第2話

 自宅に一度帰ったヴィンスは大きな鞄を背負い込むと、さっそく近所の農家や酪農家へと根菜やチーズなどを仕入れに出かけた。シモンと同じく、ヴィンスは行商人にもなる。村で採れたものを商品として街へ売りに行く。村のためでもあり、自分の生活費を稼ぐためでもあった。これから冬を迎える村に必要となる物資を買い出しに行くのだ。そう決意を確認し、真剣な顔になる。だが、ふとアニエスを思い出し、少し口元がにやける。


 約束したリンゴも持っていかなくては。村のリンゴはとても美味い。それをアップルパイにしてくれるというのだから、ますます楽しみだ。もちろん、アニエスの手料理でもあると思うと、気持ちも高ぶる。


 行商人として多くの商品を街へ運ぶためには荷馬が必要だ。ヴィンス自身は荷馬を持っていない。いつも村で借りている。今回はどうしようか。竜が現れたとの話を受けて、もし襲われたらと思うとたくさんの商品を持って街へ向かうのは危険だと考えてしまう。迷った末、荷馬を使っていつものように多くの商品を持っていくことにした。やはり、村の冬支度は万全にしなければ。


 商品を仕入れながら、同時に村のみんなから必要なものを聞き取る。街で仕入れられたら買ってくれるあてがあるのは、商売としてはありがたい。


 帰宅して旅支度を整えると、夕食をとった。風呂を沸かすためにヴィンスは家の外に出た。薪に火を付ける。外の涼しい空気が肺を満たす。空には鈍く丸く光る月が浮かんでいる。空に大きく開いた穴、それが月と呼ばれるもの。月が強く光る夜は、その穴を塞ぐように七芒星の方陣が浮かび上がる。子供の頃から見慣れた景色であるが、今日はひときわ綺麗だった。


 風呂を済ませると、ヴィンスは少し早めに就寝した。朝の七時に遅れることは許されない。自分はもう約束に遅れたりはしないのだ。もう二度と……。

 

 静かに夜は更けていった。


 翌朝、ヴィンスは十分すぎるほどの早起きをして、身なりを整えた。朝食は簡単に済ませる。時間的な余裕はあったが、手の込んだ料理のために遅刻してはならないと、パンとミルクという質素な食事にしたのだった。


 約束のちょうど二分前に約束の広場に到着した。シモンはもう来ていた。歳を取ると朝に強くなると前に言っていたのを思い出した。

「おはよう、ヴィンス。よく寝られたか?」

「ああ、ばっちりだよ。シモンさんも調子よさそうだね」

 シモンはうなづくと、腕を組んだ。

「……もうちょっと待ってくれ。あと一人、連れができた」

「ん? 誰だい?」

「ラウルだ。竜が居座っている山、つまりエレクティオ山をわしらは通る。竜がすでにそこから去っていれば、わしとヴィンスはそのまま街へ行くだろ?」

「そうなるね」

「だとすると、村に竜が去ったことが伝わらない。もし脅威が去ったのなら、いち早く村にも伝える必要があると思ってな。ラウルに同伴して貰うように昨晩、頼んだんだ」

 ヴィンスは納得した。確かに村の皆は、シモンとヴィンスが無事に街へたどり着いたのか、はたまた竜に襲われてしまったのか、すぐに知ることはできない。万が一、襲われて最悪の結果になっていた場合、村の冬支度にも大きな支障が出る。シモンはやはりしっかりしているなと感じた。しばらく二人は広場で待っていた。

「おーい」

 声のした方を向くと、広場の端にラウルの姿が見えた。少し慌てた様子で走ってくる。

「すまない。少し準備に手間取ってしまって」とラウル。息が少し上がっている。

 ヴィンスは腕時計を確認した。十分の遅刻。時間に遅れたことをとがめようとしたが、先にシモンが

「ああ、すまないね。昨晩、急に頼んだからな」と謝る。

「いや、シモンさんの提案はもっともだよ。村に情報を届ける者がいないと、安心できないし……」

 ラウルがそう言いつつ、ヴィンスの顔を見る。

「おはよう。もうシモンさんから聞いていると思うけれど、同行することになった。よろしく」

 ウラルの爽やかな笑顔にもおされて、ヴィンスはうなづいた。途中までとは言え、ラウルがいるのは心強いし、楽しい旅になるだろう。

「ではそろそろ出発しよう」とシモンが言う。

「……ああ、もう十五分も遅れている」とヴィンスが言うや否や、

「お前は! 本当に時間にうるさいな」とラウルが笑いながら、肩を軽く叩いてくる。

 シモンは笑い声を上げた。

 荷馬二頭を引き連れて、三人は村の門を抜ける。前方にはエレクティオ山が明るい空の下に雄大な姿を見せていた。竜が居座っていると話はあるけれど、いつ見ても綺麗な山だ。


 エレクティオ山の麓までは、大きな川を一本越えると、小さな丘をいくつか越える程度でわりと平坦な道が続く。広がる草原は深まる秋の空気にさらされ、金色に染まっている。あと一ヶ月もしたら、金色の草が枯れ落ち大地がむき出しになり、そこに雪が降り積もる。白銀の世界へと変わるだろう。


