反撃
高速艇トライトンの艦橋。
ラトリッジは見張員からの伝令に耳を疑い、艦長席の上でのけ反った。
「30
「はい、あの船から、繰り返しそのように発信されています!」
「うーむ、なにかの冗談のつもりなのか……。ところで距離はどのくらいだ?」
「約2レグアといったところです」
「2レグアか。戦艦の主砲なら楽に届く距離だな……」
そこへウォーターとバンクスが息を切らして飛び込んできた。
「か、艦長……ッ! あの船から……、発光信号が!」
二人そろって、窓の向こうの海原を指さす。
「それはもう気づいている。それよりお前たち、王女殿下はどうした?」
「はい! 王女殿下ならすぐにここへいらっしゃるはずです!」
ウォーターが答えると、ちょうどジョアンヌが現れた。
「はあ……、はあ……、艦長、大変なことになりました。急いで……、この船がサザンテラルの軍艦であることと、私が……、乗船していることをあの船に知らせてください」
「そうでありますな。王女殿下! 了解いたしました!」
苦しそうに息を整えるジョアンヌを見ながら、ラトリッジは艦長席を下りようとした。
その時、船が左舷に向けて大きく傾いた。
彼はバランスを崩し、床に倒れ込んだ。
船体は揺り返してすぐに戻ったが、まだ揺れている。
すぐに顔を上げ、周囲を確認した。
突然の出来事に騒然とする艦橋。 ジョアンヌほか大勢の乗組員が床にうずくまっている。
「何だ! もう撃ってきたのか! 30
「いえ、あの軍艦は発砲しておりません!」とすぐに見張員が答える。
「では、今のは何なのだ?」
「わかりません!」
◇◆◇
ピートは間近に迫ってくるノーマンの刃を凝視した。
この距離では避けきれない!
そう直感し、少しでもかわそうと体をひねる。
その時──、甲板が大きく傾いた。
思わぬ事態に、ノーマンの体が右へと流される。
ピートはその反対に身を倒し、足でノーマンの
ノーマンは足下をすくわれ甲板に転がったが、肘を突いて、すぐに起き上がった。
まだ揺れが残る甲板の上、大きく足を広げて、ピートをにらむ。
「何でしょうね、今のは? ピートさん、あなた命拾いをしましたね。この偶然もあなたの大好きな神のご加護でしょうか? しかし神様の元へ召されるのが少しだけ延びただけですがね」
ノーマンは腰を落として、また突進すべく殺気だった目でタイミングを狙っている。
その間合いは、一息で飛びつかれるほど。
武器を持たぬピートは体術でどうにかするしかない。
全神経を研ぎ澄ませて、相手の動きに注視する。
ノーマンのつま先が動く。
と──、ピートを捉えていた彼の視線がわずかに横に動いた。
その隙に、ピートはノーマンに飛びかかった。
服の裾を扇状にひるがえして、回し蹴りで彼の頭を狙う。
一瞬だけ目を離していたノーマンは避けきれず、左腕でそれを受けた。
蹴りの勢いで、ノーマンの体が横に流される。
そこへ銃声──。
弾丸がノーマンの右太ももをかすめ、鮮血が飛び散る。
蹴った体勢からノーマンの背後に回り込んだピートは、正面に銃を握るルフィールを見た。
彼女は床に這いつくばったまま、ノーマンに銃を向けている。
その銃はノーマンのナイフに弾き飛ばされたものだ。
「ルフィール様!」
「ピート、あなたそこから動かないで! 間違って当たっちゃうから!」
ルフィールが叫ぶ。
「ピート!」
向こうからキースが走ってくる。
「ノーマン、動いたら撃ちます!」
ルフィールの碧い目がノーマンに照準を定める。
「くくくっ……。今度は私が大ピンチなんですかね???」
ノーマンが声を殺して笑う。
「笑止千万!」
ノーマンがくわっと目を剥き、右手を一閃させた。
「キャ────ッ!」
ルフィールが目を逸らして思わず叫ぶ、その上をナイフが真っ直ぐに飛んでいく。
「あっ!」
今度はピートが声を上げた。
ルフィールの向こうでよろよろと立ち上がるセフィール。
ナイフはその胸を目指している。
「セフィール!」
キースがセフィールに飛びつこうとするが、間に合わない。
ついにナイフの切っ先が彼女の胸に突き立った──。
セフィールの悲鳴
──が上がるとピートは思った。
