島へと導くもの

 晴れ渡る空の下、どこまでも続く海原をセフィールは目を凝らし見張っていた。

 ジョアンヌ王女の魔力には度肝を抜かれたが、そんなことも忘れ、一心不乱に大好物のニジイロタカアシガニの姿を探している。


「セフィールさん、そんなに手すりから乗り出すと危ないですって!」

 今にも落ちそうなくらいの体勢で、海をのぞき込むセフィールの腰を若い水兵が引っ張る。

「大丈夫だって! それより、あなたもニジイロタカアシガニを探してよ!」

「ニジイロタカアシガニですか? 私も大好物ですが、高くて滅多に食べられません」

「でしょー。そのカニが南大深度海にはうようよいるらしいのよ。この機会を逃す手はないでしょ」

「そうなんですか?」

「あんた、水兵のクセにそんなことも知らないの?」

「いえ、私はちょっと前まで騎兵隊にいましたから、海のことはあまり詳しくないんですよ」

「なんでもいいから、あなたもカニを探すの手伝いなさい! うまくいけば、晩ご飯はニジイロタカアシガニのフルコースよ!」

「はっ! セフィールさん、了解したであります!」

 若い水兵は双眼鏡を取り出し、張り切って海面を眺め始めた。


 海はどこまでも静かに凪いでおり、陸地が近くにないせいか、鳥の姿も見えない。

 ただキラキラとまぶしくさざめくだけの波間を見ていたら、セフィールはだんだん眠くなってきた。

 その時、双眼鏡を構えた水兵が一際大きな声をあげた。


「セフィールさん! 海が赤く光っているであります!」

 その声に眠気も吹き飛んだセフィールが、顔を上げる。

「えっ! どこどこ?」

「あそこ、あそこです!」

 水兵が正面を真っ直ぐ指さす。

 セフィールは目を細め、その辺りに目を凝らした。

 一瞬、キラリと赤い光が見えたような気がした。

 その光が漂いながら、少しずつ大きくなっている。

 最初は赤い光だけだったが、徐々に青や黄色など色とりどりの光が海面を覆い始める。

 その鮮やかな光の塊が太い線となり、高速艇に近づいてくる。


「えっ! あれ全部カニなの!」

 セフィールの腕に鳥肌が立った。

 乗組員全員で食べたとしても、とても追いつかないくらいの数だ。

 高速艇に冷凍室があるかどうか心配になってきた。


「どんどん、こっちに近づいてきます!」

 水兵が興奮気味に状況を報告する。


「うわあ! 網……、網はどこなの?」

「セフィールさん、高速艇にそんな物はないであります!」

「ないであるって、どっちよ!」

「ありませんっ!」


 セフィールの顔が興奮で真っ赤になった。

 今にも鼻血が出そうなくらいに、小さな心臓がバクバクと高鳴る。

 彼女はキースを呼ぶため、転がるようにして甲板を駆けていった。


 ◇◆◇


 大慌てで狭い階段を降りる。

 薄暗い通路を甲高い音を立て、駆け抜ける。

 セフィールは必死だった。

 こんなにうれしい興奮は国を追われてから初めてかもしれない。


「キース! キース!」

 声だけでも体より先に届くようにと、一心に叫ぶ。

 すれ違う兵士が目を剥き慌てて飛び退くが、セフィールは一切かまわない。

 肩から体当たりするようにドアを押し開け、彼女の船室に入った。


 仄かな白熱灯に照らされる部屋にキースらしき姿が浮かんだ。

 そのキースがゆっくりと振り返る。

 彼の前には、褐色の肌を顕わにした女がうつ伏せで横たわっている。


「よお……、セフィール……じゃねえか。お前……どうしたんだ?」

 妙におどおどしたキースの、引きつった声がセフィールに届く。

「あんた、なにしてんのよ?」

「いや、俺……? 俺はちょっと王女様と大事な話があってだな……」


「セフィール。私、キースさんにちょっとマッサージをしていただいてたの」

 ジョアンヌ王女が体を起こした。

 その上半身は服を着ておらず、形のよい豊かな胸を隠す物がない。


「キース、あんた今、話って言ったじゃない。嘘でしょ、それ?」

「嘘なもんか、マッサージをしながら大事な話をしてたんだ。ねえ、王女殿下?」

「いえ、キースさんがなにも話さないから、私、眠ってしまいそうでした」

「あああ……、そこは王女殿下……、空気を読んで話を合わせてくれないと!」

「…………!!!!!」


 セフィールはカニのこともすっかり忘れ、飽きるまでキースをぶん殴った。

 それから引き摺るようにして、キースを甲板まで連れてきた。

 外に出ると、海の異変に気付いたのか、艦橋にいた兵士たちが甲板に押し寄せていた。

 その中にルフィールとピートの二人もいた。


 大勢の兵士が手すりに並び、各々が水面を見下ろしている。

 先ほど一緒にいた若い水兵が、セフィールの姿を見つけ、駆け寄る。

「セフィールさん、船がカニに囲まれてしまいました!」


 その言葉にセフィールが手すりに飛びつく。

 見ると、確かに船のまわりはカニだらけだった。

 虹色に輝くカニが水面を埋め尽くし、虹色の岩の上に船が乗り上げたように見える。

 カニたちはハサミを何度も振り上げ、おいでおいでをしているみたいだ。


「なんだ、これは? こんなの初めてだぞ、おい」

 その声にセフィールが隣を見ると、悪人顔のラトリッジ艦長だった。

 彼は眉をひそめ、険しい顔で波に揺れるカニたちを凝視している。

「おっちゃん、そんな恐い顔しないでさ、早くカニを捕ろうよ!」

「しかし、気味が悪いぞ。こんなにいちゃ。なにか悪い予感がしないか?」

 ラトリッジが毛深い指でぐるりと海面を差す。

 兵士たちは神妙な面持ちの者と、はしゃぐ者で半々くらいだ。


「艦長、心配いりません」

 毅然とした女性の声にセフィールが振り向くと、ジョアンヌがいた。

 今度はちゃんと服を身につけている。

 王女はラトリッジの横に並び、海面を見下ろしてから、船首へ顔を向けた。

 そして、口許を緩め、大きくうなずいた。


「セフィール。あなたが古地図で読んだとおりです!」

「えっ、なんだったっけ?」

「その者が大海を渡る時、漆黒の海は島への道を指し示すであろう」

「じゃあ、このカニは!」

「そう。この虹色に輝くカニこそ、大海を渡る者、すなわち王女である私を島へと導く道標なのです」

 ジョアンヌはそう語ると、満足そうに微笑んだ。

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