祝宴

 ラトリッジは操舵手に船を蛇行させるように指示を出していた。

 少しでも敵の観測員を混乱させるのが目的だった。


「王女殿下、早急に魚雷の準備をしたほうがよいかと思います」

「こっちも反撃するのですか……?」

「先ほどの砲撃といい、向こうは本気で本艦を撃沈するつもりとしか思えません。わずかの可能性でも活路を見い出すべきです」

「……こんな状況では仕方ありませんね。では、すぐに準備を始めてください。ですが……」

「王女殿下、何でしょう?」

 ジョアンヌはしばし黙考した後、自分を見つめるラトリッジに答える。


「あの戦艦は目視でこの船を狙っているのですよね?」

「もちろんそうです。艦橋の高い場所から観測員が計測しているはずです」

「では、天候が崩れれば、狙うこともできませんね」

「それはそうですが、いったいどうやって……?」

「私の魔法を使ってみます」

「王女殿下の魔法を?」

「ええ、【はじまりの島】に行った時と逆に、今度は天候を崩すのです」

「では、外に出るのですか!? それはあまりに危険すぎます!」

 ラトリッジにそう言われ、ジョアンヌは艦橋から甲板を見下ろした。

 そこにはセフィールたちがまだいた。

 一組は手すりにしがみつき、一組は甲板に倒れ込んでいる。


「あの人たち、まだあんな所に!」

 ジョアンヌが慌てて歩き始めた時、これまでにない轟音が大気を震わせた。

 火山が爆発したかのような音だった。

 次の瞬間、トライトンの前方に巨大な水の壁が現れ、船が大きく揺さぶられた。

 乗組員の絶叫──。

 多くの者が床に放り出された。

 ジョアンヌはしたたかに背中を打ちつけた。

 痛みにうなりながら立ち上がり、滝のように海水が降り注ぐ窓から見下ろす。

 窓はにじみ、はっきりしない。

 しばらくして水が流れ落ち、外の様子がわかるようになったが甲板に人の気配がない。


「減速して反転せよ!」

 床に這いつくばったままのラトリッジの声が響く。


 ジョアンヌはもう一度甲板を確認した。

 そこには誰もいない。


「艦長! 大変です! セフィールさんたちが海に落ちました!」

 そう叫んでから王女は走り出した。

 ウォーターとバンクスが床から立ち上がり、その後を追った。


 ジョアンヌは階段を駆け下り、ようやく甲板に出た。

 主砲の着弾による揺れは収まりかけていたが、甲板には人影はない。

 後から飛び出てきたウォーターとバンクスに大声で指示する。


「あなたたち、セフィールさんたちを探してください! まだ、近くにいるはずです!」

 ウォーターは手すりに飛びつき、揺れる波間を確認したが、セフィールたちの姿はない。

「バンクス、お前は救命胴衣を持ってきてくれ!」

「わかった!」


 ジョアンヌはセフィールたちのことが気になったが、撃沈されてしまえば元も子もない。

 甲板の中央に立ち、両手を差し伸べた。

 すぐに小さい、仄かな紅い光が、王女の二つの手のひらの間に生まれた。

 海上に風が吹き始めた。


 ◇◆◇


 船が激しく揺れ、気づいた時には海の中だった。

 キースは頭上から射し込む淡い光を見上げながら、セフィールたちの姿を探した。

 海の中は澄んでおり、かなり離れた場所にトライトンの黒い艦底が見えた。

 その近く、ピートらしき姿を見つけた。

 彼はルフィールを抱えて海面へと向かっているようだ。


 セフィールはどこだ!?

 海の中、体を360度回して探すが、彼女の姿がない。


 彼女は泳げない。急がないと!

