アンコールに代えて

 鳴りやまない拍手の中、私が一八〇度近いお辞儀をする。

 顔を上げて下がると、アンコールの声が会場から聴こえる。

 あれ、やばいなぁ。この展開は考えてなかった!

 そっと舞台袖に視線を向けると、出ていくか決まりかねている逆風くんがいた。

 そのとき、一番前の席にいた逆風くんのお父さんらしき人が、素早くステージにのぼった。

 はい?

 唖然とする私と、舞台袖で頭を抱える逆風くん。


「いやー大変失礼。学生さんの舞台ででしゃばらないつもりだけど、素晴らしい演奏に感化されまして……。申し遅れました。私、ヨーロッパで超一流の指揮者をしております、軽音部部長の父、逆風 つむぐです」

 ざわつく会場。

 私もどうしたらいいかわからず、後ろにさがってメンバーたちを見る。

「せっかくの演奏勝負に水を差すのはどうかと思い、超一流の生演奏をアンコールに代えて聴かせたいのですが? いいかなぁ、我が息子」

 意地悪っぽくいうお父さんに、逆風くんはステージから出てきて、「好きにしろ」とぶっきらぼうに返した。

「息子の許可が出たのでお時間いただきます。では、疾風はやてくんも参加しましょうか」

 お父さんは連れの男性――きっとお兄さんだ――を見下ろした。その人は肩をすくめて、

「相変わらずですね、この人は」

「そういうけど、ヴァイオリンもっているんでしょう?」

「父さんの性格を考えれば大体わかりますよ」

「さすがだねぇ」

 お兄さんはヴァイオリンケースをステージに置いて華麗に上がった。お父さんはその横を通り過ぎて、空気を読んで立ち上がっている結晶くんの横に座った。

「エクセレンツ! 君のピアノ、素晴らしかったですよ」

 お父さんは結晶くんと握手をしてウィンクする。

「え、あ……」

「よろしければ近くで見ていきなさい。あなたのためになりますよ」

 言われるまま頷く結晶くん。

 そのとき、舞台脇にいた司会者の元へ、イベント担当の音楽の先生が猛ダッシュで駆け寄った。


「あの、保護者の人が勝手に演奏しようと――」

「いますぐ放送を全校に切り替えて! ビデオ・スマホの録画準備も!!!」

 必死の形相の音楽の先生に、生徒が急いで走る。

「最果先生、これ大丈夫なんですかね?」

 いまだドラムの椅子に座っている先生に訊くと、

「世界で三本指に入る音楽家。通称HEADWINDの生演奏が聴けるからな。最高というか極悪というか……。コンサート開くなら冗談抜きで1千万かかる。英断だろう」

 ノンノンノン。ピアノの席で指を鳴らすお父さん。

「三本指ではありません。世界一位ですよ」

「覇道を敷いてよくいう……」

肩を落とす最果先生。そろっと私の横にきた逆風くんも、嫌そうな顔をした。

「クソ魔王」

 舞台下にいた音楽の先生は、祈るみたいに両手を重ねて目に涙を浮かべている。

「逆風くんが学校に入学したとき、もしかしたらと思ったけど――紡様と疾風様のアンサンブルなんて! すごい。夢より、すごい!! いつ死んでもいいわ!!!!」


 たらたらたらと、逆風くんのお父さんが指をなじませるようにピアノを連打する。

 お兄さんもヴァイオリンをだして軽く弾いて弦を回す。

 息をするみたいに調律している! ひどいときの私は、二〇分くらいかかるのに!

「――準備は?」

 お父さんがいきなり絶対零度みたいな声で確認する。

「いつでも」

 お兄さんは陽光が差したような明るい声だ。

「ではいきましょうか……」

 さっきとは打って変わった、こじゃれた声。

 間もなく、荘厳なピアノの音が響いた。

 その音を聞いた瞬間、私の胴体に黒い風穴があいた。

旋律が奏でられるたびに、その穴は大きく広がり――なのに吹く風は穏やかなそのもの。鍵盤の数が大きくなるにつれて、風穴は広がり、星空みたいなきらきらとした点々が浮かび、その輝きが増すと紅蓮の花弁が見えた。


