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 担任からこっそり明みちるさんの住所を聞いて(個人情報保護法があるから公にできないんだ)、逆風くんは路線情報とナビを頼りに彼女の家に行く。

 スマホを使いなれている逆風くんを見ていると、やっぱり都会人だと感心する。ほぼ一本道の私の実家は、行く場所なんて駅から畑か田んぼか近所の家くらい。ぶんめいの利器なんていらなかった。


 みちるさんの家はけっこうな豪邸だ。二解建ての民家の前は、電子装置がついた門と檻みたいなシャッターがあり、スポーツカーみたいな真っ赤な車が駐車場にある。

「うちのクラスの人って、みんなこれくらいお金持ちなの?」

「どうだろう? 珍しいほうじゃないか……?」

 隣にいる逆風くんは罰が悪そうに言いよどんだ。

 この反応をいるかぎり、こいつも中流階級じゃなさそうだな。

 私たちはインターホンを鳴らして、みちるさんのクラスメートだと伝えた。

 自動の門が開いた。駐車スペースの横には青緑色の芝生が広がり、その合間に蛇行した石畳が伸びている。二〇メートル先に引き戸の玄関があり、そこから綺麗な女性がでてきた。昔でいう女中さん(家政婦?)のように見えた。

「すみません、わざわざうちの娘のために」

 お母さんだった――その人はぺこぺこ頭を下げた。ずいぶん腰の低い人だ。

「いえ、謝るのは彼ですから」

「どうもすみません……」

 さすがの逆風くんも傷つけた道徳心はあるらしい。少しほっとしたぞ。

「どうぞ中へお入りください。みちるを呼んできます」

「で、でも、本人に悪いんじゃ……」

「その……私ごとで申し訳ないのですが、娘がどんなクラスにいるか知りたくて」

 私と逆風くんは顔を見合わせた。

「私たち参考になる?」

「少なくても俺はだめだな。クラスのやつの顔と名前が一致しない」

 サイテーだぞ、こいつ!!


 居間に通されると、日本家屋の外観とは異なり、シャンデリアが照らす西洋のリビングに案内された。

 テーブルは黒い木炭ですごく堅そう。なんとなく木の香りがしそうだ。何かのアロマなのか、甘い香りが部屋を包んでいる。

 純白のテーブルクロスの上には、ティーカップとキャットウォーク(超失礼)みたいなスイーツ台があり、クッキーやマカロンなどがある。フランスの貴族みたい。

 田舎丸出しの私とは反対に、逆風くんは動じない。花模様のイスを平然と引いて腰掛けた。

「紅茶でよろしいですか?」

「え、あ。はい……」

「気にしないでください」

 動揺する私をよそに、逆風くんはそっけない。やっぱり落ち着かないのかな?

 みちるさんのお母さんがお茶を準備する中、居間に飾られた西洋の風景画(川の上に家があるやつだ)に目がいった。

 逆風くんもその絵に気づいたのか、じっと見つめて声を発した。

「いい絵ですね」

「はい、父のコレクションで。画家などは私わからないんですけど……」

「知ってる?」

 私が訊くと、

「多少な……。母親の仕事関係でたまに覚えたりする」

「ふーん、芸術関係の仕事なんだ」

 逆風くんは頷いて、渡された紅茶に角砂糖を入れた。

「じゃあ本人が来る前に、あらかたクラスのことを話すか」

「お、お菓子食べてもいいですか!?」

 やば、興奮して大声だしちゃった。

 どうぞ、といわれて小皿に一種類ずつ乗せた。


 逆風くんはクラスのことを何か話しているけど、何一つ耳に入らなかった。紅茶がおいしい、クッキーがおいしい、マカロンがおいしい。プリンもシュークリームもおいしい。

 あまりのおいしさに逆風くんに食べさせたくなった。

「逆風くんは食べないの? おいしいよ」

「俺は駄菓子のほうが好きなんだ」

「えーもったいないよ」

「俺のも食っていいぞ」

「いいよ。太るもん」

 長距離を止めたからカロリー計算は気をつけないと。

「ある程度の肉がある方がいい声でるぞ」

「超失礼」

 怒って頬をふくらますと、くすっと笑われた。

「なんかひたすら草を食べるウサギみたいだな」

 ウサギ? は! ふと我に返った。そういや何しに来たんだ。

 いや、私はただの連れだし、何も悪いことしてないし。でも、後ろめたさがあるのはなんでだ。はっ! これが甘いものの罪悪感か!


