第3話

 夕方、マールス村に戻った三人は、報告するためにすぐに村長の家へと向かった。村長のクレマンは三人を家に招き入れ、労ってくれた。三人が戻ってきたことで薄々勘づいてはいたが、報告を聞くと青ざめ、顔をかたくした。

「竜を退ける方法を何か考えないと……」

 ヴィンスは少し焦った様子で言った。

「だが、そうとうな難題だ。熊が出たと騒いでいた一昨年とは全然違う。あの時は結果、何もなかったけれど、今回は目の当たりにしたから」とラウル。

 竜の巨体さを知っている三人は口を閉ざしてしまった。クレマンは考え込んでいる。

「一応確認ですけれど、プラケンタの街への迂回路はないですよね?」

 とラウルが旅慣れているシモンや村長のクレマンに問う。シモンがクレマンの顔を見てうなづきながら答える。

「ああ。残念ながら、ない。そもそもそういった道を開拓する理由がなかったからな」

 再び皆は黙り込む。やがて、考え込んでいたクレマンが口を開いた。

「……ひとつ、試してみるというか、確認してほしいことがある。クラース・マネのほこらだ」

「……クラース・マネの祠って、村外れのヘリの洞窟から行けるところですよね、たしか」と思い出したようにラウルが反応する。

「そうだ。この村に伝わる伝承によると、あの祠は竜に関係があるらしい。……ちょっと待ってなさい」

 そう言うとクレマンは、家の奥に何かを探しに行った。


 しばらく待つと、彼は古い書物を抱えて戻ってきた。その書物を皆の前でテーブルに広げる。そこには、竜に向けて剣を掲げる人物の絵が描かれていた。文章らしきものも書かれていたが、所々はかすれている。どうやら古代文字で書かれているらしく、ヴィンスはさっぱり読めなかった。


 頁をめくると、先ほどの剣を祠の中で奉納する絵が描かれていた。

「ここには、なんて書かれているんです?」と興味を持ったラウルが、その絵の側に書かれている文章を指差して、クレマンに尋ねる。

「わしも読めないのだが……、祖父から伝え聞いていたのは、“竜がもし現れたら、この剣を竜の前に掲げなさい”ということだ。剣を掲げるのは村で一番強い者が望ましいとも」

「竜と戦えってこと?」

「何とも言えん。古代文字の読み手は、村におらんしな。そもそもこんな事態にならなければ、わしも祖父の話を思い出すことはなかった」

 クレマンは腕組みをしながら、応じる。


 ヴィンスは古い書物のページを戻し、竜に向けて剣を掲げる人物が描かれている絵をじっと見つめた。

「……俺、クラース・マネの祠に行ってみるよ。街での約束があるんだ。遅れるわけにはいかない。誰かを待たせるのは嫌なんだ。あの巨大な竜をどかさないと街へ行けないなら、試せることは試さないと」

「その約束というのはいつなんだ?」とラウル。

「明後日。もう時間は残されていないんだ。だから、今からでも……」

「ヘリの洞窟に、ヴィンスは入ったことがあるのか? クラース・マネの祠へは行ったことがあるのか?」とシモンが確認してきた。

「いや、正直に言うと、ないよ。でも、急がないと……」

「だったら、俺がついていこう。クラース・マネの祠への道も分かる」とラウルが微笑んだ。

「ありがとう。じゃあ、早速行こう」

「いや、待て待て。……明日にしよう。今日は、俺もヴィンスもエレクティオ山へ行って帰ってきた。はやる気持ちは分かるが、身体は思った以上に疲れているはずだ。明日なら付き合うぜ、相棒」

 ヴィンスはシモンとクレマンを見たが、年長者の両名はラウルの意見に賛同の態度を示した。

「……わかったよ。明日の朝、七時に広場で待ち合せでどう、ラウル?」

「いや、もうちょっと遅い時間で頼むよ。俺はわりと朝は弱いしな、八時でどうだ?」

 少々の議論の後、二人は七時半に待ち合わせることで合意した。時間へのこだわりが強いヴィンスに、そばで経緯を見守っていたシモンとクレマンは肩をすくめてたが、ラウルはいつものことと気にしていないようだった。



 翌朝、ヴィンスはいつも通りの朝を迎えた。ラウルが指摘した通り、昨夜は自宅に戻ると安心したのか、疲れが出て早々に眠りに落ちたのだった。七時半の待ち合わせには時間があったので、普段どおりの朝食を食べる。だが、気持ちは少々焦っていた。


