南大深度海の中心へと向かう船

 南大深度海の西から、その中心を目指す巨艦──、

 新生マキナリア共和国海軍旗艦、タイクンロード。

 暴風雨により視界をさえぎられ、自動航儀ジャイロのみを頼りに、荒れ狂う海の中を突き進んでいた。


 艦橋で働く乗組員たちは激しく揺れる船の中、不安と疲労が募る面持ちで、なにも見えぬ窓の外に目を凝らしている。


 カイゼルひげの海軍将校が、本来自分の座るべき艦長席に居座るシーナ・エッツ軍需次官に、および腰でたずねる。


「次官殿、本当にこの方角で間違いないのでしょうかね?」


 シーナは冷たい眼差しを将校に向け、手にした杖で床を叩く。

「君は私が見込んで投資した会社の自動航儀ジャイロが信頼できぬと言うのかね?」

「いえいえ、そういうわけではございませんが、機械という物は思わぬ故障がつき物で……。それに航海となると、少しの角度であらぬ方角に進んでしまいます。ましてや、この悪天候の中、それが確認できないとなると、いささか不安な心持ちにもなろうかと……」


 将校は慌てて手のひらを前にして弁明するが、シーナはそれを鼻で笑った。

「この小心者が。新生マキナリアが威信をかけて建造した巨艦タイクンロードに乗船しておるのだ。文字どおり、大船にのった気持ちでおればよいのだ」


 シーナが将校を一喝してやろうと、杖を振り上げた時、艦橋の前方の乗組員たちがざわめいた。

 それに気を取られたシーナは杖を振り上げたまま、その姿勢で固まった。

 将校が何事かと振り返ると、そこには目を疑う光景があった。


 艦橋の大きな窓の外に見えるのは、どこまでも広がる青空。

 空を埋め尽くしていた暗い雲は、どこにも姿が見えない。

 天上に輝く太陽から、艦内に降り注ぐ光。

 乗組員たちの顔つきも一変し、明るい表情となった。


 シーナは杖を捨て、艦長席から立ち上がり、ふらつく足取りで、前方の窓へと進んだ。

 それを介添えするように将校も続く。


 ようやく窓に辿り着いたシーナは、窓に両手をあてがい、眼前に広がる青い空を仰いだ。

 口から漏れ出る笑いをこらえることができず、震える声でつぶやく。

「天啓だ──。これは天啓だ──」


 将校は監視をしていた水兵に事情を訊いているようで、その水兵は身振り手振りでそれに答えている。

 将校はそれをシーナに伝える。

「見張員の話では、一瞬で雲が消え去ったようですが、そんなことがあるものでしょうか?」


 シーナが将校を振り返ると、その顔には狂気じみた笑みが貼りついていた。

「なにを言っておるのか、君は……。これは新生マキナリアを祝福する神の啓示なのだよ。やはり、我々には神のご加護があるのだ」


 さほど信心深くない将校はシーナの言葉に同意しかねたが、この奇跡のような現象に立ち会えば、そう考えるのも無理もないように思えた。

 長い年月、海軍軍人として海の上で暮らしてきたが、こんな出来事は初めてだった。

 船は波でまだ大きく揺れてはいるが、滝のように降っていた雨はやみ、風も凪いだ。

 漆黒の闇のようだった海は、今や陽の光を反射し、キラキラとさざめいている。


 将校は急激な天候変化の理由について考えてみたが、自分の知識ではなに一つ説明できないことにすぐに思い当たる。


 こういった自然現象こそ、神の力というべきものなのだろう──。


 そう思い、光溢れる空を見上げる。

 いまだ呆けたように窓に貼りついているシーナを横目で一瞥してから、体を反転し、大声をあげた。

「タイクンロードは、これより最大戦速で南大深度海の中心を目指す! 総員準備!」


 ◇◆◇


 高速艇トライトンは南大深度海の北から、その中心に向け南下していた。

 ジョアンヌ王女の魔力により、進路の先の天候も回復し、なにもトライトンの行く手を阻む物がない。


 いよいよ、未知の海で思う存分、突っ走れるぞ!


