動く島

 高速艇トライトンの艦橋に鎮座する艦長席で、ラトリッジは大あくびをしていた。

 船を飛ばして【はじまりの島】に来るまでは良かったが、いざ着いてみるといかりを降ろして浮いているだけだ。

 魔の海域と呼ばれていたのが嘘みたいな、真っ青な空の下の凪いだ海。

 実にのどかだ。

 退屈きわまりない。

 王女たちと一緒に島に乗り込めば、少しは退屈せずに済んだのだろうが、艦長が船を空けるのも忍びないので残った。


「なあ、ジェンキンス君。王女殿下はいつごろお帰りになるのだろうな?」

 横に控える生真面目そうな若い副艦長に訊いてみるが、「自分にはわかりかねます」と首をかしげるだけだ。

 まあ、彼女たちは野営の準備もしていったので、島で一泊はするつもりなのだろう。


「しかし、王女殿下も国をあげての婚礼も控えているし、まさか長居はするまいな」

 独り言のついでにまた副艦長に話し掛けると、「そうでありますね」と答え、今度は何度もうなずく。

 ラトリッジは副艦長を横目で見ながら、思った。


 この副艦長は生え抜きの海軍士官だったよな……。

 真面目なのもいいが、騎兵隊の連中みたいに下世話なほうが暇つぶしになる……。

 もう一度、大きなあくびをしていたところ、見張員がこっちを向いて声を上げた。


「島が動いています!」

「お前、なに、寝ぼけてるんだ! 島が動くはずあるまい!」

 見張員は首をひねってから、もう一度双眼鏡をのぞき直し、そのまま答える。

「やはり、少しずつ動いています!」

「島が動くか! この高速艇が流されてるんだろ!」

 違っていたら鉄拳制裁もありだと思い、指の骨を鳴らして艦長席から下り、見張員のところへ向かう。

 双眼鏡を彼からひったくり、島に向けてゆっくりと構える。


「ほら見ろ、動いてなんか……、ん? 少しずつ左に動いているような……?」

 微妙にではあるが島が左に動いているような気がする。

 双眼鏡を目から外し、服の袖でレンズを拭いてから、もう一度のぞいてみる。


「おお……、信じがたいが確かに動いているな……。海鳥たちも騒いでいるようだ」

 島の上空ではたくさんの海鳥が右往左往しているのが見える。

「お前の言うとおりだ。疑ってすまなかった。報告ありがとう」

 丁重に双眼鏡を返すと、見張員は目を輝かせながら敬礼した。


 ラトリッジは毛深い手のひらで、驚きで少し乾いた口をぬぐいながら思う。


 前人未到の広大な海には、人間が見たこともない奇妙なできごとがあるものだ。

 退屈しねえじゃないか──。


 自然と顔がほころぶ。

 ラトリッジはすぐに振り返り、乗組員に指示を出した。


「乗組員の諸君! 信じられないかもしれないが、【はじまりの島】が動いている。本艦は距離を保ち、あの島を追跡する!」


 ◇◆◇


「ハ……、ハミルズさん、この島が動いてるの?」

 揺れが残る地面の上、セフィールがハミルズに寄り掛かり、彼を見上げる。

「うん、そうだよ。君たちがこの島に向かっている時にも、動いたんだ」

「じゃあ、いつもこの島は動いてるの?」

「いや、僕がこの島に来て以来そんなことはなかったから、僕も驚いたよ。とにかく、さっきの広間に戻って情報を見てみよう」


「えっ! あの広間でなにかわかるの?」

「うん、クーガに頼めば情報を見ることができるよ」

 地震にも身じろぎひとつしなかったクーガが、ハミルズに顔を向け喉を鳴らす。

「クーガ、先に行って島の様子を調べておくれ」

 ハミルズがそう言うと、クーガは立ち上がり広間に向けて走っていった。

 その後ろ姿を見ながら、セフィールがつぶやく。

「へえ、クーガって賢いのね──」

「お姉様、クーガは探求者シーカーが作った機械ですもの。賢くても不思議じゃないですわ」

