4

 一〇分、二〇分、一時間だろうか。もうどれくらい時間が過ぎたかわからない。

 玄関の戸が開く音がした。

 何度も目をこすって滲んだ視界のなかで向いた。

 一影だった。

「あー」一影がいつもと変わらない、間延びした呑気な声をあげた。「とーちゃんもかーちゃんもみんなー気にしてー。でもー根性ないからー」

 うまく返事ができなかった。

 一影は小さく咳をした。

「みっふぃー。【無茶苦茶】したでしょ」

 そのワードが、側頭部にガツンと来た。

 咄嗟に、ごめん、という謝罪がよぎった。

 でも、誰にその言葉を伝えるというのだ。

 私は一生取り返せないことをした。もう取り戻せないのだ。

「一影……。私……」

 一影は黙って首を振った。

「みっふぃーはこの田舎じゃだーれも解決できない。とにかくー部屋にもどってー。楽器片付けてー」

 一影はほんとに、ほんとに他人事みたいに告げて中に入っていく。

 ほんとにしょうもない弟だけど、いまだけはその愚鈍に助けられた。

 もしかしたら、こうなることを本能的にわかっていたのか。

 そんな邪推さえするほど、いまの私は弱くて脆かった。


 熱くてむしむしして、何も見えない暗闇の中にいる。

 あるのは君がくれたギターだけ。

 すがるように抱きしめたまま横になって泣きじゃくる。

 強くなったと思ったのに。もう泣かないと思ったのに。

 ――泣いている。一五年半の中で一番泣いている。

 泣いていれば何かが収まると思った。そう思ってずっとずっと泣いていて、でも変わらない。


 私が悪いの?

 そんなことない。

 私は、悪くない。

 真実を言っただけ。


 みんなが悪いの?

 そんなことない。

 私が、悪いだけ。


 なんで?

 真実を言ったから。


 真実を言って何が悪いの?

 真実だよ。嘘ついてないんだよ。何も悪いことないんだよ。

 でも傷つけた。

 悪いのは、真実だ。


 私は悪くない。真実が悪い。

 でもそれを言ったのは私だ。


 真実は、悪くない。

 真実を言った私が悪い。


 私は――悪くない。


 助けて。

 ごつごつしたギターをもっと強く抱きしめる。

 私にはこれしかない……。



 暗闇の中、腕を伸ばす。何も見えない。

 蛙と鈴の音の合唱が聴こえるだけ。

 腕が何かにあたる。

 硬い。堅い。固い。

 難い?

 手に取ると液晶画面が出る。暗証番号を押す。

 時間と、いらないアプリが表示される。

 私の指先は通話を追った。

 スマホを握ってギターを抱いたまま、耳元に手を当てる。

 トゥルルル。トゥルルル。

 これで出なかったら、私は死のう。

 もうそれしか償えない。

 トゥルルル。トゥルルル。

 プツン。

『おかけになった番号は―――』

 変なアナウンスが流れる。

 あはははは。やっぱり運がないな。死のう――


「!」

 スマホのバイブレーションが鳴る。

 驚いて飛び起きる。

【逆風大知】

 また涙が込み上げた。通話ボタンを押す。

「も、もしもし……」

 大丈夫か、私の声。震えてないか。

『大丈夫か? こんな時間に』

「え、え?」

 スマホを放す。夜中の3時。

 何をやっているんだ。私は。アホか。

「ご、ごめんね……」

 電話越しの逆風くんは無言だ。

 何か言ってくれることを期待したのに。

『明日、そっちに行くか?』

「い、いい! 来なくていい! 大丈夫!」

 あんだけ泣いているのに、なんで元気なのだ、私は。

『客観的に述べれば、こんな時間に前触れもなく電話がきたら勘繰る。とくに月下の場合はな』

「な、なんでもな……」

 嗚咽が混じる。嘘がばれる。

 いや、とっくにばれてる。


『何かあったら連絡しろ』そういったのは逆風くんなのだ。

 私は彼の優しさにしがみついた。

『……そこが嫌なら、明日こっちに戻れ。寮閉まってても俺んちに来い。部屋ならいくらでも空いてる』

「いいよ! 無理だから……。それに私が……悪い……もん」

 肯定するのが辛かった。

 でも、傷つけたのだ。大切な人を。大好きな人を。

『何があったのかは知らないけど、話せない、もしくは話したくないならそれでいい。ただ、通話は切るな。月下が寝てもつけっぱなしにするから』

 ……なんでそんなに優しいんだ君は。

「私……私……」

『無理するな。月下の事情を考えれば何か起こるのも無理はない。俺も……親と違う道をいって反対された……』

 また目が熱くなる。

 もうわかってしまった。

 私を理解してくれる人は、この人しかいないんだ。

 必死にしがみついていた、ごつごつしたギターが不意に柔らかくなった。

 暖かさが伝わってくる。

 全身を縛り付けていた茨がするするとほどけていくのがわかる。


「逆風くん……。私、大事な人を傷つけた……ひどいこと言った……」

『俺は山ほどしてる』

「……っぷ」

 つい噴き出した。だって、想像どおりなんだもん。みちるちゃんが最たる例だ。

「――謝ったほうがいいかな?」

『謝っても変わらないのが真実だろ。変わるのはいつも人間だ』

「じゃあ、私は……変わったほうがいいのかな」

『月下は変わるな。お前は何も悪くないだろ。悪いのは真実だ』

 私が悩んだことぽんっと言いやがって。何なんだこの人は。

『いや、正確には、他人には不都合な真実だな。月下は月下のままでいいんだ』

「じゃあ、この罪悪感はなに?」

『それは罪悪感じゃなくて、お前が人を傷つけたっていう情だ。優しいんだよ、月下は』

 また、胸の内が暖かくなる。

 じゃあ、この暖かくなる感情はなに?

 聞きたいけど、恥ずかしかった。

「ありがと……」

 通話の先で、何かすごい音がする。

「どうしたの?」

『なんでもない……』

 ちょっと声が裏返っている。可愛いなぁ。

「なんか元気でた……。弟に怒られた。みっふぃはーはこの田舎じゃ誰も解決できない。私の問題だから。なんとかしてみる」

『みっふぃーって誰だ』

「私のことだよ。美尋だから、みっふぃー」

 私はなんてあほな話をしているのか。

『じゃあ、みっふぃー。俺にできることあるか?』

 とくにない……。思ったけど、きょうだけは甘えていいかもしれない。

「朝まで、話してもいい?」

『明日の練習サボらなきゃな……』

「さいてー」

 なんてやつだ。人がこんなにも傷ついているのに。

 くくく……。

「ねぇみんなどんな感じかなー。何か聞いてる?」

『いや、べつに――』

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