王家の魔力

 高速艇トライトンでのそのあとの騒動は推して知るべし。

 男だらけの世界に女が入れば、トラブルの一つも起こるのが世の道理。

 ジョアンヌにしてみれば、甲板で素っ裸で涼むのに、数名の乗組員がいることくらいは想定範囲内だったのだろうが、そこが丸裸の野郎どもが数十名だ。


 その日の午後、トライトンは喪に服したようにひっそりと静まりかえっていた。


 艦橋の艦長席に憮然とした表情で座っているのは、ジョアンヌ王女。

 その前には冷たい床の上、ラトリッジ艦長が大きな体を折りたたむように正座している。

 そのラトリッジがもぞもぞと動く。


「あのう、もうそろそろ立ってもよいでしょうか? 王女殿下」


 ジョアンヌは下等な生き物でも見るかのように冷ややかな目で答える。

「ラトリッジ艦長、反省はしていますか?」

「はい」


「高邁なサザンテラル軍人に、あんな下品な行いは二度とさせませんか?」

「はい」


「今度やったら艦長降格ですよ」

「はい」


「本当に驚きました。私は結婚前の身なのですよ」

 自分のことは完全に棚に置いてるのは、人の上に立つ王族だからだろうか?

 ラトリッジは言われるがままだ。


「ジョアンヌ王女、もう許してあげようよ。おっちゃん、足が痺れてるみたいだし」

とセフィールが助け船を出すが、

 ジョアンヌは目をくるりと動かし、「どうしようかしら」とつぶやく。


 そこへ見張員から伝令が入った。

「南大深度海の海域に入ります」


 その声にジョアンヌが立ち上がる。

 まだ許されてないラトリッジもよろけながら立ち上がる。

 セフィールが窓に駆け寄ると同時に叫ぶ。


「なに、あれ!?」


 遠くの海上に天から連なる黒い壁が見える。

 その壁の正体はおそらく豪雨だ。

 絶え間なく降り続く雨が、広大な海域を覆っているのだ。


 ラトリッジがセフィールの横に立ち、

「今日はかなり荒れてるな」と眉根を上げる。

 その横でジョアンヌが、「突入できそうですか?」と心配そうにたずねた。


「いや、あの中に突っ込めば船がどこにいるか、わからなくなってしまいます。王女殿下」


 乗組員たちも緊張した表情で行く手を阻む巨大な黒い壁を見ている。

 しばらくして、トライトンが荒波で揺れ始めたころ、ラトリッジは船を停めた。


「残念ですが、今日は無理です。王女殿下」

 神妙な面持ちで、申しわけなさそうに頭を垂れる。


「いえ、私には残された時間があまりないのです。それに明日になれば状況がよくなるという海でもないでしょう」

「南大深度海という海は確かにそういう所ですが、今日のあの有り様は特にひどい状況です」

 それを聞き、ジョアンヌは一度苦々しく唇を噛みしめてから、思い直したように口の端を上げた。


「大丈夫です。私はこの星の創造者より連なる王位継承者です。聖なる力が南大深度海の中心にある【はじまりの島】に導いてくれます」

 ジョアンヌは大真面目にこう語るが、ラトリッジは驚いた声で、

「王女殿下、何のことですか? それは?」


「一般大衆には知らされていないことですが、この世界の正統三十三王家には代々伝わる魔力があるのです。まあ、論より証拠です。よいですか……」


 ジョアンヌが両手を差し伸べる。

 ラトリッジを始め、艦橋にいる乗組員全ての注目が王女に集まる。

 セフィールも固唾を呑み、それを見守る。


 やがて、小さい、仄かな紅い光が、王女の二つの手のひらの間に生まれる。

 無風のはずの艦橋に風が吹き始める。


「な、なんだ、これは!」

 いきなり艦長帽を飛ばされたラトリッジや、他の乗組員が驚き、周囲を見回す。

 全員の服がたなびき、髪が風に流される。

 以前、セフィールたちが王宮で経験したのより、激しい風である。

 セフィールは、スカートが舞い上がらないように服を押さえた。