 ――私はいったい、何を聴き、何を見ているのだろうか。

 音と映像がリンクする。音という風と空気が、私の肌を撫で、体内に入り、呼吸を作り、世界を塗り替える。

 ヴァイオリンが入る。

 その瞬間、視界がぱちぱちと弾けた。

 弦楽器の、華麗かつ優雅かつ繊細で激しい音色が私の脳を直撃する。

 やばい。天才が。二人いる。

 逆風くんみたいな、可能性に満ちたものじゃない――熟成され、完成され、完膚なきまでに創り上げた、至高の芸術といえるものだ。

 逆風くんと目が合う。悔しそうな顔をしているが、どこか満足気だ。それがまた、悔しいんだ。

 気持ちがわかる。私だって同じ――いや、私はまだそのステージにすら立っていない。張り合うとか、追い抜くとか、そういう次元ではない。

 長い長い道を、上り潜り歩み走り……その積み上げた結果が、あの二人の領域なんだ。


 脇で見ていたみちるちゃんが震えている。お父さんのすぐ後ろで結晶くんが泣いている。先生は切なさそうに笑っている。

 あぁ、そうだ。ここにいるみんなが音楽に呼ばれているんだ。

 その最高峰にいる人間が、跡に続くものを誘っている。

 魅せろ。示せ。すべてを、ぶつけ給え。

 ――魔王。

 逆風くんが称したその意味がわかる。

 音楽に囚われ、その魅力に心酔し、底の底の底まで浸かっている。

 好きを越え、幾層も巻き付けた執着が、天才をたらしめる。

 喜びも憎しみも悲しみも嫉みも性も愛も――ただ、音の一点のみ集約している。

 そんなピアノの旋律を、踊りながらかわし、ときに刺すように、ヴァイオリンの音色が刻まれる。

 お父さんが魔王なら、この人は騎士。

 感情のすべてを、弦と交差する一筋の弓に託して、ときに並び、ときに飛び越しながら美しい音色を奏でている。

「――さすが。正統派」

 おもわず最果て先生をみる。真顔で涙目になりながら、先生はいう。

「あの父を持ちながら、堂々とクラシックのよさ実直にぶつけている。彼こそ、真の意味で、世界一のヴァイオリニスト。己の道を捨て、その御心を作曲家の理念に捧げる」

「だからこそ、俺は父にも兄にもなりたくなかった……」

 それは、あの天才たちを背中で追っていた逆風くんの吐露だとおもう。

 こんなものをつねに見せられては、おかしくもなるだろう。

 立ち向かうのも、逃げるのも嫌になる。

 だから、Outside Judgment【判定の外】がいいんだ。誰にも捕らわれずに進む道が。


 それにしても。あぁ……。

 ――死んでもいい。

 音楽の先生の言葉が身に染みる。

 ほんとうに。この瞬間を得るために、私は生きてきた。そう錯覚するほど、喜びに満ちている。

 ――でも。心のうちにいる私が反発する。

 まだ何も私は成していない。満たされるだけでは意味がない。私が成るのだ。彼ら見たいに。覇道だろうと王道だろうと。判定の外だろうと。私は私が誰かのために成しえる存在になるのだ。


 駆け上がるテンポ。そして、ゆっくりになって、世界は収束を迎える。

 無音。

 数秒の、無音。


誰かの大きな柏手鳴った。それを皮切りに、みなの心が一つになったように掌の大喝采が鳴り響く。

 お兄さんは涼しい顔でウィンク。

 お父さんは肩に手を当てて深々とお辞儀をする。

 そして、腰を上げると、また、いじわるそうな笑みで、

「アンコールの代わりと思いましたが、これほどの盛況ぶり。よろしければ、もう一曲を弾いてもよろしいかな?」

 フォルテッシモのはずの拍手が、さらに輪をかけて上がる。

 もう一曲聴けるの! 私は私心を忘れて感動した。

 完敗だ。これほど幸せなことなどあるものか!

 割れんばかりの拍手を、イエスと受け取ったのか、またまた意地悪そうに笑って席に戻る。ピアノのそばで泣いていた結晶くんを、お父さんは無言で彼の頭をぽんと叩いた。


 ほどなく演奏が始まる。

 体育館の入り口のドアが開く。埋まっている座席に人が押し寄せ、脇から次々と立ち見の人が増えていく。

 ――彼らがステージにあがった17分53秒。その数刻は、二〇年もの間、学園の伝説となった。

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