砲撃

 マキナリアの旗艦タイクンロードは徐々に島に近づきながら、主砲の準備を進めていた。

 実戦では初めての砲撃である。

 海軍将校は相手が戦意もないのに、砲撃してよいものかまだ悩んでいた。


「不明艦の国旗を確認。サザンテラルの船です!」

 見張員の報告する声が届く。

「サザンテラルだと! 我々が向かっている国の船ではないか!」

 困惑した顔でシーナ軍需次官を見るが、艦長席に陣取る彼は片肘をついて悠然としている。


「サザンテラルの船から発光信号! 本艦はサザンテラル海軍所属の軍艦トライトンである──、王女殿下も本艦にあり。貴艦より砲撃があれば、ただちにサザンテラルに対する宣戦布告とみなす──!」

「シーナ次官殿! あの船にはサザンテラルの王女も乗船されているようですが……。やはり、砲撃は考え直しては……?」

 その言葉に、肩眉を跳ね上げてシーナが将校をにらむ。

「何を怖じ気づいておるのだ。ここは魔の海域だ。他の船がいるわけでもない。なにがあっても誤魔化せるわ」

「ですが……、王族があの船に乗っておられるのですよ」

「フン! 王族などいずれ我が国と企業連合体ユニオンによって世界から消え去る人種だ。その一人や二人、気にする必要もない」

「それでは……」

「貴様らは黙って主砲の射撃準備を進めればよいのだ」

 シーナの顔は薄ら笑いさえ浮かべている。

 これ以上はなにを言っても無駄だと思い、将校は口を閉ざした。


 しかし……、あんな中規模軍艦をわざわざ主砲で砲撃する価値が果たしてあるものか……。


 そんな疑問を振り払うように将校は首を横に振ると、砲撃手に状況を知らせるように伝令を出した。


 ◇◆◇


 高速艇トライトンの艦橋。

 乗組員は各々が硬い面持ちで、肉眼でも確認できるようになった巨艦の姿を見つめていた。


「おい、見張員。あのでかい軍艦から返信はあったか?」

 ラトリッジ艦長も艦橋の窓に張り付き、巨艦の様子を見ている。

「いえ、なにもありません!」

「王女殿下が乗船していると伝えたのに、シカトするとは何なんだ、あの船は……。ところで、どこの船なんだ。あれは?」

「はっ! あれは……、マキナリア共和国の国旗が掲げられています!」

「マキナリア……、ああ、元トライ・ラテラル王国だな。セフィールたちの国じゃないか」


「ルフィールの言ってたとおり、やはり、マキナリアの船なのですね……」

 ラトリッジの横でジョアンヌがつぶやく。

「ええ、そうみたいですね。それにしてもバカでかい軍艦です。あの主砲なら8レグア先まで砲撃できそうです」

「艦長、今、あの船との距離はどのくらいなのでしょう?」

「2レグア切ってますね。観測員が優秀なら楽に命中させるでしょう」

「えっ、本当に!? でも王女である私が乗っているのに、まさか撃ってきませんよね?」

「いえ、クーデターで王族を皆殺しにした連中が作った国の船です。常識は通じないかもしれません」

「それでは、どうするのですか?」

 ジョアンヌの不安そうな声に、ラトリッジが声高に答える。


「あんな重装備の弩級戦艦と撃ち合ってもが悪すぎます。ご安心ください。もちろん、逃げますよ。スピードならどの船にも負けませんからね」

「そうですね。それが賢明でしょう。では、急ぎましょう!」

「機関始動! 本艦は最大戦速でこの海域を離脱して、サザンテラルへと戻る!」

「おお──っ!」と乗組員から歓声が沸き上がり、彼らはキビキビと動き始めた。


 ◇◆◇


「ノーマン、本当に死んじゃったの?」

 セフィールは甲板の手すりから身を乗り出して海面をのぞいた。

 そこは虹色にきらめくカニに覆い尽くされた世界だ。

 他の者の体を踏みつけて顔を出そうとするカニが無数に動き回っている。

 そこに人の姿など見えない。


「水中に逃げたとしても、もう息も限界だろうな」

 キースがあわれみ帯びた声でをつぶやく。

 その後ろではしゃがみ込んだピートの手を、ルフィールが引っ張っていた。