 焦りつつ、下を向くと、小さな黒い人影がゆっくりと落ちている。

 キースは急いで潜り、それを追った。

 ようやく、それに追いつくと、やはりセフィールだった。

 気を失ったのか、目を開けていない。

 体を引き寄せて頭を抱え、頭上の海面を見上げ、力の限り水を蹴る。

 なかなか進まないもどかしさを感じながら、ひたすら水を蹴る。

 ゆらゆらと光が揺れる水面に近づき、顔を突き上げ、水を吐き出して思い切り息を吸った。

 うつろな顔のセフィールの口を開き、頬を叩く。


「おい、セフィール、しっかりしろ!」

 何度か繰り返すと、彼女は咳き込んで口から水を吐き出した。

「大丈夫か? 俺がわかるか?」

 セフィールの目が開き、問いかけるキースを見た。

 その瞳は青く光っていた。

 その瞳がキースをにらむ。


「おい、貴様。誰が私を海に落としたのだ?」

 いつものセフィールと違う声だった。

「セフィール、俺がわかるよな?」

「そんなことはどうでもよい。誰が私を海に落としたのだ? 答えよ」

「ああ、それなら……、あの船だ」

 キースは遠く洋上に浮かぶタイクンロードの艦影を指さした。


「よし、あの船だな。目にもの見せてくれる」

「セフィール、お前、いったいなにをする気だ!?」

 様子のおかしいセフィールにキースがたずねるが、彼女はそれを無視してつぶやき始めた。


黒騎士星ブラックナイトスターターミナル・リンケージ。デバイスが目視するターゲットに照準。直ちに砲撃せよ」

 何事かとセフィールの顔をキースがのぞき込むと、彼女はニヤリと笑った。

「まあ、見ているがよい」

 そう言い終えた時、天から一筋の赤い光が落ちてきた。

 その光はタイクンロードをかすめて海面に激突し、白煙を撒き散らした。


「ちっ……、はずしたか……」

「おい、セフィール。今のはお前がやったのか?」

 セフィールは答えず、じっと遠くの艦影を凝視している。


黒騎士星ブラックナイトスターターミナル・リンケージ。照準補正──」

 そうつぶやくセフィールの髪にパラパラと雨が降ってきた。

 キースが見上げると、さっきまで青かった空に灰色の雲が渦巻いている。

 雨足が強くなり、すぐに土砂降りになった。


「これでは目視も難しいな……。他のデバイスが動き出したようだし、まあよいか……。おい、貴様」

「何だ、セフィール?」

 キースが向くと、ふてぶてしかった彼女の表情が和らいだ。

「じゃあ、あとはよろしく頼むぞ……」

 抱えていたセフィールの体がガクンと沈む。

 キースは慌ててそれを支えた。


「また、気を失ったのか……」

 瞳を閉じたセフィールを見つめたが、彼女はもう口を開かなかった。

 雨にさえぎられ、もうタイクンロードは全く見えない。

 砲撃も当分はしてこないだろう。

 あとはトライトンに拾い上げてもらうのを待つだけだ。

 キースは雨で濡れた顔を手でぬぐってから、トライトンに向かって片手を大きく振った。



「次官殿、今の光はなんでしょう?」

 タイクンロードの艦橋で海軍将校は窓から洋上をのぞき込んだ。

 つい今し方、タイクンロードのすぐ横に落ちてきた赤い光。

 それは真上から一瞬で落ちてきて、海水を蒸発させ、派手に白い水煙を上げている。


「わからんが、雷かなにかではないのか?」

 シーナも目を剥いて、煙る洋上を一心不乱に見下ろしている。


 晴れていたのに雷とは妙だな、と将校は思った。

 いずれにしても、かなりの熱量を帯びたなにかが降ってきたことに間違いはない。

 船に命中していたら大事だったろう。

 将校とシーナは窓辺に突っ立ったまま、立ち昇る湯気を眺めた。

 二人がそうしていると、にわかに空が曇り、たちまち辺りが暗くなった。

 雨が降り始め、すぐに一寸先も見えない土砂降りになった。


「次官殿、これではもう砲撃できません。弾の無駄使いになるだけです」

「むむむ……、これはいったい何としたことか……」

 シーナは杖を強く握り締め、雨滴が叩きつけられる艦橋の窓を無念そうににらんだ。


 ◇◆◇


 南方の秘境に咲く極彩色の花々が、千人は入れる大広間に散りばめられている。

 その花々の上、西国から取り寄せた金糸銀糸で編んだ豪奢ごうしゃな百畳敷の絨毯じゅうたんが並べられている。

 ここはサザンテラル王国、シンバ王の王宮。

 各国から招かれた王族や大臣が一堂に会し、ジョアンヌ王女の婚礼が執り行われている。

 テーブルや椅子はなく、誰もが絨毯の上で車座になり、並べられた数え切れないほどの料理に舌鼓を打ち、美酒を味わう。

 これも形式ばらないシンバ王の流儀だ。


 広間の中央にある雛壇ひなだんには今日の主役であるジョアンヌ王女と、その夫となる東の国イーステラルの皇太子が座して、列を成す来賓の祝辞に答えていた。