 ラトリッジ艦長は胸の高鳴りを隠しきれず、艦長席から満面の笑みで指示を出す。


「本艦はこれより最大戦速で南大深度海の中心を目指す! 総員かかれ!」

 ラトリッジが前方を指さすと、横でまたルフィールがそれを真似した。


「お前さんは……、ルフィールだっけ? これからひどく揺れるから、船室に戻ったほうがいいぞ」

 ラトリッジが声を掛けるが、ルフィールは艦長席の横から動こうとしない。


「危ないから、船室に戻ってくれよ。お嬢ちゃん」

「そうですよ。ルフィール様。艦長の言うとおりです。さあ、部屋に戻りましょう」

 ピートがルフィールの肩をさすって催促するが、彼女はそんな彼に冷たく言い放つ。


「こんなにワクワクするのに、ここを離れられるものですか」

 その言葉を聞いたラトリッジは、この少女は自分と同類だと直感した。

 初対面の時から印象がよかったのも、そのせいに違いないと理解した。


 ラトリッジは艦長席を降り、少女に空いた席を両手で恭しく指し示す。

「お嬢ちゃん、俺の席を使いな」

「いえいえ、ルフィール様は部屋に戻りますので、お構いなく」

 ピートがそれをさえぎり、体を割り込ませる。


 ラトリッジは、初対面の時から印象が悪かった、この優男やさおとこを思ったとおりの腰抜け野郎だと再認識した。


 この優男やさおとこが! お前は独りで部屋に戻ってやがれ!


 つかみかかろうかとした時、ルフィールがピートの横をすり抜け、ささっと艦長席に座った。


 そして、ピートを見上げ、こう言った。


「ピート、あなた男でしょ。船が速度を上げるくらいでギャアギャア言ってないで、金○引き締めていきなさい。いいこと!」


 ◇◆◇


 甲板での裸踊りをセフィールにとがめられ、船室で独り謹慎中だったキース。

 やることもないので、ベッドに横になっていると、ドアがノックされた。

 セフィールかなと思い、出てみたところ、そこにいたのはジョアンヌ王女だった。


「キースさん、入ってもいいかしら」

 キースが答える先から、すっと部屋に入ってくる。


 ジョアンヌは薄暗い部屋を体をゆっくり回しながら、眺めて、

「どの部屋もそんなに変わりませんね。船を造る時に、もっと上等な部屋も造っておくべきでしたわ」

「王女殿下、ここにいてもなにもありませんから、ご自分の部屋に戻られては……?」


 キースが王女を見ると、薄明かりに照らされる彼女の服は濡れていた。

 南国育ちのせいか、着ている服は薄くて、露出度が高く、褐色のふくよかな胸もこぼれんばかりだ。

 その胸の窪みにたまった水滴を尻目に、キースが無精ひげの顎を掻く。


「……王女殿下、外はまだ雨なんでしょうかね?」

「いいえ、私が魔力で雨雲を一掃しましたから、快晴ですよ」


「えっ! 魔力って、あの王宮で見せてもらったあれですか?」

「そうです。やっぱり、あの古地図に書いてあったとおりでした。王家の魔力が【はじまりの島】へ私たちを導いてくれるのです」


 天候が激変する場にいなかったキースには、王女の話がピンと来なかった。

 外の天気は、全裸で腰を振ってた雨のことしか頭に浮かばない。


「魔力を使ったので、私、とても疲れました。ちょっと横になりますね」

 ジョアンヌはそう言うと、サンダルを脱ぎ、キースが寝ていたベッドに横たわった。


「じゃあ、俺はセフィールを探しにでも行ってきますので、王女殿下、ごゆっくり」とキースが出ようとすると、王女にズボンをつかまれた。


「セフィールさんなら、甲板でニジイロタカアシガニを見張ってます。兵士を一人つけましたので心配ご無用です」

「そうは言っても、あいつカナヅチなんですよ。海にでも落ちたら大変だ」

「海も穏やかですから心配ありませんよ。ねえ、キースさん、そこのタオルで私の体を拭いてくれません?」

 寝たまま、椅子の背もたれにあるタオルを指さす王女。


「キースさん、拭いてくれません? 濡れたままだと風邪でも引いたら大変です」


 ベッドから妖艶な目つきでキースを見上げる褐色の肌の王女。


 この王女様、もうすぐ結婚するんだよなあ……?


 王女の意図が読めず、どうしたものかと立ち尽くすキースだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る