「ピート、あなた、いい加減にカニに慣れなさい。さあ、立ち上がって見ないと、海に突き落としますわ」

「どっちもイヤです。ルフィール様ぁ〜」

「泣き言を言ってないで、こっちに来なさい!」

 だがテコでも動こうとしないピートだった。


「あれれ? カニが逃げていくよ!」

 セフィールがそう言った途端、重苦しい音と共に振動が足下から伝わってきた。


「セフィール、船が動き出した。危ないから手すりから離れろ」

 セフィールは散り散りに逃げていくカニをまだ見ている。

 船の切っ先でかき分けられた白波が流れてくる。

 その勢いが次第に強くなるに連れて、揺れが大きくなった。


「ほら、段々スピードが上がってきた。セフィール、艦橋に入ろう」

「ルフィール様、船が動き始めました。もう中に入りましょう!」

 キースとピートがそう言った時、突如、爆音が聞こえた。

 次の瞬間、船の左舷からかなり離れた場所に、巨大な水柱が現れ、大きく船が傾いた。

 キースはセフィールを抱きとめ、必死に手すりをつかんだ。

 ピートは床に転がって、ルフィールを抱き締める。


「あの野郎、もう撃ってきやがったのか! まだ30ミヌト経ってないだろ!」

 キースが後方を見ると、タイクンロードは黒煙に包まれていた。

「こっちが動き出したから慌てて撃ったんじゃないですか?」

 ピートが巨艦を見ていると、黒煙が薄れていき──、

 赤く光って、また爆音が海上を駆け抜けた。

 今度は右舷の海上に太い水柱が上がり、また船が傾き、豪雨のように降り注ぐ海水がピートたちを襲った。


「うわーっ! これじゃ、いつか当たるんじゃないの!?」

 びしょ濡れのセフィールが悲鳴を上げる。

「敵弾が夾叉きょうさしてますわ! 次は命中しても不思議じゃないです!」

 ルフィールが絶叫した。

「おいおい、もっとスピードは出ないのかよ!」

 セフィールと一緒に手すりにしがみついているキースも叫ぶ。

「それより、ここにいたら危険です。早く船の中へ!」

 ピートがルフィールを抱えて、立ち上がろうとしたら、また船が左に傾いた。


「艦長は船を蛇行させながら離脱する気だな。賢明だ」

「いえ、キース。そんなことをしても、タイクンロードには主砲が九門もあります。本射撃で斉射されたら逃げ切れないかもしれませんわ!」

 ルフィールは黒煙を上げるタイクンロードを見た。

 すると船首を向けていたその船は、ゆっくりと回頭し始めた。


「やっぱり主砲を同時斉射するみたいですわ。い、急いで逃げないと!」

 ルフィールが青ざめた顔でピートに抱きついた。


 ◇◆◇


「試射はまずまずですな」

 遠くの洋上に立ち上る水柱を眺め、双眼鏡を目に押し当てた海軍将校がつぶやく。


「観測員も慣れてなかろうが、斉射では一発は当たるだろう」

 シーナはティーカップを優雅につまみ、艦橋の窓に広がる大海原を一望した。

 その海原がぐるりと動き出す。

 回頭して船体が動いているのだ。


「よもや撃ち漏らすことはあるまいな」とシーナが念を押す。

「はい、この距離なら撃沈も時間の問題でしょう。ですが、あのサザンテラルの船──、なかなか高速ですな。あんな足の速い船は初めてです」

「船体が安定したら、すぐに主砲の全砲門で斉射せよ。万が一にでも逃げられたら厄介だからな」

「はっ! 了解いたしました!」

 双眼鏡から目を外し、将校がシーナに敬礼する。

 シーナは一度それにうなずいてみせたが、顎に手を当ててから、手で制した。


「いや、待て。まずあの船の足を止めよう」

「はあ……。では、あの船の向こうを狙うのですか?」

「そうだ。水の壁を作って、あやつの動きを止めるのだ」

 いつぞや主砲の弾丸は高額だとシーナに説教された将校は、シーナを一瞥した。

 皮肉の一言でも返してやろうかと思ったが、やぶ蛇になりそうなのでやめておいた。

 彼は観測員と砲撃手にシーナの意向をそのまま伝えた。

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