島からの離脱

 幾何学模様に鮮やかな石が敷き詰められた床の上。

 ジョアンヌ王女の前でキースは片膝を立ててひざまずいた。

 右手は開いて、左脇腹の横で左手に載せている。

 これは王族に対して騎士ナイツが恭順の意を示すポーズだ。


「どうしたのです、キースさん? 突然、そんなにかしこまって」

 兄と話していたジョアンヌが目を丸めて、キースを見下ろす。


「実は王女殿下にお話ししたいことがあります」

 キースの急変にピートとセフィール姉妹も注目している。


「その話とは何でしょう?」

「はっ! 先ほど、ハミルズ王子殿下が王女殿下に話されていたことについてですが……」

「キースさん、王子殿下だなんて堅苦しいからやめてくださいよ」

 ハミルズは屈託なく笑うが、キースは表情を崩さない。


「お兄様、彼は私に用があるようなので、少し黙っていてください」

 ジョアンヌはキースのただならぬ様子に、なにか感じ取ったのか姿勢を正した。

「それで、キースさん。私が兄と先ほど話していたこととは?」

 キースはセフィールを一度かえりみてから、すぐに王女に向き直る。

「これまで黙っておりましたが、実はセフィールとルフィールはトライ・ラテラル王国の王女なのです」

 王女は少し離れた場所に立つ金髪の姉妹を見た。

 彼女たちはポカンとした顔でこっちを見ている。


「では、先ほどお兄様が言ってたことは──」

「本当だよ。だって、彼女の王家の魔力がこの島にジョアンヌたちを導いたんだからね。彼女は正統な33王家の者で間違いないだろう」

「えっ? じゃあ、私の魔力でこの島に来たんじゃないんですか?」

「ジョアンヌ、君の魔力もあると思うけど……。それだけじゃ、これほど早くこの島にたどり着けなかっただろうね。この島を動かして呼び寄せたのは彼女さ」

 ハミルズの目が真っ直ぐにセフィールに向く。

 様子が変なので、それまで黙って話を聞いていた姉妹とピートも寄ってきた。


「キース、急にどうしちゃったの?」

 セフィールはジョアンヌの前でかしこまる彼の肩に手を掛けた。

「セフィール、マキナリアの軍艦がこの島に向かってるんだ。おそらく彼らは上陸してくるだろう。早く逃げなきゃ」

「そうですわ。お姉様、私たちは亡命中ですから、捕まったら大変です!」

 ルフィールの表情がにわかに曇り、そわそわし始める。


「セフィールさんにルフィールさん。では、あなた方はトライ・ラテラル王国のリト王の王女でいらっしゃるのですね?」

「「はい、そうです」」

 ジョアンヌの問いかけに、姉妹が声をそろえて答える。

 ピートもそれにうなずいた。


「でしたら、あのマキナリアの軍艦が来る前に、一刻も早くこの島を脱出したほうが良さそうですね。お兄様も一緒にこの島を出て、私たちの国に戻りましょう」

 意を決した面持ちでジョアンヌがハミルズを促す。

 しかし彼は渋い顔で腕を組んで、思案している。


「確かに……、碑文の警告のことを考えると、この島を僕らが引っかき回すべきではない気がするけど……」

「そうですよ、お兄様。先人はこの島を荒らされたくないのです」

 ジョアンヌの両手が兄の腕を握る。


「けど、僕は誰かがこの島を守らなくちゃ、とも思うんだ」

「お兄様…………。では、国へは……?」

「うん、悪いけど、僕はこの島に残って、ここを守るよ」

 王女は兄の目を見つめた。

 ハミルズは優しく妹を見返し、彼女をさとすように無言でうなずいた。


「ジョアンヌ、急いでお帰り。短い間だったけど、会えて本当によかった」

「お兄様、こんな島でお一人で大丈夫ですか?」

「なーに、僕にはクーガがいるから」

 ハミルズがクーガの背を叩くと、それに応えるように、クーガがひとつ勇ましく吠えた。


「さあ、行くんだ、ジョアンヌ。こんな兄だけど、父によろしくと伝えておいて」

「…………」

 ジョアンヌはもう一度名残惜しそうに兄の顔を見つめてから、手を離した。


「クーガ、妹たちを浜辺まで案内しておくれ」

 ハミルズの命令で立ち上がり、歩き出すクーガ。


「それでは、王子殿下、私たちもこれで失礼させていただきます。どうか、ご達者で」

 キースとピートがハミルズに深々と一礼する。

 セフィールとルフィールも遅れて一礼した。


「うーん、堅苦しいけど、まっ、いいか。君たちとはまたいつか会えそうな気もするし」

 ハミルズはしゃがみ込み、セフィールに顔を寄せ、耳もとでささやく。

「偉大なる探求者シーカーのお導きが君にありますように」

 それからポンと彼女の両肩を叩いて、クーガを指さした。


「さあ、セフィール王女、お行き」

「さよなら、ハミルズ王子」

 手を振る王子の姿を目に焼き付け、セフィールはくるりと振り向いてクーガの後を追った。


 クーガは広間を出て、池のほとりから密林に入って進んでいく。

 一行は揺れがまだ続く地面を気にしながら、その後に続いた。

 やがて視界が開け、青い海が見えた。


「うん、確かにここだ」

 ウォーターが小さな岩が続く向こうにあるゴムボートを指さした。


「じゃあ、ジョアンヌ、ここでお別れだ。いつまでも元気でね」

 クーガからハミルズの声が届く。

「お兄様、ありがとう。またいつの日か、きっと会いましょう」

 ジョアンヌはクーガの頭をそっと撫でた。


 一行がゴムボートに乗り込んで岸を離れると、クーガが別れを惜しむように遠吠えをした。

 段々小さくなっていくクーガをセフィールたちはいつまでも見続けた。

 セフィールたちを乗せたゴムボートが作る白く細い航跡が波にかき消されていく。


「ハミルズさん、こんな島でひとりぼっちでさみしくないのかな……?」

 セフィールがポツリとつぶやく。

「お兄様とはまたいつか会えます……。いえ──、また必ず会いに来ます」

 ジョアンヌは島を見つめ、潮風にたなびく髪を手で押さえた。


 ゴムボートは順調に沖まで出て、沖合で彼らを待つ高速艇トライトンのそばまで来た。

 反対を向くと、まだ小さいがマキナリアの旗艦タイクンロードの姿も見えてきた。


「急いで乗船して、この海域を抜け出さないとな」

 キースが間近になったトライトンの艦橋を見上げた。

 すると艦橋の上部にある投光器が点滅した。


「高速艇から発光信号が出ているようですね」

 ウォーターも気づいたようで、空を仰ぐように上を向いている。

「ウォーターさん。あれは何て通信してるか、わかりますか? おそらく、マキナリアの軍艦に船籍と戦意はない旨でも連絡しているんじゃないかと思うんだけど」

 投光器を見上げていたウォーターはそれにうなずきかけたが、にわかに険しい顔つきになった。


「いえ──、キースさん。どうやらそうではないようです……」

「えっ? じゃあ、何の連絡をしているのですか?」


 ウォーターがゴクリと唾を飲み、太い喉が動く。

「あれは──、『亡命した双子の王女たちはこの船にいる。ノーマン』と先ほどから繰り返して発信されています……」

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