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 割れば間ばかりの拍手が会場に巻き起こった。

 噂を聞きつけた生徒や来場者が、解放された入り口から次々とやってくる。

 先生が脱力したようにスティックを置いて、常備したペットボトルの水を飲んだ。

 ――完敗だ。今の時点では。

 なのに、瞳の奥が熱くて心臓が高鳴っている。

 袖脇にいる結晶くんは冷や汗をかいていて、喉をごくんと鳴らしている。

私はその背中を思い切り叩いた。

「痛っ!」

「何を驚いてるの。絶好のチャンスじゃん。逆風くんたちがいっぱいお客さんを呼んでくれたよ」

「マジ!?」

結晶くんがのけ反って、前のめりになって、眼鏡を落とした。驚きすぎ!

「大丈夫だよ。結晶くんのピアノはみんなを引き込める。毎日練習している私が歌いだしを忘れるくらいだもん!」

「本番でそれやったら困るけど……」

「あはは。きょうだけは間違えないようにする! ほら、行こう! 最高のステージが待ってるよ」

 私が手を伸ばすと、結晶くんは跪いた。

「そうでしたね歌姫。精一杯、支えてまいります」

「その意義やよし!」

 私は結晶くんの手を取って引っ張ると、その勢いのままステージへ歩く。


 中央では逆風くんがマイクスタンドの前で喋っている。

「ありがとうございます。続きまして、メンバーJudgmentの曲になります。正直、僕たちは彼らの演奏曲を知りません。せいぜい観客を飽きさせないよう頑張ってください」

 私は逆風くんのマイクを強引に奪い取り、

「みんなー盛り上がってるかーーー!!!」

 私が煽ると、観客がワーーと叫び声をあげた。逆風くんは、逆に呆気に取られて、いそいそと帰っていく。お父さんたちもそんな私たちに笑っていた。

「正直、そこの先生以外、リーダーが何を歌うか知らなかったけど、さっき聴いておもった。めっちゃ感動した!!」

 同意するように観客席が湧く。

「でも、本番はここからだぞ。心して聞けよ、おまえらー」

 またも大歓声。

 私が成し遂げたわけじゃないのに、なんて心地いいことか。

 にしても。よくもまぁ、こんなでまかせをスラスラ言えたものだ。

 ステージ脇から「月、すご」みちるちゃんの声がもれる。 後ろを見れば、先生はバカみたいに口をあけている。


「結晶くん、準備はいい?」

 すると、おっとりするようなピアノの音色を響かせて、

「いつでも」と気さくな返事。

 さっきまで熱気一色だった場内が、結晶くんの魔法でしっとりする。

 私は静かなトーンで、

「私たちの一曲目は、九〇年代で活躍した邦楽バンドのバラード。温故知新って言葉があるけど、音楽バブルのときに活躍した曲は何回聴いてもいいと思うの。では演奏します――『消えない さよなら』」

 結晶くんのグランドピアノが、重層かつ繊細な音色を創り出した。しんとした空気の中、心の琴線に触れる音の妖精が、胸の内に沈む 〈切なさと悲しみ〉 を呼び覚ました。

 結晶くんのピアノは、歌なんていらないほどメインになる演奏だった。一音一音が意味をもち、その音に、楽しかった過去や、傷ついた夢がこもっている。


 ――夏休みを終えて、結晶くんは音楽にのめり込んだ。ううん、すべてを捧げたといっていいかもしれない。そのおかげで覚醒が起きた。

雑味のない音の中に宿した彼の感情は、ときに私や先生でさえその演奏を止めた。


 ゆったりと悲しみを帯びたイントロを終えて、私が最初のフレーズを紡ぐ。

 瞳を閉じると、結晶くんの旋律と私の声が折り重なる。

 直接見なくても、互いがどんな顔をしているのかわかる。

 私は声を。彼は鍵盤を。

 かすかな音の違いで、その表情を感じられる。

 ――私は彼の歌姫だ。でも。この瞬間は。彼の演奏を引き立てるために歌う。

 結晶くんはでしゃばらない。あくまで私を立てる。だから、私は喉を震わす。

 彼の創る音楽のために。

 一番のサビが終わると、私のギターがようやく鳴りだす。感情を盛り立てる熱いリフ。息を殺していた先生も、小さな音でリズムを刻み、切なさを助長するようにシンバルを反響させた。