 道中、三人はくだらない世間話で盛り上がっていた。独りで街へ行くことが多いヴィンスにとっては、なかなか楽しい旅路だった。特にヴィンスやラウルと違って、方々を旅しているシモンの話は印象深かった。強大な軍隊を持つ帝国、自然を愛し陶芸と革細工で有名な国、騎士道と規律を重んじながらも鍛冶と工業が盛んな国、世の中には色々な国かあることを、シモンが自らの体験をまじえて面白く話すので退屈する暇が無かった。

 辺境の村に住み、近くの街との行き来で暮らしている自分とは大違いだ。


「シモンはどうしてそんなに色々と旅をしているんだい?」と、ヴィンスは訊いてみた。

「そりゃ、独身だからだよ。良い嫁さんを捜しているのさ」

「茶化さないでくれよ」

「ああ、すまんすまん。旅をすることにすこし慣れた時に……、世界の広さを知ってしまったからさ。険しく高い山の山頂にたどり着いた時だ。そこから見えた景色に圧倒されてな。こんなにも世界は広いのか、自分はまだ何も世界を知らないんだと気づいたのさ」

 ヴィンスはシモンを見つめた。そこには静かだが強い意志を持つ目で遠くを見つめるシモンの顔があった。

 一行はしばらく会話もなく進む。やがて、晴れた空を覆うように雄大な山がせり出してきた。

「もう少しで、エレクティオ山の麓だな。そこに着いたら少し休憩しよう」とラウル。

 ヴィンスとシモンはうなづいた。


 エレクティオ山の麓には、山道の入り口に小さな小屋がある。旅の休憩場所となるもので、悪天候に見舞われた場合、山には登らずここでやり過ごすこともできるようにと作られたものだ。一行は朝から歩いてきた身体を休ませるために、小屋に寄ることにした。ここでは滅多に人と遭遇することはない。街から見たら、マールス村への道しかないからだ。


 足を休めるために小屋に寄ったのだが、もう一つ目的があった。小屋に隣接して井戸があり、山からの湧き水を組み上げることができる。冷たい良質の飲み水が確保できるからだ。

 一行はそれぞれの水筒に水を補給すると、小屋に入り荷を下ろした。

「休憩は二十分くらいでいいな」と年長のシモンが言う。

「任せるよ」とラウル。「では、十時七分に出発だな」とヴィンス。

 シモンとラウルは、ヴィンスの細かさに困った顔を見合わせる。

 ラウルは少し休むと、荷馬の二頭にも水を飲ませるために小屋の外に出た。シモンとヴィンスは今一度、荷物の確認を行った。

「それじゃ、行こう。ちょうど十時七分だ」

 一行は小屋をあとにし、エレクティオ山の山道に入っていった。


 天気は良く、風も穏やか。山中で空が荒れる心配はなさそうだった。

 山道は林道のように開拓された道で荷馬も通れる。山頂へは右へ左へと折り返しながら登る道が続く。紅葉が進み、道にはたくさんの落ち葉が積もっている。三人と荷馬が落ち葉を踏む音だけが、山中に響き渡る。やはり山頂に竜がいるかもしれないと思うと、三人は緊張が増したのか口数が減っていったのだった。


 山頂に近づくにつれて、木々は減り、ごつごつとした岩が目立ってくる。山道は大きな岩を避けるように続く。空はいくつかの雲があるが快晴。暖かい陽の光が三人を照らすも、秋の冷気を帯びた風が吹きぬけていく。やがて山頂の見える岩場まで来た。


 シモンが山頂を指差して、残念そうに首を振った。そこには、蒼い巨大な竜が居座っていた。翼を閉じて、猫や犬が丸くなって佇んでいる様な姿だったが、その巨大さにヴィンスとラウルは驚いた。

「……あれが、竜!?」

 ヴィンスが呟く。そして、シモンがうなづく。

 まったく動かないので、遠目では竜は起きているのか分からない。もう少し進もうとするヴィンスを、ラウルが制した。

「落ち着け。ここで様子を見よう」

 ヴィンスは初めて見る竜の巨大さに圧倒されつつも、何か知性や威厳のようなものを感じて、竜から目が離せなかった。

「何故まだここに竜がいるのだろう? 特別な意味があるのか……?」とシモンは考え込んでいた。

 ヴィンスは竜をじっと観察した。怪我をしている様子もない。休んでいるようにも見えない。ここで何をしているのだろうか。

 突然、蒼い竜は首を上げてこちらを見た。竜の大きな瞳と目が合った。すると竜は咆哮を上げた。その震える大気に圧倒されて、三人は身震いをした。口の中が急に乾き、全身が急に粟立つ。近づいたら、容赦しない。そんな意味にもとれる咆哮だった。


 三人はマールス村へと引き返すことにした。村の冬支度のためには、プラケンタの街へ行かなくてはならない。村の危機を改めて認識した一行の足取りは重かった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る