 二人とも広間を埋め尽くす花々に負けぬほど、色鮮やかな服で着飾り、華やかな笑顔を周囲に振りまいている。


「序列第20聖位のサザンテラルと序列第7聖位のイーステラルの婚礼ともなると、豪華絢爛ごうかけんらんだな」

 ゆったりとしたサザンテラルの民族衣装に身を包んだキースが、興味深そうに首をぐるりと巡らせる。


「そうですね。こんな華やいだ式典は久しぶりです。終戦祝賀式典以来でしょうか」

 穏やかな表情でピートがつぶやく。彼はいつもの牧師風の服装だった。


「この口に残る旨みと、表現しがたい微妙な風味がクセになるのよね」

 セフィールはふわりと裾の広がった薄緑色のドレスを着て、山のように積まれたニジイロタカアシガニ料理に夢中だった。


「お姉様、もうカニは大丈夫ですのね。また食べ過ぎると、吐いちゃったりしません?」

 薄桃色のドレスに身を包んだルフィールも、目尻を下げてカニに手を伸ばす。


「ルフィール、ここで思う存分食べとかないと、今度いつ食べられるかわからないよ」

 そう言う間もセフィールの手は止まらない。


「おい、セフィール。カニばっかり食ってないで、他の料理も食えよ。もったいないだろ」

 キースは大皿に盛られた香ばしい匂いのする何の肉かわからない料理を取り分けた。

「このサザンテラルの香辛料を振りかけると、一段と美味しいよ。ほら、キースも食べて」

 セフィールがキースの顔の前でカニの脚を振る。

 キースが嫌そうに顔を背けるので、「じゃあ、ピート」と言うと、

「カニは勘弁してくださいよ〜」とピートは泣きそうな顔をした。

「こら、ピート! 泣き言はダメです。さあ、食べなさい!」

 反対側からルフィールがカニの脚を、ピートの鼻先に突き出す。

「ああ、蕁麻疹じんましんが……」

 ピートの腕に赤い斑点が出始めた。


「おいおい、二人とも。せっかくのお祝いなんだから、今日は勘弁してやれよ」

 キースが助け船を出す。

 その後ろ、目を見張るほどの大男が現れた。

 太い腕で小脇に軽々と樽のように大きなかめを抱えている。

 その男、シンバ王がキースの横にズドンとそのかめを降ろして、キースの横にあぐらをかいた。


「これはシンバ王、今日はご招待いただき感謝の極みです。この度はどうもおめでとうございます」

 キースが居住まいを正し、恐縮して頭を下げる。

「キース殿。今日は無礼講である。そのような堅苦しい挨拶はよいから、飲むがいい」

 シンバ王は大皿ほどの杯でかめから酒をすくうと、それをキースに突き出した。

 キースはぎょっとした目で、その巨大な杯を見たが、一国の王がすすめる酒を断る非礼はできない。

 ヤケクソであおるようにつがれた酒を飲み干した。

 その様子を豪快に笑い飛ばしながら、シンバ王が絶賛した。


「さすがサザンテラル国の血を継ぐ者である。このサザンテラル最強の酒を一気に飲み干すとは豪胆ごうたんである」

「えっ? 最強なんですか、この酒?」

 既に目の周りを朱色に染めたキースがたずねる。

「いかにも。大の男でもコップ一杯飲めば、夢心地でぶっ倒れるぞ。わはははは」

 シンバ王が野太い声を震わせ笑う。

「王様ぁ〜、そんな強い酒を……どうして……」

 目を泳がせながら、キースが崩れるように突っ伏した。

 すぐに大きないびきが聞こえてきた。


「お姉様。キース、すごく幸せそうな顔してますわ」

「あっ、そう。んー、やっぱりニジイロタカアシガニは旨いわ」

 キースには無関心なセフィールはまだカニを食べている。

 あまりに慌ただしく食べるので、のどを詰まらせて、むせた。


「げほっ! ルフィール、なにか飲み物取って! 早く!」

 胸を叩きながら、セフィールがルフィールに手を伸ばす。

 ルフィールは手近にあったコップをかめに入れ、それを彼女に渡した。


「あ、げほっ! ありがと」

 それを見もせず、セフィールがコップを受け取り、一気に口に流し込んだ。

 みるみるうちに彼女の顔が真っ赤になった。


「あ、あんだ、わだじになにのまぜだの!?」

「サザンテラル最強のお酒ですわ」

 今度はみるみるうちにセフィールの顔が青くなった。


「おえっ……、おえ〜」

 セフィールがえずき始める。


「ルフィール様、王様の前で吐いたら一大事です!」

 ピートが立ち上がり、おろおろと周囲を見回す。

 ルフィールも慌てて、セフィールを連れ出そうと手を引くが、頑として動かない。


「おえっ……、おえ〜、で、出るぅ〜」

 困り果てたルフィールがシンバ王の顔を見ると、王はかめを差し出した。


「トライ・ラテラルの王女君よ。さあ、これに吐かせるがよい」

「えっ、王様。よいのですか?」

「かまわぬ。さあ」

