村人は竜を奏でる

凪野 晴

第1話

――では、今度いらした時に、そのリンゴでアップルパイを焼いて差し上げますね。


 風は凪いでいて、陽の光が温かい。昼食を終え、ヴィンスは、草むらに寝転がってぼんやりと秋の空を眺めていた。輝く太陽、いくつかの雲が漂っている。ふと、にっこりと微笑むアニエスの顔を思い出す。


 ヴィンスが行商に行ったプラケンタの街の宿屋での出来事である。もう先月の話だ。

 プラケンタは、彼の住むマールス村から大きな山を越えた先にある街で、小さいながらもこの地方で栄えていて交易が盛んだ。村での農作物などをそこへ売りに行くのがヴィンスの仕事のひとつ。だいたい二泊か三泊して売りさばき、村で必要な物資を調達してくる。

 アニエスは行きつけの宿屋「ネコの帽子亭」の看板娘。人当たりが良く、気立ても良い。美人というよりも可愛らしい女性だ。正直、いくつかある宿屋から行きつけを決めたのは、彼女に会って話をしたいからという気持ちからだった。


 村へと戻る出発を翌日に控えた夕食時、宿屋のレストランでのアニエスと話をしたことを思い出す。


「今度来る時は、うちの名産のリンゴが旬な時期なんだ。今年は例年よりも良いリンゴになりそうでさ。楽しみにしていてくれよ」

 すこしお酒の入ったヴィンスは上機嫌だった。もちろん、食事も美味かったからというのもある。

「そうなんですね。マールス村のリンゴで焼き上げたアップルパイ、前にレストランで出したら評判良かったんですよ」

 テーブルの空いた皿を下げつつ、アニエスが応じる。

「じゃあ、ぜひ買ってくれよ。おまけするからさ」

「父に言っておきます。では、今度いらした時に、そのリンゴでアップルパイを焼いて差し上げますね」

 ヴィンスはアニエスの言葉を聞き、舞い上がる。

「ほんとに? それは楽しみだ。もう次回の宿はやっぱりここだな。予約しないと」

「ありがとうございます! では、あとで宿屋の受付へ来て下さいね。それと予約には前金か少々要りますので……」

 アニエスは微笑みながら、しっかりと必要なことを説明してきた。

「わかった。明日の朝、宿泊代を払う時に合わせて、予約させてもらうよ」


 こうして、アニエスの可愛さとしたたかさに先手を取られたヴィンスは、十一月二十五日に予約を取った。チェックインの予定は午後四時半と記した。当然、前金として宿泊費の二割を払ったのだった。


 その時、彼は深く考えてはいなかった。いや、知るよしもなかったのである。この約束を守るために、ヴィンスの運命が大きく変わっていくということに……。


 草むらに寝転がっていたヴィンスは、左手首の腕時計で時刻を確認した。狂いもなく時を刻む示刻晶石じこくしょうせき。その円盤をはめ込んだ腕時計だ。示刻晶石は、時間を司る神クロノログの心臓に繋がっており、永遠に正しく時を刻むと言われている。とはいえ希少なものではなく、一般的に流通している。円盤は十二に印で分割されており、光る長針と短針が示刻晶石の表面を這うように進む。


 一時まであと十分。そろそろ行くか。

 午後は、村の水車の修繕を手伝うことになっていた。立ち上がり、小川の上流にある水車小屋への道を歩き出す。

 ヴィンスの村での役割は、簡単に言えば何でも屋だ。両親をなくし、身寄りのない彼は、大人になって村での居場所を自分でつくったのだ。村の若者は、たいていは農業や畜産など親の家業を継ぐ。早くに両親を亡くした彼にはそれがなかった。自分を育ててくれた村に恩返しをしたい。大人になった彼は、村の困りごとに首をつっこんでは解決に協力するようになった。

