転機

私の勝利は目に見えていて

 夕暮れの時間が日を追うごとに長くなった。

 そろそろ学校生活最大の地獄――期末試験が遠くに見えた。この学校ではテストの二週間前は全部活動停止となる。校舎内ではいつも以上に吹奏楽や弦楽部の演奏が激しく鳴り、グラウンドからは顧問教師の喝や怒声が窓を突き破って聞こえた。


 私の生活は相変わらず。普通に登校して普通に授業を受ける。ただし、普通じゃない人に巻き込まれているけど。

 変わったことは、不登校のみちるさんが学校に来ていること。また休み時間は三人で過ごすことになった。

 掃除が終わると逆風くんとの勝負の準備。

 これまでの結果は26戦26勝。当たり前だが負ける要素がない。

 彼の作戦の大半は、スタートから全力疾走。自分の限界を越えることを狙っているのだが、現実は奇跡など起きず、その場でぶっ倒れるのが常だ。それもわかっているのか、最近ではときどき私の横を走ったり、後ろを走っている。もちろん、運動部出身ではない逆風くんは最後まで追いつけない。

 この勝負はいったいいつまで続くのだろう。

 私の勝利は目に見えていて、天地がひっくり返らないと負けない。逆風くんはそれがわかっているんだろうか。わかっていてつき合ってくれるんだろうか。

 ここ最近、少し不安でいる。これまで私と逆風くんだけの関係だったのが、結晶くんやみちるさんなんかも来て、私を必要としなくなるんじゃないかって。


 逆風くんは得体の知れない何かを持っている。

 その何かは私がまったく持ち合わせていなくて、その力を使えば、才能溢れる人を引っ張っていきそうな気がした。

 だからだろうか。逆風くんが私を見限ってしまうのが怖いんだ。

 長距離を失った今、この箱庭で息継ぎができるのは逆風くんのおかげ。彼がいなければ私は孤立して、何のために学校に来たかわからなくなる。謎が多すぎる彼だけど、もしかしたら私の立場を理解しているんじゃないかって、ふと思う。 

――じゃあ、私が逆風くんのためにボーカルをする?

 なんかちがう。

 彼は同情で動かれたくないだろうし、本気で私を打ち負かしたいはずだ。そういう情熱は一緒に走っていると空気でわかる。相手の吐息やリズム、表情、張り詰めた緊張感が、相手の精神とつながるんだ。

 でも、人は、あるとき心が折れる。

 これは無理だ。どう足掻いても変わらない。そう悟ったとき、止めて、諦めて、いままで頑張ってきたことを放棄する。逆風くんがそのスイッチ入れた瞬間、私たちの関係がなくなるんだ。

 怖い。怖いんだ……。

 だからって――私は、自分を曲げてまで、彼に合わせたくない。

 どうしたらいいんだろう。全然わかんない! 田舎の幼馴染に相談したら絶対に帰って来いっていうし。

 ちがう、私はそうじゃなくて!

 何かを変えたくてここに来たはずなんだ。


 ――鞄をもった手の甲に涙が垂れた。

 まずいなぁ……。最近、泣いてばかりだ……。

 私、弱虫じゃなかったはずなんだけガララララ

「おい、月下勝負の時間――」

「わわわ!!!!」

 感傷に浸っていたのにぶち壊しだ。

 目に詰まった水分をなくそうと、制服の裾で拭う。

「ちょ、おい、びっくりしたよ!!」

 逆風くんが来ると自然と元気なった。もう、なんなんだこの人!

 そんな彼はいきなり神妙な顔をする。

「……きょうの勝負やめるか?」

 あぁ! 気づかれてる。気を遣われてる!

