、受付の横を抜けて、レストランへと向かう。シモンは別の部屋をとり、一休みするとのことだった。


「こんにちはー。すいません、アニエスさんいますか?」ヴィンスは厨房の方へ声をかけた。

「あ、はーい!」元気な声が返ってきた。しばらくすると厨房から、アニエスが出てきた。髪を上げて束ね、エプロンをしている。

「わあ、ヴィンスさん、お久しぶりです! 今日お泊まりのお約束でしたもんね」とアニエスは屈託のない笑顔を見せた。

「これ、約束のリンゴです。こっちが買い付けの分で金額を書いた請求書はこちら。あと、アップルパイにしてもらうおまけの分はここに」

 リンゴと伝票を見せる。

「ありがとうございます。買い付けの分はお支払いしないとですね。あとで父か係の者が代金をお部屋にお届けします」

 ヴィンスはうなづく。

「えっと、そうですね。アップルパイは明日の朝食でお出しするので良いですか? 夕食にはちょっと間に合わないので」

 アニエスは、両手を合わせながらごめんなさいという仕草で言った。

「分かりました。楽しみにしています。あと、夕食の料理も」

 少し照れながらヴィンスは応じる。

「では、すいません。また後で!」

 アニエスはリンゴを抱えて厨房へと戻っていった。


 その夜、ヴィンスとシモンは宿屋のレストランで酒と料理を楽しんだ。大賑わいの中、給仕に忙しいアニエスとはなかなか話が出来なかったが、元気に配膳する姿を見ているだけでヴィンスは満足だった。

 食事をすませると、シモンの部屋で村の商品を明日から街で売っていく段取りを話し合う。市場での行商人用の売場をシモンがおさえてくれていた。


 ヴィンスは部屋に戻ると宿屋の大浴場に行き、旅の汗を流した。湯船に浸かりながら蒼竜オムニスと交わした約束を思い出す。今思うときちんと確認せずに約束をしてしまったとも思う。でも、自分が約束を守るためにした選択だ。後悔はしない。

 ふと、剣をどこかに置いたまま、逃げてしまえるのではと思った。剣の場所はわかったとしても、ヴィンスの居場所まではわからないだろうと。だが、首を横に振る。よく理解していなかったとはいえ、蒼竜オムニスと約束を交わしたのだ。それは守らなくては。もう二度と約束は破らないと、あの時に決めたのだから……。


 ヴィンスは翌朝、いつもより少し早く目が覚めた。もちろん地元のリンゴでつくられるアップルパイが楽しみだったのだ。朝食のためにレストランが開くにはまだ時間があった。ベッドの横に立てかけていた竜剣を見る。

 ふと、剣の柄を握ってオムニスと話してみようと思ったが、さすがに朝早くは迷惑かと思いやめた。

 着替えて、身なりを整える。寝ぼけた顔でアップルパイを食べる気は無かった。そして、大切なものとして帯剣する。剣は扱えないが、オムニスにとっては大切なものだろうから。


「おはようございます!」

 朝から元気なアニエスの声が聞こえた。レストランには少し早く来たのにも関わらず、歓迎してくれてテーブルへと案内してくれる。

「お約束どおり、アップルパイは焼き上がってますよー。朝食のメニューに追加でつけますね」

 しっかり者のアニエスの言葉に、ヴィンスはうなづく。少々お待ち下さいと告げて、アニエスは厨房へと戻っていった。

 少しして、目玉焼きなどの朝の定食メニューにアップルパイが添えられた豪華な朝食がヴィンスの目の前に並べられた。

「いただきます!」

 焼きたての香ばしい匂いを漂わせるアップルパイを頬張り、その美味しさに感動する。ヴィンスは思わず涙が込み上げてきた。美味しさだけでない、約束を守れたこと、そしてアニエスもそれに応えてくれたことが嬉しかったのだ……。

「これは、美味しい! ありがとう、アニエスさん。おかわりありますか?」

「はい。少々お待ちを」アニエスがにっこりと微笑んだ。


 朝から天気も良く、賑わう市場でシモンと一緒に村の商品を売る。なかなかの売れ行きで、その日のうちにほぼ完売となった。残った商品はシモンが良い値で下取りしてくれて、ヴィンスが街へと持ちこんだ商品は売り切ることができた。


 もう一泊、ネコの帽子亭に泊まりたかったが、ヴィンスは村へと戻ることにした。剣の柄を握り、蒼竜オムニスに話しかける。昨日降り立った街外れの森で待っているという。宿にもどり、連泊を取りやめ代金を払う。村の冬支度のために必要なものを買い込む。


 大荷物を背負い、ヴィンスは街を出て森へと向かった。西に傾いた陽の光が木々の隙間をぬけてオレンジ色に周囲を染めている。森の奥の開けた場所で、蒼竜オムニスが静かに待っていた……。


「……さあ、帰ろう。村のみんなが待っている」

 その声に竜は応じるように吠え、翼を広げた。

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村人は竜を奏でる 凪野 晴 @NaginoHal

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