 あっという間に、2番が終わり、最後のフレーズに差し掛かる。

 観衆の空気が、夜の水面みたいに硬直して静寂の終わりを待つ。

 私はすべての悲しみを声に込め、結晶くんは鍵盤を叩く指に魂を注ぐ。

 最後の一音が終わり、余韻を残すように先生のシンバルが空気に溶けた。

 数秒の静寂。


 いつのまにか汗をかいていた私は、しっとりした会場にピリオドを打つため、深々と頭を下げる。

 誰かが鳴らした掌の音。それはドミノ倒しのように次々と湧いて、窓を揺らすほどに響いた。点々とお客さんが目に涙を浮かべたり、手でぬぐったりしている。

「『消えない さよなら』でした。ありがとうー! 続きましては――」

 先生と結晶くんの準備する姿を確かめながらマイクに向かう。


「じつは先に演奏したOutsideには内緒で、新曲! 作ってきたんです!」

 観客たちはぽかんとする中、舞台裾では激しい物音がした。

 まさかこの大舞台で出してくると思わなかっただろう。彼らの予定では『Outside run』だったはずだ。あれを蹴って新曲に挑むのは暴挙に近い。

 だからこそ、逆風くんの力を借りずに全力でぶつけたいのだ。

 結晶君のおかげもあって、さっきの演奏はかなり手ごたえがあった。

 ここからが私の真骨頂。

「先生、結晶くん。準備はOK?」

 頷く二人に、私はぎゅわーんとギターを鳴らす。

「じゃあいくよ、本邦初公開『君色イントロ』」

 私がいうと、先生はスティックをカッカッカと三回叩いた。


 戦争の合図だ!

 結晶くんのアップテンポの旋律と、先生の軽快なリズムと、私の跳ねるようなギターが共鳴する。

 ポップスとジャズを混ぜ合わせたような甘辛ミクス。

 先生が編曲・アレンジを加えた渾身一曲。

 ラブソングなのにスタイリッシュで、細かな場所で複雑な演奏が試される。作った私が地獄をみて、何度も嗚咽と嘔吐を漏らした曲だ。

『うずくまる夜に 君の声が聞こえた』

『一人 震え 暗い 感情 溶けた 涙』

 一般的な曲は1番と2番が同じなのに、先生が手掛けた曲は、七色みたいにメロディが移り変わる。サビだけぎりぎりとどまっているけど、AメロもBメロも滅茶苦茶。それにくわえて、私のつたないギターも肝で、少しのミスも許されない。

 演奏しながら超高音を歌うの無理だろ!! ――て何万回とおもった。

 曲が始まると、私の脳内はマラソンのラストスパートみたいに、本能で体と喉を動かす。

 みんなの音と、私の発するギターと声が一体化する。

『君色イントロ いま歌いだすよ 大好きなメロディに乗せて』

『君色イントロ いま奏でるよ 大好きな君のために』

 歌詞を唱えるたびに、私はこのためにいるのだと実感する。


 逆風くん。

 いま、私の歌を聴いている? 私の声、届いている?

 まだまだ下手くそだけど。全然君に追いつけないけど。

 一生賭けて君に追いつくよ。君からもらったもの全部返すよ。


『抑え きれない この気持ち 好きに 染まる 毎日に 

頭 からは 離れない 全部 全部 君のせいだよ』

 サビのフレーズの終わると、疾走感ある演奏が流れる。


 この恋の結末はわからない――でも、この曲を愛したことだけは間違いない。

 結晶くんも、先生も、この曲を愛している。私に尽くしてくれる。

 ――だから、逆風くん。みちるちゃん。この演奏が終わったら今度は五人で弾こう。

 絶対の絶対の約束!


 最後のフレーズが終わり、先生が終わりを拒むように一人でドラムをガシャンガシャンと鳴らした。そして、最後の一音を、私と結晶くんと先生で鳴らす。

 爽快なナンバーに大盛況の拍手と指笛が贈られる。

「はぁ、はぁ……。Judgmentの『君色イントロ』でした!」

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