「いいよ、いいよ! 気にしないで! 勝負しよう」

 苦笑して促すけど、逆風くんの表情が崩れない。

「だめだ。そんな状態の月下に勝っても意味がない」

 おま、私が君との関係を気にしているものを……。ちょっと涙腺にくるじゃんか。

「なにさ。ちょっと前までは、容赦しないとかいってたくせに……」

「月下に決意させなきゃ意味ないんだよ。たまには息抜きも必要だ。上いこうぜ」

 こうと決めたら覆らないのが彼だ。

「うん……」

 頷く以外できることないじゃん。


 いつもの渡り廊下のドアを開けると、青空が目に飛びこんだ。

 夕方でも日が照って熱く、田舎の空気とは全然違う。

 あと一時間したら空が赤くなるんだろうか。動いているはずなのに全然わからない雲を見つめながら、もう何度目かの虚しさに襲われた。

「ほんと、何やってんのかな、私……」

 思わず溢れたその言葉に、そばにいた逆風くんは少し歩いて、手摺に身体を預けた。

「月下、この空の雲をどうすれば吹き飛ばせるとおもう?」

 また変なこと言い始めた。

 いっつもこの調子。人の気持ちなんて関係なくて、いきなり自分のペースで話し出して――なのになんで私は彼に合わせているんだろう。

 つらい気持ちに蓋をして、無理に頭を動かした。

「風を吹かすしかないと思うけど。人の手では無理だよ」

「いや、馬鹿でかいダイソンの掃除機を空から吸い上げれば可能だ」

「それだったら馬鹿でかい扇風機でいいじゃん。っていうか、そんな実現不可能なこといってもしょうがないでしょ」

 ってかなんでこんな話になるんだ? 彼はやっぱりアホなのか。

「ランでお前と戦うとき、俺はいつもそんな感じだよ」

「へ?」

「天才に勝つことなんて土台無理な話だ。万に一つの奇跡が起きない限りな。けど、俺の夢は、絶対不可能だっていう奇跡を何十回も起こさないと叶わない」

 少し意外だった。

 アホな逆風くんはノリで私に勝負を挑んでくるものとばかりおもっていた。

「月下が悩むのも無理はない。俺たちは人間だし、ガキだし、将来なんざ先行き不明の真っ暗闇だ。いまの月下は宙ぶらりんだろう? 根暗の家でなんとなくわかった」

「根暗っていうな」

 そこはみちるさんを絶対に擁護する。

 ツッコミを入れたせいか、私の舌が自然と回り出した。

「最近ね、君がどんどん前に進んでる気がする。みちるさんも結晶くんも巻き込んでさ。私は、逆に止まってる。あんまり、人間関係、うまくないし……」

 愚痴っているうちに悲しみが言葉に入ってきた。

 あぁ、やっぱりちょっと弱ってるな……。

「俺は月下に感謝しているぞ。お前がいるからあいつらと絡むことができた」

「でも――私よりすごい人が現れたら君は離れるんだよね」

 笑って、さらって、言ってみた。ホントのキモチ。

 バカだけど、わかるはずだ。ほんとはバカじゃないから。私が作り笑いしているのをすぐに察しているはずだ。


「あぁ――あぁ――」

 彼は、相槌とも狼狽ともいえぬ声を漏らした。

 やっぱだめだ。失敗した。こんなの愚痴られたら戸惑うに決まってる。

「ごめん、忘れて――」

「月下に俺の夢を言ってなかったよな」

 言いかけていた言葉をさえぎられる。

え、あ、「うん……」

「俺の夢は世界平和だ。いつか音楽で戦争をなくしたいとおもっている。それが無理なら、その根源を取り除きたいんだ。だから、俺がお前を傷つけるようなことは絶対にしない。もしそうなったら思い切り俺をぶん殴れ」

「え、え?」

 戸惑う私に、逆風くんは難しそうに前髪をわしゃわしゃする。

 普段隠れている左目が困惑していた。

「先に勝負をしかけたのは俺だ。決着をつけるまで――いや、ちがうな。そうじゃない。俺はお前を泣かせるつもりはない。それだけは約束する」

 風に揺れた前髪から、まっすぐな両目が私をとらえた。

 決意するような瞳。その視線は私の眼球を貫いて瞼の奥の壁を簡単に壊した。

「ばか……」

 どれほど走ろうと整っていた呼吸が、うまく、できなかった。

 酸欠でもないのに、目の前がうるんで、しまいには真っ白になった。

「ずるいよ……。そんなこというなんて……」

 恥ずかしげもなく鼻をすする。ティッシュポケットにあったっけ。

 がさごそと探して、みっともなくズブブブと鼻を噛んだ。さいてーだ。

「早く泣き止め。約束破ることになるだろ」

 ぶっきらぼうな逆風くんの声が聞こえる。

 それ、反則だよ……。


 ボールを打つ金属音が鳴り響く。

 走者の踵を浮かすピストル音が木霊する。

 太陽の真下から地平線が赤く燃える。

 帰ろうか、と私が言う。もういいのかと、彼が言う。

「うん、ありがと」

「馬鹿言うな、何もはじまっちゃいない」

 何のことかわからない。でも、嬉しかった。

「明日も全力を出してもいいよね?」

「あぁ。次こそ勝つ。必ずだ」

 自信満々にいう逆風くんに、私は最高の笑みを返す。

 もう絶対負けないんだから。

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