しかしセフィールは胸にナイフを突き刺したまま、口の端を上げてニヤニヤしている。
ピートは、彼女の目が青く光っているのに気づいた。
よく見ると、その胸からは血の一滴も流れていない。
セフィールは胸に刺さったナイフの
水に突き立てたナイフのごとく、ナイフは柄まで丸ごとセフィールの胸の中に消えてしまった。
ピートは目の錯覚かと思った。
「何なんだ、お前は!?」
幻でも見たのかと言わんばかりの形相で、ノーマンも驚いている。
「デバイス・ロケーション確認、ターミナル・リンケージOK、戦闘モード起動──」
セフィールが低い声でつぶやく。
キースが躍り出て、背中で彼女を隠す。
「大丈夫か? セフィール!」
そうたずねるが、返事がない。
セフィールは不敵な笑みを浮かべ、後ろからノーマンをじっと見ている。
ピートはノーマンを羽交い締めにすべく、背中に飛びついた。
「邪魔だ。どけ。
その声と同時に、船が大きく揺れた。
よろめくキースを手で押しのけ、セフィールが前へ出る。
ピートが捕まえようとしたノーマンの姿が唐突に消えた。
ピートの両腕が空を切り、上体がつんのめる。
「あっ! どこに行った!?」
首を回して見るが、ノーマンの姿がない。
前に進むと、なにかを踏んだ。
見下ろすと、うつ伏せのノーマンが大の字になって床に張り付いている。
体が動かせないのか、三白眼の眼球だけが焦ったように慌ただしく動き回っている。
「さて、こいつをどうするかな?」
セフィールがノーマンの頭の所でしゃがみ込み、指で顔をつつき始めた。
「ぐぐぐ──」
ノーマンがなにか言いたげにセフィールを見るが、言葉にならない。
キースとルフィールも近寄ってきた。
「セフィール、それはお前の魔力か?」
「いかにも」
キースを見上げ、自慢げにセフィールがうなずく。
「お姉様、早くそいつを縛り上げましょう」
銃を持つルフィールが不安そうな顔でノーマンを見下ろす。
「うむ、しかし、私はこいつに恨みがあるのだ」
セフィールがノーマンの片手を握り、軽々と引きずっていく。
ノーマンはまだ動けないのか、ズルズルと死体みたいに甲板の上を滑っていく。
船べりまで来たセフィールは水面をのぞいてから、指笛を鳴らした。
すると、海の底からなにかが次々と海面へと上がってくる。
青い海はあっという間に虹色に輝き始めた。
「お前にはカニを嫌と言うほど食わされたから、今度はお前がカニに食われるがよい」
セフィールはノーマンの頭をつかみ、船べりから出した。
「ぐぐぐ──」
ノーマンがうめくその下、数え切れないほどのニジイロタカアシガニがうごめいている。
「もう自由にしていいぞ!」
セフィールはそう言い、ノーマンを船から蹴り落とした。
「うわ────────────────────ッ!!」
ノーマンの尾を引いた叫び声が甲板に立つピートたちに届く。
彼らが見下ろす中、ノーマンの姿はすぐに色鮮やかなカニにかき消された。
海の上では、何千、何万ともしれぬカニがもぞもぞとうごめいている。
カニが嫌いなピートは見るのをやめ、聖印を取り出し神に祈りを捧げた。
ルフィールは青ざめた顔で恐怖におののいている。
「あちゃー、悪いヤツだったが、これは…………」
キースが絶句してから、セフィールに振り返ったが、姿が見えない。
彼女は甲板に倒れ込んでいた。
「おい、セフィール! しっかりしろ!」
キースが抱え上げ、体を揺する。
「うーん……」
セフィールが目を開ける。
「大丈夫か、お前?」
「キース! ノーマンは?」
飛び起きたセフィールが辺りを見回す。
「なんだ、お前、憶えてないのか?」
「うん、ノーマンに突き飛ばされたのは憶えてるんだけど……。それで、ノーマンはどうなったの?」
「ああ……、ヤツなら……」
キースがカニだらけの海面を見つめる。
「お姉様、ノーマンならカニに食われちゃいましたわ……」
震える声でルフィールが答える。
「えっ、カニに食べられたぁ!?」
セフィールのひっくり返った声が虹色に輝く海に響いた。
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