夢の中の光景

 体が……、熱い……。

 熱にうなされながら、セフィールは不思議な光景を目にしていた。

 水の中を漂うような、現実か幻覚かわからぬ景色が揺らぐ。

 目を閉じているから、これはきっと夢なんだ、と彼女は思った。


 その景色は、この世界のどこかなのだろう。

 銀色に輝く摩天楼が数え切れないほど林立している。

 その彼方、天まで届く太い煙が、眩い閃光とともに物凄い早さでいくつも昇っていく。

 セフィールはその様子を高い場所から見下ろしているようだ。

 その彼女の後ろから、何者かが声を掛けてきた。

「王女様、お待ちしておりました」

 振り向くと見たことがあるような、ないような黒マントの男が立っていた。

 その服装も見覚えがあるような気もするが、そうでない気もする。


「あなたは誰?」

「私ですか? 私はたった今できた人格なので、まだ名前がありません」

「それはどういうこと?」

「今、申し上げたとおりです。王女様」

「全然、わかんないよ」

「これは仮の姿なので、気にされなくて結構です。貴方の記憶から適当に見繕った幻のようなものです」

「じゃあ、その幻さんが、私になにか用があるの?」

「本当に長い間、貴方をお待ちしておりました」

「待ってたっていつからよ? あんた、今できた人格とかさっき言ってなかったっけ?」

「我々は知の集合体です。連綿と続く時の中、情報を受け継ぎいにしえより貴方のことをずっとお待ちしていたのです」

「言ってる意味がわかんないよ」

「ご心配なく。じきにわかるようになります。情報はこの星の彼方にあります」

「この星の彼方?」

「さようにございます」

「それはどこよ?」

 マントの男は真っ直ぐに指先を上へ伸ばした。


「それって、空ってこと?」

「それより遙か上にてございます」

「それって、星があるところ?」

「いかにも」

「うーん……、なんだかなあ。ねえ、この景色ってどこなの?」

 セフィールが外を指さす。


「あれは、我々探求者シーカーがかつて棲んでいた場所です」

「なんだ、シーカーって名前があるんじゃない」

「名前とは違いますが、そうお呼びになりたいのでしたら、それでも問題ありません」

「んー、まどろっこしいなあ。あなた、それで用事があるならさっさと言ってよ」

「いえ、特に用事はございません。手続きの都合で謁見に参っただけにてございます」

「じゃあ、もう用は終わったのね。さよなら」

「セフィール様、正しき心を、この星とともに」

 そう言うと、マントの男はにじむようにその場から消え去った。


「もう、変な夢。んー……、それよりカニ、カニよ!」

 セフィールは飛び起きた。そして、頭を思い切りぶつけた。


「痛ッっ────!」


 目から火花がたくさん出たセフィールが辺りを見ると、白い部屋に人が何人かいた。

 頭をさすりながらよく見ると、二段ベッドの下に彼女はいた。


「ここはどこなの?」

「おっ、セフィールが目を覚ましたぞ!」

 よく見覚えのある顔が彼女をのぞき込む。

「キース、ここはどこ?」

「医務室だ。お前、カニに挟まれて、甲板でぶっ倒れたんだ」

「セフィール、なんともありませんか? あなた、変な言葉をつぶやいてたのよ」

 ジョアンヌが彼女の額に手を伸ばす。

「あら、もう熱が下がってるわ。不思議ね……」

「お姉様、よかったですわ。私、とても心配しました」

 ふわふわした金髪のルフィールも、ベッドをのぞき込む。

 牧師姿のピートはその後ろで聖印を取り出し、十字を切った。


 セフィールはゆっくりとベッドから降りて、みんなの顔を見回した。

「みんな、こんな所に集まってる場合じゃないでしょ! カニ、カニはどうしたの?」

「ああ、あの変な銀色のカニなら海に逃げたぞ」とキースがそれに答える。

「違うわよ! ニジイロタカアシガニよ」

「それなら、十分に釣り上げましたよ」と王女が笑う。

「そうなの! よーし、じゃあ早速料理ね。ピート、あなた、すぐに取りかかって!」

「いえいえ、セフィール様、私は甲殻類アレルギーなのでご勘弁を」

 ピートは手を前で振りながら、あと退りした。


「料理はうちの兵士がやってますから、心配ありませんよ」と王女の助け船。

「王女様、じゃあ、今日の晩ご飯はニジイロタカアシガニのフルコースね」

「そうですね。セフィール、楽しみにしておいてね」

 セフィールは大興奮で部屋を飛び出ていった。おそらく厨房に向かったのだろう。


「迫撃砲のような勢いで飛んでいきましたわ。お姉様にはカニさえあれば薬は要りませんわ」

 大きな音で閉まるドアを見ながら、ルフィールがぼやく。

「はは、まったくそうだな。まあ、カニのほうがかなり高くつくけどな……」

 苦笑いのキースは頬を指で掻いた。


 ◇◆◇


 飛び込んできたセフィールに、調理していた兵士たちが驚いて注目した。


「さあ、私にかまわず、どんどん料理して!」

 そう叫ぶと、調理している兵士の横や後ろからのぞき込み、狭い厨房の中をうろうろした。


 兵士たちはどうにも落ち着かず、彼女を気にして横目でにらむが、調理台にいる兵士だけは脇目もくれず物凄い速さでカニを次から次へと捌いている。

 セフィールがその兵士に気付き、近づく。

 痩せた白いコック帽のその兵士は、彼女がすぐそばまで来ても、手を止めることがない。その足下はカニの殻で山がいくつもできていた。


「あなた、凄いじゃない。もうこんなに捌いたの?」

 そう声を掛けるが、その兵士は動きを止めず、せっせとカニを捌き続ける。

 返事がないので、セフィールはその横で彼の華麗な包丁捌きに見入った。

 その腕は機械のような緻密な動きで包丁を滑らせ、バケツに入ったカニをまたたく間に片づけていく。

 しばらくすると、他の兵士は食堂の準備に行ったのか、カニを捌く彼と二人だけになった。

「ねえ、もういいんじゃない? これだけあれば」

 調理台の上はカニの肉で溢れ、こぼれ落ち始めた。


「もったいないから、もういいよ」

 セフィールが彼の包丁を握る手をつかんだ。すると、彼の小さなつぶやき声が聞こえてきた。


「肉を削ぎ落とす。肉を削ぎ落とす。肉を削ぎ落とす。肉を削ぎ落とす」


 何度も何度も同じことをつぶやいている。

 セフィールはその表情を見ようとしたが、長い前髪でその目は隠れて見えなかった。

 兵士はただひたすら細く開いた口から、念仏のように同じ言葉を繰り出している。

 捌かれるカニの肉が調理台から次々と落ちていく。


「もういい! もういい! やめて、あなた!」

 我慢できなくなったセフィールが怒鳴った。

 すると、男はカニを捌く手を止め、彼女のほうに振り返った。


「肉を削ぎ落とす。肉を削ぎ落とす……。次はセフィール様の肉を削ぎ落とす!」

 男はコック帽をゆっくりと脱ぎ、手にした包丁を構えると、正面からセフィールを見据えた。

 そして、その長く垂れた前髪を包丁で払った。


「お前は……、ノーマン……!」

「お久しぶりです、王女殿下。こんな狭い所でお会いでき、このノーマン、恐悦至極にございます」

 痩せこけた顔に冷酷な笑みを浮かべるその男──。

 彼こそ軍需大臣ギルモア卿の差し向けた暗殺者の一人、ノーマン・ジョン・ドゥであった。

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