 ルフィールは姉の顔をかめの縁に乗せた。


「おっ、おろおろおろおろぉ〜」

 豪快にリバースするセフィールの姿に、シンバ王が破顔する。

「なんとも豪快な吐きっぷりであるな!」

 ひとしきり吐いて落ち着いたのか、セフィールはペタンと座り込んだ。


「さて、次に参るか。では、トライ・ラテラルの王女君たちよ。また、いつの日かお会いしよう」

 シンバ王は甕を軽々と持ち上げ、大股で歩いていった。


 何百人とも知れぬ歓談の声が飛び交う中、酔い潰れたキースとセフィールを前にルフィールとピートは黙々と宴の料理を味わった。


「いつの日か、こんな立派な式典でルフィール様のご結婚を祝いたいものですね」

 ピートがしみじみとつぶやく。

「どうして、あなたが私の結婚式を祝うのよ。カービン銃で撃ち殺すわよ」

 座った目でルフィールがぼそりと返す。

 いいことを言ったつもりのピートは、耳を疑った。

 なにか気に障ることを言ったのだろうか、と考えていると、華やかに着飾ったジョアンヌ王女が現れた。


「ルフィール王女たちには大変お世話になりました」

 ジョアンヌが黄金のティアラで飾った頭を下げる。

 その横には、黒髪に黒い瞳のイーステラルの皇太子がいた。

 爽やかな笑顔で彼もルフィールに頭を下げた。


「いえ、恐れ多いです。こちらこそ、こんな立派な式典にご招待していただき恐悦至極です」

 絨毯に頭をこすりつけるルフィール。

 横でピートも同じように頭を下げた。


「ルフィール王女にピートさん、頭を上げてください。あなたたちのお陰で兄にも会えました。随分と危険な目に遭わせてしまい、お礼を言わなければならないのは私のほうです」

「私は今はもう王女ではありません。単なる難民がこんな王族が集まる場所に呼んでいただけるなんて……」

「いえ、あなたとセフィールさんは王女です。我が国はマキナリアを国家と認めないことに決めました」

「えっ、王女殿下。それはどういうことでしょう?」

 ピートが顔を上げてたずねる。

「理由もなく我が国の軍艦に砲撃してくる国とは、国交を断絶いたしました。よって、我が国はトライ・ラテラルの旧王族を国家元首と認めるように決議しました。ねえ、あなた?」

 ジョアンヌが皇太子に顔を向け、念を押す。

「それは、イーステラル王国もなのですか?」

 信じられないといった表情のルフィールは、二人を見上げた。


「ええ。まだ帰国して大臣たちの意見を聞かないとわかりませんが、私はそのつもりです」

 皇太子は歯切れよくそう答えると、大きくうなずいた。


「そういうことですから、ルフィール王女たちはいつでもこの国に遊びに来てください」

「はい、ありがとうございます!」

 ルフィールは満面の笑みを浮かべた。

 国を追われて以来、初めて王族として扱われたのだ。

 これほど嬉しいことはなかった。


「では、セフィール王女たちにご挨拶できないのは心残りですが……」

 ジョアンヌが大いびきで寝転がるセフィールとキースを見下ろす。

「じゃあ、イーステラルにも遊びにきてくださいね」

 皇太子が手を振る。

 立ち去る二人に、ルフィールとキースはいつまでも頭を下げた。


 式典が滞りなく終わり、大広間の片付けが始まった頃、セフィールとキースが目を覚ました。

 まだ、寝とぼけている二人をルフィールが急かす。


「さっさと起きないと、二人ともワニザメの堀に突き落としますわ」

「ふわぁ〜、よく寝たな。んー、まだ頭が痛いぜ……」

 キースが苦虫を噛みつぶしたような顔で、伸びをした。


「あっ、お持ち帰りでカニを包んでもらわないと!」

 飛び起きたセフィールが大皿を見たが、既に片付けられていた。

 彼女はがっくりと肩を落とした。


「さあ、今日は王宮でお泊まりだが、明日からはまた宿なしだぜ」

 キースが三人の顔を一人ずつ見た。


「私はキースたちが寝ている間に、随分とよい夢を見させてもらいましたわ」


「えっ? ルフィールも寝てたの?」

「お姉様、違いますわ。私はこんな大事な式典でマヌケ面で寝たりしません」


「キース、私たちも頑張って、ルフィール様たちを立派な結婚式でお祝いしないといけませんね」

「そうだな、ピート」

 キースが得心した顔で深々とうなずく。


「やっぱり、ピートはワニザメの堀に突き落とします。さあ、いらっしゃい!」

 ルフィールはピートの腕をむんずとつかんだ。


   了

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底辺王女の逃避行〜南海の孤島の秘密 天川一三 @amakawa13

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