「あの、よろしければ、あの子の友達になってください。同級生が来るの初めてなんです……」

 深刻そうなお母さんの顔に、ついついお菓子に伸びていた手が止まった。

 彼女の家は昔から商家だったらしい。スーパーや百貨店、コンビニなど移り変わり、そこへいくつも他社と合併した。明という名前は表にでなくなったが、その商才の血は受け継がれて、いまでも祖父が大手コンビニの幹部職だという。

 みちるさんのお母さんは箱入り娘で、祖父の都合で結婚したのだけど、父親は遊び人らしく、家庭はすぐに冷え切った。冷たい家で育ったみちるちゃんは、小さい頃から心を閉ざして人との接触を拒んだ。学校も嫌で、これまで騙し騙し保健室などいきながら通ったという。

 ――なんだか胸が苦しくなる話だ。

 さっきまで食べていたお菓子が急に重く感じた。心を閉ざしたら、お菓子もおいしいと思わないよね……。


 空気を読んだのか、逆風くんが手を上げた。

「本人に謝りたいのですが、連れてきてくれますか?」

「わかりました。お待ちください」

 席を立って居間を離れたお母さんを見送ると、

「友達かぁ……。うまくできるかな?」

「それは俺たちに関係ないだろ。あいつが好きなことに夢中になれば、それ以外のことはどうでもよくなる。違うか?」

 冷たい言い分だったけど、その通りだ。

 どんなものだって一番になるには、相手と自分に勝たなきゃいけないんだから。

「でも、彼女が好きなものを見つけたらバンドのメンバーに入らないんじゃない?」

「ベースを好きになればいい。そしたら友達もできて一石二鳥だ」

 んな無茶苦茶な。好きなことなんて、誰かに強要されるものじゃないよ。

 呆れていると、リビングのドアが開いた。


 お母さんとサメの着ぐるみがやってきた。サメの口には憂鬱顔のみちるさん。

ええっと……めちゃくちゃシュール。

「え、あ、お邪魔してごめんなさい。逆風くんがひどいこと言って――私たちは」

「いい。帰って」

「みちる!」

 すぐさまお母さんが金切り声が響いた。

 え、えーっと。この二人あんまり仲良くないのかな。家が綺麗で広いのに、なんか悲しい。我が家は古いけど、毎日夕飯の時間は一緒で、だらだらしていたのになぁ。まずい、ちょっとホームシックになる。

 帰ったとき、なんて言い訳しよう……。

「お母さんすみません。大事な話があるので席を外してもいいですか?」

 逆風くんが、マジトーンで切り離した。やばい。レアだぞ。

 みちるさんのお母さんが、寂しそうに会釈して出ていった。

 

