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 え、え、え? 意味が分からない。私音楽できないし。歌とか興味ないし。そもそも、きょう部活を辞めた後だったし。

「ぜぇっっったい無理!」

「決定決定決定!!」

 私がガンといっても、同じくらいガンっと言い張った。

 何だこいつ。

「月下はこれまで楽しいとおもってた長距離を辞めたんだろ。その空虚感はバンドで埋めろよ」

「勝手に決めないで」

 強がりだった。校長室からでたとき、これからどうしようと途方に暮れた。なんもやることなくて、一人で寮に戻ってテレビみてお菓子をぽりぽり食べるのかなって。

 たしかに、そんな生活はむなしいけど。

 だからって、べつに、頼られても、嫌なものは、嫌だし。

「じゃあなんで辞めたんだよ」

「それ訊く?」

「知りたい。お前のこと」

 妖怪みたいな髪型なのに、片目からは、すごくまっすぐな視線を送ってくる。

 なんか、卑怯だ。そんな真面目な顔をされたら。



 私の中学校は全学年で30人ほどしかいなく、体育や音楽など、人数の必要な教科は全学年一斉だった。人が少ないから男子も女子も関係ない。得意な人だけが性別年齢問わず突出していた。

 私は長距離で一番だった。男子の先輩たちにも負けない。畑道・山道のマラソンコースをぶっちぎりで勝った。

 楽しかった。ハンデがあってもそれをはねのけて、がんばって、努力して、追いついて、追い越した。

 誰でもいい。私より速い人がいて、勝負して、勝ちたかった。私が誰よりも、長く、速く、走れることを誇りたかった。


「――なのに。学校は全国大会とかオリンピックとかそんなのに合わせて、性別ごとに分けるんだと。生徒も多いから男女混合にする必要ないって。私は男子と普通に戦いたいのに。だから……蹴っとばしてやった」

 話したら胸のうちがスッキリした。

 どうせ私は田舎者で常識知らずでわがままだ。

 でも、なんで私の楽しみを奪われる権利があるんだ。

 逆風くんは左の前髪を耳に寄せてニヤニヤ笑った。

「お前、ロックだな」

「なによ……」

 なんかちょいむかつく。

 逆風くんが立ち上がって尻をパンパンはたく。男子って身だしなみが楽そうで羨ましい。

「月下は競争相手がほしいんだな。なら俺がなってやる。それで俺が勝ったらバンドのボーカルやれ」

「ちょ、矛盾だらけだよ! 私は、負けるのが悔しいからこれまで続けていたのに、君が勝ったら辞めるって。ってか、もう私辞めてるし走るなんて一言もいってないし。大体さ君は長距離得意なの?」

 逆風くんの体格を一瞥する。手足も背中もお腹も細い。体重が少ないほうが向いているが、運動してきた体ではない。

「関係ない。俺の情熱がお前を打ち負かす」

 大した自信だ! この私に豪語するとは!

 逆風くんはギターにカバーをかけた。

「いまから下で勝負だ。いくぞ」

「ちょ! 嘘でしょ! 今日体育じゃないし、もう辞める気だったからジャージないよ」

「制服でいいだろ」

「ローファーでなんて無理!」

 いや、いったけどそこじゃない。スカートだ!

「上履きでいいじゃん。あとで洗え。ほらいくぞ」

 ギターとバッグを担いで先に渡り廊下をでる。

 なんと勝手な!!

「もう! なんだかなあ」

 結局ついていく自分がバカみたいだ。

 なんだかんだで長距離が忘れられない。挑戦されたら受けてみたい。私が誰よりも速いことを、私自身が証明したいんだ。



 荷物をまとめると私たちは昇降口の前に並んだ。

 伸びをして体を柔らかくする私に、逆風くんはオレンジ色の空を見上げていた。

 これから走るのに大した余裕だ。

 コースは南北ある二つ校舎周りを20周。部活のコースならグラウンドの周りか学園の敷地外だけど、制服で走ると目立つし、靴も汚れるからアスファルトを選んだ。

 なんだかんだで楽しみだった。

 最初に長距離を走ったのは、小学校のマラソン大会だっけ。

 上級生も下級生も並んで田圃道や山道をひたすら走った。私は先輩たちに追いつきたくてがむしゃらにペースをあわせてくたびれていた。もう苦しい止めたいと心の中で叫んだのに、ゴールしたらすごい達成感で満たされた。

