謎の生き物

 ニジイロタカアシガニに囲まれてしまった高速艇トライトン。

 裸踊り祭りで全裸で踊っていた乗組員が、今は手すりにずらりと並んで海面を見下ろしている。

 彼らが見下ろす海面は虹色に輝くカニの群れが粲粲さんさんと降り注ぐ陽光を受け、動くたびに違った色に輝いている。

 ジョアンヌは船首に立って、なにかを真剣な眼差しで見つめている。

 それはニジイロタカアシガニの群れが作った、ずっとずっと先の海まで続く虹色に輝く軌跡であった。


「こんなに沢山いるのに指をくわえて見てるだけなんて! 本当に網はないの?」

 セフィールは落ち着かないのか、手すりからのぞいたり、甲板に戻ったりを繰り返している。

「お姉様、これだけいるのですから、慌てることはありませんわ」

 ルフィールがおっとりと言うと、セフィールがポンと手を打った。

「縄で腰を結んであげるから、ルフィールがカニを取って来てよ!」

「えええ〜、別に私、ニジイロタカアシガニってそんなに好きじゃありませんし……」

「大人の味なのよ。あなた、お子様じゃないんでしょ。だったら、この機に大人の味がわかるまで何匹でも食べるべきね」

 そう言うや否や、セフィールは一人の兵士に縄の用意を頼んでいる。

「お姉様、本気ですわ……」

 ルフィールはスカートをひるがえして、跳ぶように逃げていった。

 セフィールが振り向くと、既に妹の姿はなかった。

「ちっ、逃げやがったか!」

 見ると、取り残された牧師姿のピートがポツンと立っている。

「ご主人様の代わりに、ピートが取って来て!」

「おいおい、セフィール、いくらなんでも無茶言うなよ。あんなにうじゃうじゃいる所に降ろされるなんて鳥肌もんだろ」

 いつの間にかやって来たキースがピートに助け船を出す。

「キースの言うとおりですよ。セフィール様。それに私、甲殻類アレルギーなんですよ」

「ぐぐぐ……」

 セフィールが歯ぎしりしていると、先ほど縄を頼んでおいた兵士が戻ってきた。

「セ……、セフィールさん、縄はこのくらいあればいいですか?」

 丈夫そうな縄が束ねられた塊を兵士が重そうに抱えている。

「さあ、キース! 私の腰をその縄で縛って!」

 セフィールが両手を挙げ、腰を突き出した。

「ダメ、ダメ。お前、カナヅチだろ。海に落ちたらどうする気だ?」

「海に落ちたら、もちろん手当たり次第にカニを食べるわよ」

 キースはその姿をリアルに想像してしまい、苦笑いしかけたが、今はそれじゃない。

「これだけいるんだから、慌てなくても大丈夫だ」

 そうこう言い合っているうちに、兵士たちが釣り竿を持ち出して、カニを釣り始めた。

 ほとんど入れ食い状態で、次から次へとカニが釣り上げられていく。

 セフィールはそれに吸い寄せられるように、フラフラと歩いていった。


「これでしばらくは静かになったな……」

「キース、ありがとう。こうもカニが多くては、見てるだけで蕁麻疹じんましんが出そうなので、私は船室に戻ります」

 ピートが船室に戻っていくと、どこからか逃げていたルフィールも現れ、それに続いた。

 セフィールはといえば、カニが甲板に釣り上げられるたびに大騒ぎをしている。

 キースはやれやれ顔で、そこへと向かった。


「カニをいちばん釣り上げた人には、このセフィール様がご褒美ほうびをあげるわ!」

「えっ! お嬢ちゃん、本当かい?」

「褒美ってなんだい? お嬢ちゃん」

 兵士たちは釣り竿を振り回しながら笑顔で彼女に答えている。

「うーん、何にしようかな……?」

 考えなしのセフィールが腕を組んで考え込む。

 その耳に裏返った兵士の声が届いた。


「うわっ! なんだ、このカニは!」

 セフィールがそっちに首を向けると、兵士たちが丸く輪になって甲板をにらんでいる。