 …………静寂が訪れる。

 サメを着たみちるさんは、警戒するように私たちと距離を置いた。

「あなた。何」

 不機嫌な声音。

「平和主義者の革命家だ」

 また変なこと言ってる……。

「だったら。消えて。それが平和」

「根暗がベースやるなら帰る」

「ちょ!!!」

 思わず立ち上がる。でも、逆風くんとみちるさんの間に威圧的な雰囲気が出て、私はすぐに座った。

 まるでレース終盤戦。

 どちらも譲らない。ヒリついた勝負。

 何が二人をこうさせるんだろう。

「お前はこの凍った城の中で一生過ごすつもりか」

「関係ない」

「関係ないのはお前だ。どんな家に生まれようと過去なんて飾りだ。未来を歩けよ。そいつが何を好きで、どう表現するかがすべてだろ」

 一瞬だけみちるさんの体がぐらつく。

 まずい、私の心もぐらついている。逆風くんの言葉が突き刺してくる。

 私は、何かを表現したくて、自分を貫きたくて一人で遠くに来た。

 でも、未来なんて歩けなくて、だらだらと無駄な時間を過ごしてばかり。

「くだらないんだよ。この世は。誰が金持ちだ、誰がまともだ普通じゃないだ。他人と比較しても無意味だろ。自分がやりたいことを貫けよ」

「私は。強くない。邪魔……」

「強さってのは決意で決まるんだ。自分が弱いと諦めたら絶対に強くなれないんだ」

 逆風くんの声音は綺麗だった。怒っているでも諭しているわけでもなく、自分自身に言い聞かせている気がした。なのに、私の身体の中が熱い。お腹がぐるぐるして吐きそうだ。

「私の。何が。わかる」

「しらねぇーよ。興味ねーよ。だから過去なんてどうでもいいって言ったろ。俺たちは流れている「いま」この一瞬を生きている。その一瞬一瞬が過去になって積み重なるだけだ。昔を見つめたところで自分が決まるわけじゃない。必要なのはどれだけ可能性に飛び込めるかだ」

「出てって」

「お前が納得したらな」

 どちらも微動打にしない。みちるさんが揺さぶられているのがわかる。

 いまにも、泣きそうだ。

「ん。ぐず……」

「え」「おい!」

 先に決壊したのは私だった。

「ごめん……。なんか学校に来たときのこと、思い出して……」

 夢に憧れて田舎からでてきたのに。みんなの期待を裏切ってよくわからない生活をして。

 本当は崩れそうなのに。心の底ではすごく寂しいはずなのに。

 なんでだろう。逆風くんがいてくれたから私は廃れなかった。

 校長室を出て行ったあの瞬間、私は絶望していた。だけど、あの渡り廊下で彼と出会って――よくわからないけど、もう一度頑張れる気がした。

 涙を拭うと、嘆息するみちるさんがおぼろげに見えた。

「身勝手」

「当たり前だ。俺は俺のやりたいことを貫きたいんだ。だから根暗、ベースやれ」

 私は泣きながら、おもいきり逆風くんの頭を叩いた。

「痛いぞ」

「バカタレ。この……」

 もっと彼女のこと考えなさいよ。

「みちるさん。学校で待ってるから。こいつ、変態だけど悪いやつじゃないから」

「なんで月下が泣くんだ」

「うるさい」

 もう一回、頭を叩いた。

 みちるさんは困惑顔。でもいい。泣きそうになるくらいなら迷っている方がいい。

「私もさ、上手くいかないことばかりだけどさ……それでも、よくわからないけど頑張ろうって思う……。何かあったら頼っていいから……。私、何もできないけど……話相手くらいにはなるから……」

 ぐずりながらいう私に、逆風くんは気まずくなったのか席を立つ。

「おい、さっさと決めろ。お前と俺と月下とあと何人かで世界を変えるんだからな」

「私を勝手に入れるなあぁ」

「お前は泣くな。ほら、帰るぞ」

 私は引っ張られるままお城のような居間を後にする。


 廊下ではみちるさんのお母さんが心配していたけど、気にしないでくださいと、精一杯笑って玄関をでる。

 長い長い庭を抜けたところで、わけのわからない悲しみが少しずつ癒えていった。

 泣き止んだ私に、逆風くんは鞄からごそごそと何かを出した。ビニール袋。中にはつぶれたお好み焼きパンと、メロンパンが入っていた。

「きょうは競争できなくて悪かった。その詫びだ」

「バカタレ」

 意味わかんない。ほんと意味わかんないやつ。

「明日一緒に食べよう……」

「お前、太るぞ」

 ……ほんと、さいてーだぞこいつ。

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