 依頼を達成すること。約束を守ること。それが、村に自分が居てもよいと言ってくれるような気がするのだ。


 ほとんど約束の時間ぴったりに到着すると、すでにラウルが待っていた。ラウルは村の自警団のリーダー。ヴィンスよりも二つ年上だ。

「ほんと、お前は約束に遅れないな。時間を無駄にしなくていい」

 ラウルは水車小屋に備え付けられている時計盤をちらりと見て、感心した様にヴィンスに向けてうなづいた。

「何が問題なんだ?」

「水車の動力がうまく石臼に伝わらなくなってるみたいだ。とりあえず、水車を水面から浮かせて止めよう。調べるのはそれからだ」

 二人は慣れた手つきで水車を止め、調べ始めた。

「ああ、これだ。歯車がひとつにひびが入って割れているな」ラウルは指を差す。

「ほんとだ。交換しないとダメだ」

「まだこの歯車の予備はあるか?」

「あったはず。ちょっと待ってて」

 ヴィンスは歯車の大きさを確認すると、水車小屋の横にある物置に探しにいった。

「ラウル、これ」ヴィンスが手渡す。

「お、ぴったりだ。早速交換しよう」

 ラウルは慣れた手つきで割れ欠けた歯車を木槌とノミで外す。ものの十数分で交換は終わった。

「よし、これでちゃんと動くかな? 水車を水面に戻すのを手伝ってくれ」

 ヴィンスはうなづく。

 水車が川の水を捉えて、心地よい水音を立てて回り出す。その動力が石臼まで伝わってり、石がすり合わさる低い音が響きだした。

「大丈夫だな。いったん、石臼と水車の連結は外しておこう。ヴィンス、ありがとう」

 そう言うと、ラウルは水車の横のレバーを倒す。石臼の回転がゆるやかに止まる。それを確認すると片付けをはじめた。

「じゃ、俺はもう行くね。リンゴの収穫の手伝いを頼まれているんだ。その後で村長には伝えておくよ」ヴィンスは声をかける。彼は片腕を上げ振って無言で答える。


 水車は村にとっての生命線のひとつだ。とれた小麦を石臼で粉にして袋に詰めて、備蓄の食糧にする。

 これから来る冬に向けて、準備をしていかなくては。

 マールス村は農業と酪農で成りたっている村だ。小麦、季節ごとの野菜や果物、それにチーズなどの乳製品が主な生産物である。村の働き手の多くはそのどちらかに従事している。だが、ラウルやヴィンスのように、村の困りごとの解決や自警団を担う者もいる。そういった機能も村には必要なのだ。

 

 水車小屋をあとにして、果樹園へと向かう。リンゴの収穫を手伝う見返りに、すこしだけ仕入れ値を安くするという約束。街でアニエスに喜んでもらいたいから、おまけを用意したいヴィンスだった。

 慣れた作業だが、一時間くらいを費やした。果樹園の持ち主とは、仕入れの価格と量の話もすることができた。これで、アニエスへのおまけも含めてリンゴは確保できた。


 秋が深まり紅葉の鮮やかさが目立ちはじめた山々を見ながら、村の中心へ続く道を歩く。


 マールス村は、大きな広場を中心にそこを囲むように村長の家、宿屋を兼ねた万屋、教会などが並ぶ。それらをさらに取り巻くように村人たちの住居が建っている。その先に広がるのは、果樹園や畑、牧草地だ。村の人口は約四百人。


 ヴィンスは、四季折々の風景を見せるこの村と周辺の自然が好きだった。これからくる冬は少々厳しいが、静かに降る雪もよい。春から夏にかけては、過ごしやすい。


 村長の家まであと少し。家の前で村長のクレマンが行商人のシモンと話し込んでいる。ちょうど良かった。

 向こうもヴィンスの姿に気がついたようで、手を振ってくれた。

「こんにちは。クレマンさん、シモンさん。あれ? シモンさんは今日街へ発つ予定だったのでは?」

「やあ、ヴィンス」シモンが笑顔で応える。

 だが、すぐに真剣な顔に戻った。それにヴィンスも気づく。

「何かあったんですか?」

「困ったことが起きた。プラケンタの街への山道に、竜が居座っているらしい」

 クレマンが半信半疑の表情を浮かべながら言う。

「竜? そんなものが本当に?」

「ああ、間違いない、巨大な蒼い竜がいる。暴れているわけではないが、山頂の道を塞ぐように居座っている。おかげで、街へ戻れなくなってしまってね。引き返してきたところだ」と疲れた表情をみせるシモン。


 ヴィンスはプラケンタの街への道を思い出す。マールス村から街へは山を越えないと行けない。そんなに高く険しい山ではないが、大人の足で街へは約一日かかる。山道は長年かけて整えられた道だ。お世辞にも立派というわけではないが、安全な道。そのルートが使えないとなると、マールス村は孤立してしまう。


「そもそも竜なんて、おとぎ話の中の生き物だろう? 本当にいるのかよ」

 ヴィンスは少しいらついていた。今日は十一月二十二日。三日後はアニエスと約束した二十五日だ。プラケンタの街へ行かなくてはならないのに、竜が居座ったままなら街へは行けない。

「竜は実在するさ。人前にはまず出てこないが、空を飛ぶの姿を見かけたと言う旅人はそれなりにいるぞ」と村長のクレマン。

「わしは自分の目で見て言っている。蒼い竜は大人しくしているようだったが、人の姿を見かけると顔を向けて睨んできたぞ」

 シモンはその時のことを思い出したのか、額ににじんできた汗を払う。

「俺も三日後に街に行く予定がある。約束があるんだ」

 ヴィンスはアニエスの顔を思い出す。約束は必ず守る。そうでなければ……俺は……。決意が顔に出ていたのか、シモンがなだめるように言った。

「ヴィンス、今晩、旅の支度をしておけ。明日、わしと一緒に街へ向かってみよう。竜が飛び去っていれば、そのまま街に行ってもかまわないだろう?」

「ああ」ヴィンスはうなづいた。

「だが、竜が居座ったままだったら、いったん引き返す。村で対策を練ろう」

「わかった」

 シモンは行商人。この村で仕入れた商品を街へ届け、さらにその先の王都へも売りに行く。それができなくては商売あがったりだ。だから、少しでも早く街へ戻りたい気持ちなのだろう。

「じゃあ、明日の七時に村の広場で待ち合わせだ。遅れるんじゃないぞ」

「俺はいつも遅れないって知ってるだろう?」

 ヴィンスは心外な顔をする。

「ああ、そうだったな。悪かった」

 シモンは笑って応えた。

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