 体をねじ込むようにして中に入り、みんなが凝視する先を見た。

 そこには奇妙な生き物がいた。

 カニっぽい大きさと形はしているが、明らかにニジイロタカアシガニではない。

 その全身は銀色に輝き、目はガラス玉みたいに透明で、動きもどこかぎこちない。

 背中から生えた長い二本の触手が動くたびに揺れている。

 セフィールは最前列の水兵たちに混ざって、首を伸ばし、そのカニを目を丸めて見ていた。

 カニは銀色のハサミを振り上げ、威嚇するように上下させている。

 一人の兵士が近づくと、耳障りな甲高い音を立てて、なにかを吹きつけた。

 兵士が慌てて飛び退く。

 カニが吹き出した液体は、甲板の鉄板を白い煙を上げながら溶かし始めた。

 それを見て、カニを取り巻く人の輪がざわめきと共に一斉に崩れた。


「おい、セフィール。危ないから、もう離れろ」

 キースが彼女の腕を引く。しかし、セフィールは興味津々の顔で、まだカニを見ている。

「食べると案外美味しいのかも……」

 今にもヨダレを垂らしそうな顔で一心不乱にカニを見つめるセフィール。

「どこをどう見れば、あのカニが美味そうに見えるんだよ……」


 兵士たちの尋常ならぬ騒ぎに船首にいたジョアンヌも、何事かという顔で現れた。

「あなたたち、カニくらいでなにをそんなに騒いでいるのですか?」

 すると、ハサミで威嚇していたカニが機敏な動きで王女に駆け寄った。

「王女様、危険ですから、離れてください!」

 一人の兵士が叫ぶ。

「なんですか。サザンテラルの軍人が、カニごときで」

 ジョアンヌが足下まで来たカニをのぞき込む。

 カニは王女を見上げるように体を傾け、ハサミを動かした。

 誰もがやられたと思った次の瞬間、カニは興味をなくしたように反転して、突然走り出した。

 その向かう先にはセフィールがいた。

 カニはセフィールを見上げ、ハサミを振り上げると、そのまま動かなくなった。

 セフィールは両手をカニみたいに突き出し、指をワナワナさせ、カニをつかみ取る気満々だ。

「セフィール、やめとけって。腕が溶けちゃうぞ」

「虎穴に入らずんば虎児をえずでしょ。なにか吹きつけてきたら、素早く避けるわ」

 セフィールとカニのにらみ合いが続いた。

 その様子を兵士たちは固唾を呑んで見守った。


 一陣の潮風が吹き、セフィールの髪を揺らす。

 セフィールは生唾を飲み込み、次の瞬間を待った。


 その時──、セフィールの耳にどこからともなく声が聞こえてきた。


──デバイスと接触、ターミナル・リンケージOK、フェーズツーを開始する──


「この声はさっきも……」

 それはジョアンヌが魔力を発動している時に聞いた声と同じだった。


 セフィールがそんな考えごとをしている隙に、カニは素早く歩み寄り、彼女の足の指をハサミで挟んだ。


「痛っ──!」

 セフィールが絶叫を上げる。

 キースが慌ててカニを足で踏みつけたが、カニはあっという間に甲板の縁まで逃げ、海に飛び込んだ。


「なんてカニだ……。おい、セフィール、足は大丈夫か?」

「痛い、痛い……、けど……大丈夫……」

 セフィールはそう言っているが、キースが見ると、その顔は明らかに紅潮している。

 キースは彼女を抱きかかえ、額に手を当てた。

「なんてことだ! ひどい熱があるぞ。あのカニ野郎、なにをしやがった!」

 ジョアンヌもそれに駆け寄り、声をあげる。

「誰か、衛生兵を呼んで来て!」


 衛生兵を待つ間、キースと王女がセフィールを見守る。

 そのセフィールがうわごとのようにつぶやく言葉は、意味不明の謎の言葉だった。

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