 つむじ風のように艦橋の中を風が舞う。

 座り込む者が出始めたころ、ジョアンヌは手を降ろした。

 と同時に、風も消えた。


 王女は窓の外に広がる暗い海をじっと見つめてから、ぼそりとつぶやいた。

「ダメだわ。どうしてかしら?」

 それからなにか思いついたように目を見開くと、走り出した。


「王女様、どこへ行くの?」

 セフィールがそれを追いながらたずねる。


「外へ行くの。やっぱり船の中からじゃダメみたい」

「王女殿下、波も強くなってますので危険です!」

 ラトリッジも彼女を追った。


 セフィールが艦橋から出ると、船が大きく揺れた。

 倒れかけた彼女をラトリッジが受け止めた。

「おっちゃん、ありがとう」

「危ないから、お前は船に入ってろ!」

「だって、王女様が心配だもん!」

「じゃあ、俺にしっかりつかまってろ!」


 前を見ると、ジョアンヌが甲板の中央で、よろけながら手を差し出していた。

 だが、右へ左へと傾く船に、および腰になり、集中できない様子だった。


「やっぱり無理だ。お前はここで待ってろ。王女殿下を連れ戻す!」

 そう言い、ラトリッジがセフィールから離れようとした時──、


──デバイス・ロケーション確認、ターミナル・リンケージOK、フェーズワンを起動──


 抑揚のない無機質な声がセフィールの耳に届いた。


「えっ? おっちゃん、なにか言った?」

「なにも言ってないぞ。どうした?」とラトリッジが振り返る。

「いや、なにか声が聞こえたんだけど」

「空耳だろう。いいから、そこでじっとしてろ」

 ラトリッジがよろけながら、ジョアンヌの所へと向かう。

 王女は相変わらず、なんとか魔力を発動させようと、波の静まるタイミングを待っているようだ。


 ラトリッジが王女の所へようやく行き着くと、にわかに荒れていた波が収まった。

 王女は笑みを浮かべ、「今だわ」と体制を整え、両手を差し伸べる。

 ラトリッジは海上を見渡し、次に来る波を確認した。

 だが、不思議なことに先ほどとは打って変わって、海は凪いだように穏やかだった。


「こ、これは……?」

 突然の海の変化にラトリッジが戸惑う。

 これほど急激に波が収まることなど、経験したことがなかった。

 逆になにか悪いことが始まるのではないかと疑心暗鬼に陥った。


 そんなラトリッジの心配も知らず、王女は一心不乱に魔力を発動させようと奮闘している。

 すでに紅い光が生まれ、風も吹き始めた。


 王女は目を閉じ、瞑想を続ける。

 紅い光が王女を包み、その光を中心に竜巻のように風が舞い上がった。


 細い風の筋が勢いよく天に昇り、重苦しい曇天を突き破る。

 と──、

 そこを中心に灰色の雲が渦を巻きながら、霧が晴れるように消え去っていく。


 セフィールとラトリッジは空を見上げ、その壮大な光景にただただ驚くばかりだった。

 既に空は青く晴れ上がり、そこには燦々と輝く太陽まで姿を現している。


「これが王家の魔力か……」

 ラトリッジがうめくようにつぶやき、息を飲む。

 セフィールは天候をもくつがえす大いなる力に圧倒されたのか、ポカンと口を開けたままだ。

 呆然と立ち尽くしている二人の後ろで声がした。


「あら、お姉様。こんな所にいましたの?」

 振り向くと、ルフィールとピートがいた。


 ルフィールは晴れ渡った空を仰ぎ、気持ちよさそうにに目を細め、

「船の外は素敵なお天気でしたのね」と両手を空へと大きく伸ばした。

 牧師風コスチュームの、頬にあざのあるピートが隣で何度もそれにうなずく。


 ジョアンヌが歩み寄り、この空のように澄んだ笑顔で告げる。


「みなさん。さあ、【はじまりの島】に向かいましょう!」

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