 今日、竜を退ける解決手段が見つからないと……明日はアニエスと約束した日になる。ひょっとしたら、今日は竜がエレクティオ山から去っているかもしれない。しかし、それを確かめに行くと、また一日を無駄にしてしまいかねない。ヘリの洞窟を抜けて、早くクラース・マネの祠に行って、竜を退けるという剣を確かめたい。


 ヴィンスは手早く身支度を整えると、広場へ向かった。ラウルが少しでも早く来ていたら、すぐに出発できる。淡い期待を抱いていた。


 残念ながら、ヴィンスが広場に着くとそこにラウルの姿はなかった。まだ待ち合わせの時間まで、十分ある。そわそわしながら、彼が現れるのを待った。ヴィンスの気持ちとは反対に、風もなく落ち着いたような晴天だ。

 十分遅れて、ラウルが現れた。その時、すでにヴィンスは不機嫌になっていた。ことの重大さをわかっているのかと説いたが、朝が弱いラウルに聞く耳を持って貰う方が無理だった。


 西の村はずれに向かう。ヘリの洞窟は村の者でも滅多に近づかない。理由は簡単だ。そこに行く用事がまずないからだ。洞窟の入り口は、木の板で作られた扉があり、閂と鍵が付けられている。子供たちが誤って中に入るのを防ぐためだ。

 ラウルの説明によると、洞窟の中はいくつかの道に分かれており、地下水の溜まり具合によっては迂回しないといけないこともあるそうだ。


 村長から昨日預かったという鍵で、ラウルが木の扉の鍵を開けた。ヴィンスたちは松明に火をつけ、洞窟に入った。足音が響く。

「クラース・マネの祠にはどれくらいかかる?」

 ヴィンスが洞窟に響く声に少し驚きながら尋ねる。

「んーとな。地下水が溜まっていなければ、三十分程度かな」

「溜まっていると?」

「これが大きく迂回しないといけなくてね。倍以上かかる」

 少しでも早く問題を解決したいヴィンスは、地下水が溜まっていないことを祈った。二本に分かれた道の右側をラウルは選び進む。下り坂の道をある程度進んだところで、大きな水たまりに遭遇した。道は先へと続いている。

「ああ、だめだ。ここまで水が来ている。この先は通れないな。残念ながらついていない。迂回しよう」

 先ほどの祈りは洞窟の壁にはね返り天には届かなかったようだ。落ち込むヴィンスの顔を見て、ラウルは安心させるような口調で続ける。

「大丈夫。迂回ルートも把握している。何回か通ったこともあるしな。そもそもこの洞窟は道は二本しかない。近道が通れなかっただけだよ」


 二人は元来た道を少し戻り、今度は左側を選ぶ。戻って別の道を選ぶことに、昨日のエレクティオ山で竜に出会ったことが重なる。戻らされて回り道。昨日も今日も。気持ちが焦る。

 左側の道は、わずかな上り坂の後、右へ左へと蛇行していた。一本道とはいえ、方向感覚が狂う。松明の明かりが頼りだとヴィンスは感じた。右手に松明を持ち少しでも前が見えるように掲げる。左手は、迷わないために壁を触り続ける。もちろん、明かりに照らされたラウルの後ろ姿を追いかける。


「お前はまだ、引きずっているんだな……」

 いきなりラウルが言った。背中越しなので、ラウルの表情はわからない。

「約束を何が何でも守ろうとするところ、時間に決して遅れない様にするところ、どっちもあの人に対して出来なかったからだろう?」

 ヴィンスは、すこし驚いた。声に出して答えられなかったが、ただ、うなづいた。前を歩くラウルには、ただ黙っているように思えたのだろう。言葉を続けた。

「なんだかさ、約束を守ることも、遅刻しないことも大事なことなんだけれど、お前を見ていると辛くなるよ。自分をもうすこし許してあげても良いのではってね」

 ラウルが振り返る。松明の明かりが優しく微笑む彼の顔を照らす。

「……ラウル、ありがとう。でもさ、やっぱり俺は、今はこういう生き方しか出来ないんだよ。それがあの人に対する償い……いや、償いにすらならないかもしれないけれど、自分の心を落ち着かせるにはそうするしかないんだ」

 ラウルはヴィンスの顔を見つめていたが、やがて先の方へ向き直すと言った。

「そろそろ出口の明かりが見えてくるはずだ」

 その言葉通り、緩やかな曲がり道を抜けると、松明とは異なった白い光が前方からわずかに差し込んできた。心なしか肺に取り込む空気も新鮮な気がした。

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