 ――そうだ。私はそれを求めて毎日ひたすら走っていたんだ。

 ……どうしてここにいるんだろう。

 いつも同じ風景の中で、女子の先輩たちに当たり前に勝って。ただただ記録を伸ばすだけ。絶対敵わない相手と戦いたくて、それをぶち破りたくて、限界を越えたかった。

 ――思い出したら涙がでてきた。

 なんでおもうように生きていけないだろう。

 なんでルールに縛られなきゃいけないんだろう。

「おい、やるぞ」

 逆風くんが涼しげな顔でこちらを見た。瞼をごしごしぬぐって頷く。

「よーいスタートでいく。負けても後悔するなよ」

「いつでもどうぞ」

 絶対ぶっとばしていくんだから!

 心臓がドクンドクン鳴る。

 あぁ、やっぱり私は走るのが好きだ。

「よーい」

 一瞬の静寂。

「どん!」

 スタートじゃないんかい!


 内心ツッコミを入れながら、ふくらはぎとももに神経を集中させる。踏み出した足の裏から靴底の堅い感触を伝わる。初夏の熱気をめいっぱい吸い込む。

「!」

 身体がまだ慣れてない状況で、逆風くんは私を抜いた。

 それだけならいいが、腕を振ってももを上げてどんどん離される。

 速い!? いや、ペースが異常すぎる。

 100メートル短距離みたいにガンガン離していく。どう考えても20周は無理だ。

 動揺を誘っている?

 まさか。彼は私なんて見てない。ただあのペースで走り切ろうとしているんだ。

 バカな子だ! それで私に勝負を挑むつもりか。ただの玉砕だ。

 挑発には乗らず私はペースを守る。

 背中がぐんぐん遠くなる。

 先をゆく逆風くんは、曲がって南校舎にいこうとする。

 人が消えた瞬間、なんだか負かされた気がして、手足に意識を向ける。玉砕だとわかっても、彼のやりたいようにさせるのが気に入らない。

 どうせならその背中を追ってやる。

 一歩の幅を大きくする。呼吸のリズムをかすかに速くする。視界の流れが速くなる。

 角を曲がる。小さい背中が見える。

 ペースをあげると、だんだんその背中が大きくなっていく。

 私が速くなったのもそうだけど、彼のスピードが落ちているんだ。長距離を甘く見すぎ。徐々に徐々に、彼に迫る。

 ペースが落ちているはずの逆風くんは、なぜかそこで速度を上げる。

 なかなかいい根性をしている。

 でも無理だから! 走るのが好きな私に、勝てるはずないから。

 逆風くんの背後に迫ると足並みを揃える。

 足音が重なる。荒い呼吸が聞こえる。

 私の呼吸は落ち着いている。

 やっぱり無謀。彼の足取りが落ちる。

 私はそのペースのままゆっくり抜こうとする。

 横目で目が合う。

 逆風くんは負けじと足を前に出す――瞬間、

 彼の身体が崩れ落ちるのが見える。


 おいーーっ!


 私は思わずペースを落として振り返る。

 逆風くんがうつぶせで倒れている。

 アップもせずに長い距離を全力疾走したから身体が追い付かなかったんだ。

 これでは勝負にならない。

 私が近づくと、彼はアスファルトをごろんと横に寝転び仰向けになった。

「だから勝てないっていったじゃん」

「決め、つけるな……。ここで、つまづくわけ、いかない、ん……」

「躓くもなにもめっちゃ倒れてるよ!!」

 逆風くんは腕で目を隠すと、苦しそうに何度も息をはいた。帰れといわれたけど、心配で放っておけなかった。

 バカで変人で自信家で身勝手。

 でも、嫌いなタイプじゃなかった。

 私は変態なのかもしれない。

 そうでなきゃ、こんな人と一緒に走ることないんだから。

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