「そうね。私も一匹欲しいなあ〜」

「機械だから一台ですわ。確かに私も一台欲しいです。ハミルズさん、他にクーガみたいなのありません?」

「うーん、他にもあるかもしれないけど、今のところ見つかってるのは彼だけかな。それより僕らも急ごう」

 ハミルズが足を速める。一行は広間へと急いだ。


 広間に戻ると、クーガは椅子の横に座り、その斜め上の空間に映像が大きく浮かび上がっていた。

「これクーガが映してるの?」とセフィールが訊くと、クーガがうなった。

 セフィールが見上げる宙に浮かぶ四角い映像。

 そこに映っているのは海の上の景色のようだ。

 波立つ青い水面に水平線、遠くに船の姿が見える。


「あれは船のようだけど、トライトンじゃないよな。もっと大きいな」

 キースも映像を見上げる。

「この映像は海上から撮影しているみたいですね」

 ピートも興味深そうに映像を見ている。

「お兄様、これは鳥になって見ている感じですね」

「ジョアンヌ、そうだね。きっと、この島じゃクーガみたいに鳥の機械も飛んでるんだろうね」


「しかし、あの船はどこの船だ? どうも軍艦っぽいが……、サザンテラルの船ですか?」

「うーん、私、海軍の艦船についてはあまり詳しくないのでわかりません」

 キースの問いにジョアンヌが首を横に振る。

 ウォーターとバンクスが少し言葉を交わしてから、ウォーターがキースに答えた。

「いえ、サザンテラルにはあんな大きな軍艦はありません」


 みんなが映像を無言で見上げる中、ルフィールが船影を指さした。

「あれはトライ・ラテラル……じゃない。マキナリアの旗艦タイクンロードですわ。建造中に見たことがあります」

「ルフィール様。よくわかりますね」

 ピートが感心した様子でルフィールを見ると、彼女は自慢げに小鼻を広げ、小さな胸を反らした。

「軍の造船所でギルモア卿に案内させて、この目で見ましたもの。あんな立派な軍艦は見間違いませんわ」


 キースが眉を吊り上げ、船影を睨む。

「でもどうして、マキナリアの旗艦がこんなところに……?」

「あら、それでしたら……、きっと私の挙式に国賓としてマキナリア共和国の方を招待したからですよ」

「あっ、なるほど……」

 ピートがポンと手を打つ。

「じゃあ、サザンテラルのトライトンなら鉢合わせても大丈夫だな。彼らを招待した国の船だからな」

 ウォーターがそう言うと、バンクスがうなずいた。

 しかし、キースの横にいるハミルズは難しい顔で映像を眺めている。


「ハミルズさん。なにか心配事でも?」

「ええ、先ほどセフィールさんに読んでもらった石碑の碑文のことが気になって……」

「ああ、あの文面ですか……」

「そうです。この地に至りし者への警告。この地に至りし者は、すべからく見聞きしたことを忘れ、この地で得たすべての物を捨て、この地を去るべし……。あの船の者がこの島に上陸してこなければよいのですが……」

「でも、南大深度海のこの航路に来てるってことは、その可能性は大きいんじゃないですか?」

 キースの言うことはもっともなので、ハミルズはためらいがちにそれにうなずく。


「この島が彼らに荒らされてしまうと、なにか悪いことが起きそうな予感がします」

 ハミルズがそう懸念する横で、キースは他の心配で頭がいっぱいだった。

 マキナリアの軍人にセフィールとルフィールが見つかれば、間違いなく殺されてしまうだろう。


 急いでこの島を出なければ──。


 まだ映像を夢中で見ている二人の王女。

 彼女たちのあどけない横顔を見つめながら、キースは脱出の段取りを考え始めた。

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