第5話

 ラウルと広場でわかれたヴィンスは、自宅に戻るとさっそく身支度を整えはじめた。明日は十一月二十五日。 宿屋の娘アニエスと約束した日。明日の朝までここにじっとしているわけにはいかない。あの竜をどうにかしないと、彼女との約束は果たせない。ラウルやシモンさんには申し訳ないけれど、先に行こう。


 ヴィンスは荷物を背負うと、自宅を後にした。腰には例の剣を下げている。向かうは、エレクティオ山の先にあるプラケンタの街だ。広場を抜け、街へと続く道がある村の門を目指して歩く。

 まだ日は暮れていないのに、門は閉じられていて、そこに人影があった。

「やっぱり思った通りだ。今晩、山へ向かうのはやめておけ、ヴィンス」

 つい先程も聞いた声。ラウルだった。

「今晩は天気が崩れ、季節外れの大雨になるらしい。悪いが村長の命令でね。大雨に備えて門は閉じさせてもらった。先にある橋で増水による事故なんてのが起きたら、困るからな」

 ラウルは腕組みをして、ヴィンスをじっと見つめている。

「それにな。さっき宿屋でシモンさんと明日のことを決めた時、お前は約束しなかったなと気づいたんだ。約束をしたら、きちんと守る。でも、……しなかったら? どうするかな? 抜け駆けはなしだ、相棒」

 ヴィンスは黙っていたが、小さく溜息を吐くと、

「……わかった。今約束する。明日の朝八時だな」

 ラウルはにっこりと微笑むと腕組みを解いた。彼に促されて、ヴィンスはしぶしぶと自宅へと戻ったのだった。


 その晩はラウルの言った通り、雨が激しい荒れた天気になり、一晩中、強風が家の壁に吹きつけていた。強風の織りなす音に悩まされ、明日の約束のことも気になり、ヴィンスはよく眠ることができなかった。明け方近くなって、深い眠りに入ったが、それは僅かな時間だった……。


 朝になっても雨は止んでいなかった。ただ、夜通し吹いていた強風は過ぎ去っていた。気持ちの良い目覚めではなかったが、ヴィンスは簡単な朝食を取り、身支度を調える。昨日用意していた荷物を背負って、腰には例の剣を携える。そして、シモンやラウルと約束した広場へと向かう。


 空は薄い雲に覆われて、雨も小雨になってきていた。雨具を羽織るほどのことはないとヴィンスは判断。よく寝れなかったが、時間は守る。八時まであと五分というところで広場に到着した。丁度良い時間に着いたと思った。だが一方で、早く集合して出発したいという気持ちも渦巻いていた。

 シモンが宿屋の方面からやってくるのが見えた。荷馬を左手で引きながら、右手を振っている。ヴィンスも応えるように手を振った。八時、丁度。ラウルはまだ現われなかった。さらに五分ほどして、小走りに彼がやってきた。

「おはよう。すまない。昨晩、風の音でなかなか寝付けなくてさ」少し息を切らしながラウルが言った。

「ああ、仕方ないさ。わしもよく眠れなかった。季節外れの大雨というよりも嵐のようだったな」シモンが同意する。

 ヴィンスははやる気持ちを抑えることなく、出発しようと歩き出すという意思表示をした。二人もそれに従うようについてきた。


 エレクティオ山へ向かう道は、昨夜の雨でぬかるんでいたが足を取られて苦労するほどではなかった。前回のように話は弾むことなく、三人は黙々と足を進めた。やがて、エレクティオ山の麓の小屋に着いた。荷馬に水をやると三人は小休憩を取る。口には出さなかったが、三人とも山の頂上にもう竜がいないことを願っていた。ラウルが口を開く。


「竜の件が片付いたら、俺は村へ帰るから」

 ヴィンスとシモンは、わかっているとばかりにうなづく。ここまでは通常どおりの旅程で、示刻晶石の腕時計は十一時近くを指していた。


 エレクティオ山の頂上への道を三人は進み始めた。道は昨晩の大雨で泥だらけとなっていた。山頂から流れ落ちてきた水で、道は荒れてしまったのだ。ところどころに大小の石が転がっており、風で落とされた落ち葉がべったりと泥の道に貼り付いていた。思った以上に滑りやすくなった登り坂の山道を三人は苦労して登る。秋の涼しい空気が漂っているのに、三人の額には汗がにじむ。

「これは……思った以上に、大変だな」とラウルがつぶやく。

 山の中腹まで来たところで、シモンが前方を指さして言った。

「折れた木が道を塞いでいる……」

 道の脇に生えていた巨木が根っこをさらすように倒れていた。道を横断している。三人は、道中の疲れも相まって溜息をついた。

 幸い、人であれば倒れた巨木を登り乗り越えることは難はなかった。問題は連れていた荷馬だった。荷物をここで放置するわけにはいかず、いったん荷馬から荷物を外し、人手を介して倒れた巨木の向こうへと運ぶ。その後、三人は巨木に動揺する馬を、なんとか落ち着かせながら乗り越えさせた。再び馬に荷物を載せて固定する。想定外に時間がかかった。


 同じようなことが、その先でもあった。さすがに二度目となると三人は段取りよく乗り越えたが、疲労のため小休止を取らざるを得なかった。

「昨晩は、村でもひどい強風と大雨だったが、山の方がもっとひどかったようだな」とシモン。

 二人は疲れを隠そうとせずに、無言でうなづく。

「だが、この先、山頂へと続く道は木々が減る。大丈夫だろう」

 山頂を越えてから街へと山下りをする時には、ここまで来たような山林の中の道を通る。ラウルは同じように苦労するのではと思った。だが、山頂の竜の問題もある。二人には話さず心に留めておいた。


「夕方には街へ着きたい。申し訳ないけれど、そろそろ行こう」とヴィンスは立ち上がりながら言った。

 中腹を抜けると山林は姿を消し、ごつごつとした岩場が目立つ。ここまで来るとどうしても山頂の竜を意識する。ぬかるみがひどい道を何とか進んでいく。もうすぐ竜のいた山頂だ。だが、三人には具体的な対策は思いついていなかった。ヴィンスは腰に差した剣の柄を左手で触る。前回と違うのはこれだけだ。でも、この刃こぼれや錆がついた剣で、いったい何かできるのだろう。戦うことすら敵わないのでは……。


 ついに、山頂近くまでたどり着いた。三人の淡い期待は、静かに弾けとんだ。蒼い竜が一昨日と同じように居座っていた。猫のようにおとなしく眠るようにしているが、周囲には何人たりとも近づかせないような空気が張り詰める。山頂ということもあるが、それ以上に空気が薄く感じる。ヴィンスは息苦しさを感じた。


 ――竜がまだいた! ――どうする? ――どうすればいい?


 三人は前回と同様に岩場の影に隠れて、竜を覗き見る。寝ているようだが、横を通り過ぎるには無理がありそうだった。気付かれて襲われたら、ひとたまりもない。

 ヴィンスは腰に携えていた剣の柄に目をやる。そして、静かに息を吐くと、剣を抜いた。村で見た時と変わらない、刃こぼればかりの錆びついた剣だ。ただ、村で抜いた時よりも、手に馴染むような感触があった。


 その時、ヴィンスの頭の中に何かが語りかけてきた。

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